ダブル

@richokarasuva

ダブル

元々、それはただの埃であったはずだ。それがどうして人の形をとるようになったのか、皆目見当がつかない。

それは、平均的な男性の身長と同じぐらいで、私よりも頭一つ分大きい。大概は部屋の隅で膝を抱えて座っているが、時々立ち上がって、うろうろと部屋の中を歩き回る。また時には、私の方をじっと見つめているのであった。

殺風景の部屋をどれだけ歩き回られても特に差し支えはないが、眼窩すらない顔で見つめられるのは、どうしても背中が粟立ってしまうのであった。


無論、私はそれを排除しようとも考えた。ただ、私にその意思があると見えると、“それ”はふっと掻き消えてしまう。そしてそれを諦めれば、また、気づいたときには部屋の隅で膝を抱えているのである。

結局、それを諦めて、もう半年にもなる。





お互いに心を通わすのが恋人であるとするならば、もはや彼女と私の関係性は、それには当てはまらないものになっていると言っても相違ない。


 私と彼女の恋には、障害が多かった、と思う。少なくとも普通の恋路よりは。いや、普通の恋路というものが存在しているかは知らないけれど。


私が目指したのは彼女と一緒になることで、彼女が目指したものはもっと先の方に有った。

結局、私がくたびれてしまっただけの話し。

くたびれた私と彼女は、急速に距離が離れていった。もっと適切な言い方をすれば、私が突き放したのである。


私が彼女に向き合う姿というのは、敬虔な信徒が神に謹直であるのと、よく似ていた。

だからだろうか、いつしか彼女の前に立つ私は捻れてしまった。

元来、私は人に正直でいられるような人格ではないのに、気丈で、純粋で、真っ直ぐなふりをした。端的に言えば、彼女の真似事を、していたのだった。

初めて、心から彼女に正直になったのは、彼女との同居を断ったときである。


彼女はそれですべてを、私の偽証を、罪を悟ったのかもしれない、声を詰まらせながら、それでも笑顔で

「それじゃあ、またね」

と言った。それ以来、私は彼女に会っていない。


関係を断てば諦めがつくとは思っていた。きっと慣れるであろう、と。

しかし困ったことに、私は未だ彼女を愛している。心に一度芽吹いた感情は、時と共に根を張り、そして水分を失って今や心を刺す楔となっている。


つまるところ、私は彼女から離れられない。しかし近づけば、私はまた、自らを捻じ曲げてしまうのだ。


私がこの停滞に甘んじていたとき、ある夜、スマホには彼女からのメッセージが送られていた。

『今、そっちの家の近くのファミレスに来ている。これからのことを直接話したい』

このように、記してあった。

それを見た私の胸に、懐かしくも忌まわしい痛みが走る。ある意味で安寧であった私の日々は、否応なく終わりを告げたのだった。


彼女を失うことは、私にとって明日を失うのと同等であった。だからと言ってまた同じように戻れば、私は次こそ感情を、自らの精神を引き裂くであろう。


ただ彼女がどうであれ、生の私は醜いのだ。それを彼女の瞳に映すのは、あまりにも耐え難い。失望の表情を、彼女に見せてほしくない。


しかしながら私は反射的に、今すぐでも会おう、と返した。既読はすぐについた。待ってるから、という返信が、私の逃げ道を永久に塞いでしまった。


これから、彼女と会わなくてはならない。すべての決着を、つけなくてはならないのだ。苦慮に歪む私の顔を、“それ”はずいっ、と覗き込んだ。そいつから私に接触してくるのは初めてであった。


眼窩のない顔を間近で見たとき、私はそいつの正体を、突如確信した。

こいつは、私の心のシルエットであるのだ。停滞し、それに慣れきり、肥大した私の執着心の成れの果て。

このいびつなフォルムが、私の鏡合わせなのである。そしてそれは、今、私に決断を迫ってきたのだ。ゆっくりと自らを殺すか、明日を失い、今日死ぬか。


飲みかけの頭痛薬、汚れのついたカッターナイフにスリープモードのスマートフォン、あらゆる物が選択肢として私に提示される。

その中に、一条の希望でも果たして存在しうるのか。

解は到底見つかりそうにない。



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