18 公爵令息との邂逅

「ご……ご機嫌よう、ドゥ・ルイス公爵令息様」


「こんにちは、シャーロット嬢。会えて嬉しいよ」


 アーサー・ドゥ・ルイス公爵令息はふっと微笑した。

 彼も現王族の血が入っているので顔立ちはどことなく王子二人に似ている。特徴的なのは、隣国の王族に見られる銀色の髪だ。瞳は夜空を閉じ込めたように深い青で、人を惹きつけるような不思議な魅力があった。


「……偶然ですわね。驚きましたわ」


 わたくしは警戒するように彼をそっと盗み見た。

 おそらく偶然などではない。意図的に会いに来たに違いないわ。一体なにを企んでいるのかしら?


「いやぁ、偶然でもないかな?」


 公爵令息の予想外の返事にわたくしは目をぱちくりさせた。


「えっ……と?」


「ほら、私と君の家の領は隣同士だろ? 実は私は領地に帰った際にはよくヨーク家の領地へ遊びに行っているんだ」


「そうだったのですね」


 それは知らなかったわ。驚きね。

 たしかに国内の領地間の移動は自由ですものね。隣の領に遊びに行くのも不思議じゃないわ。


「……正直に言うと、君がヨーク公爵領へ戻ったと聞いてどうにかして会えないかと思っていたんだ。だから本当に嬉しいな」


「そうですか。それはありがとうございます」


 わたくしも覚えずふっと笑みを漏らす。

 本音を言えば学園が始まるまでは縁談相手たちと会いたくなかったけど、こうやって包み隠さず言われたらなんだか拍子抜けだわ。


「今日はお忍びかい?」


「ええ。領地へ来てからまだ中心街へ行ったことがないので見物に来ましたの」


「そうか! では、私と一緒に回らないか? 妙な話だが私のほうがこの街に詳しいから良かったら案内するよ」と、公爵令息は手を差し伸べてきた。


「公爵令息様にそうおっしゃられたら断るわけにはいきませんわ。では、宜しくお願いいたしますね」


 わたくしも彼のエスコートの手を取った。

 本当は今日はミリーとゆっくり見て回りたかったけど、ここで断ると面倒なことになりそうな気がするわ。それに時間はたっぷりあるのだから彼女とはまた後日に回ることにしよう。


「私のことはアーサーと呼んでくれ。ほら、今日はお忍びなんだろ?」


「かしこまりましたわ、アーサー様」



 わたくしはアーサー様の手引きで中心街を見て回った。

 彼と会話しながら街を見るのは思った以上に楽しくて、あっという間に時間が流れた。

 彼は本当にここによく来ていたみたいで、美味しい料理店や可愛い小物の店、更には路地裏などの危ない場所も教えてくれた。

 比較的治安が良いヨーク公爵領も危険な場所があるようだ。どうしても経済格差というものができてしまい、それが居住地域に如実に現れる。こういう場所を減らせるように、わたくしももっと勉強をしなければいけないわね。




 わたくしがそんなことをぼんやりと考えながら歩いていると、


「きゃっ!」


 前から歩いていた同い年くらいの男の子にぶつかってしまって、わたくしはトンと尻餅をついた。


「わわっ! ごめん、大丈夫?」と、その男の子は済まなそうに手を差し伸べる。


「いえ、こちらこそぼんやりしていてごめんなさい」


 わたくしも手を伸ばした折も折、


「ふざけるな」


 すっと鋭い剣先が男の子の首に向けられた。アーサー様の剣だ。


「ひえっ」


 途端に男の子は顔を真っ青にして凍り付く。


「ア、アーサー様! 剣をおしまいくださいませ! わたくしは大丈夫ですから!」と、慌ててわたくしは止めに入るが彼の耳には届いていないようだった。


「平民風情が公爵令嬢に土を付けるとは……どうなるか分かっているだろうな?」


「もっ……申し訳ありませんっ!!」男の子は勢いよく額を地面に付けた。「オ、オレ……公女様だなんて知らなくて……でも、わざとじゃないんですっ…………!」


 アーサー様の綺麗な顔がみるみる険しくなる。


「わざとじゃない、だと? そのような理由で許されると思っているのか?」


 アーサー様の剣が再び男の子の首を狙った。男の子はガタガタと震えて、ガチガチと激しく歯を鳴らせていた。彼の恐怖心がわたくしにも伝わってきて、冷や汗が出た。


 このままじゃ彼が危ないわ! 助けなければ!


 わたくしはアーサー様の腕をぎゅっと掴んで、


「もう止めてくださいましっ! 前も見ずにぼうっと歩いていたわたくしが悪いのです! ここはわたくしに免じて彼を許してくださいませんか!?」


「……しかし、これは貴族である君を傷付けた。それ相応の罰を受けるべきだ」


 アーサー様の横顔は突き刺すような冷たい様相で、わたくしは背中がぞくりとした。


 こ、怖い……。

 でも、わたくしがこの男の子を助けなければ最悪の事態になる可能性もあるわ。


「で、では、アーサー様。こちらでいかがですか?」


 わたくしはアーサー様の腕を離れて座っている男の子のほうへ向かい、彼に目線を合わせた。



 ――ペチッ!



「わっ!」


 男の子は驚きのあまりぎゅっと目を閉じてパッと額に両手を当てた。わたくしが彼の額を人差し指でツンと弾いたのだ。

 わたくしは振り返ってにこりと笑いながらアーサー様を見た。


「これが罰ですわ。ここはヨーク公爵領ですもの、罰するのは領主の娘であるわたくしですわ」


 アーサー様は少しのあいだ目を見張っていたが、静かに剣をしまった。

 わたくしは頷いて、へたり込んでいる男の子に「もう行っていいわ」と促した。



「君は優しいんだね」


「勝手な真似をして申し訳ありませんでした」


「いや……私のほうこそ勇み足だった。たしかにここはヨーク領だ」


「譲ってくださってありがとうございました」


「いいんだ……」


 アーサー様はしばし黙り込んだ。


「アーサー様?」


 わたくしは首を傾げる。


「……今日はずっと一緒にいて思ったが、やはり君は国一番の令嬢だよ」


「えっ……?」


 わたくしは困惑して眉をひそめた。

 国一番ですって? たしかに前回の人生ではそう呼ばれて得意げになっていたけれど、今回の人生では社交界デビューもしていないし、まだただの公爵家の娘だわ。


「君の気高いが慈悲深いところ……なによりヨーク公爵家の家門と元・王女である君の母君の血筋からして、国一番の令嬢だろ?」


「そっ、そうなのですね」


 にわかに顔が熱くなった。

 なにを勘違いしているのかしら、わたくしは。たしかにアーサー様の言う通りヨーク家はグレトラント国で一、二を争う家門かもしれないわね。


「でしたらアーサー様の妹君のドゥ・ルイス公爵令嬢のほうが国一番でなくて?」


「いやいや、あの子はまだ君のような完璧な淑女とは言えないな」


「まぁ、お上手ですこと」


「暗くなったからもう帰ろうか。屋敷まで送るよ」







 帰宅したわたくしは自室でお茶を飲みながら一息ついた。


「今日は色々あって疲れたわ……」


「そうですね。公爵令息様が剣を抜いたときはどうなるかと思ってヒヤヒヤしましたよ」


「そうね、わたくしも驚いたわ」


 あのときのアーサー様は本当に怖かったわ。

 でも、前回の人生のわたくしだったら同じくらい怒り狂っていたかもしれないわね。あの頃は平民より自分のドレスのほうが大事だったもの。今考えると、恐ろしい考えだわ。


「お嬢様の咄嗟の機転で事なきを得ましたね」


「そうかしら?」


「そうですよ! あ、公爵令息様には早く御礼状を書かないといけませんよ! お嬢様ったらバイロン侯爵令嬢様以外にはまだ返事を書いていませんよね?」


「……今度書くわ」


「もうっ! 今度っていつですか!? 明日? 明後日? 明々後日?」


「今度は今度よ!」



 そうだった……手紙の存在をすっかり忘れていたわ。返事を書くなら平等に三人同時だけど、面倒ね……。

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