(2)乱世の奸雄

 気を失った。恐らく、そう簡単には目を覚ますまいと、盧植は見ていた。

 従者と衛兵が、駆け込んできた。


「将軍! おけがは?!」

「私は問題ない。だがな、戦が始まる。この者がその最たる証拠だ。この男は憲兵隊に引き渡せ。帝へ後に上奏する。戦支度が必要だからな」


 全員が、拱手して出て行った。気を失った馬元義もまた、引きずられていく。

 それを見送った後、一つ、壁の向こうへ意識を向けた。


「聞こえているのだろう、曹孟徳そうもうとく


 そう言われ、天幕より男が一人出てきた。

 自分より遙かに小柄な男だ。頭一つは小さい。


 だが、眼に宿る覇気、風格、何もかもが、本物だと間違いなく分かる男だ。

 曹操そうそう、字を、孟徳もうとく。それが、齢二九になる、漢軍の若手の中でも特に輝いていると思う将だ。


「あなたのことです。最初から、私がいることに気付いていたのでしょう?」

「まぁな。君の気はそこら中から漂う。竜人でもいれば、その気の大きさは見てもらうといいさ」

「私も、会ってみたいものですよ、竜人にね」


 そう言ってから、曹操は先ほどまで馬元義の座っていた椅子を再度立てて、座った。

 自分もまた、椅子を立て直して曹操の対岸に座る。


「さて、戦ですね」

「私は辟易しているがね。太平道百万、それも元を正せば我々の民だ。それが反乱を起こすと言う事は、我々に元々の民を討てと、そう言っているのと同等だ」

「だが、討たねばなりますまい。むしろ私が問題にするのは、漢軍の士気の低さからくる、離反かと」


 なるほどと、思わず思ってしまった。

 漢軍の兵卒も、元を正せば民だ。だが、その民に漢王朝のために死ねと命令することが出来るのか、盧植にはそれが不安でたまらなかった。

 同時に、それを嫌がって離反し、太平道に味方する者がいないとも限らない。


「そうなる前に、乱を終結させることか」

「それと、できる限り報酬をしっかりと出すことですな。私はそうします」

「実利主義の君らしい」

「財を放出するときには放出せねばなりません。時を誤れば、それは無駄金にしかなりません故」

「つまり、今が使いどき、というわけか」


 曹操が、一つ頷いた。

 自信に満ちた表情だ。


『治世の能臣、乱世の奸雄かんゆう』、それが橋玄きょうげんという有名な人相占い師に見てもらった曹操の結果らしい。

 この自信に満ちた表情を見ていると、その通りだと思えてしまう。


 先天的に人を惹きつける不思議な魅力を持っている。それを持つ人物はなかなかいない。

 しかし、そんな人物だからこそ、疑問が浮かぶ。


「乱世を、君は望むか? それとも、奸雄であることを望むか」

「私の天命に従うまでです。奸雄と呼ばれるのも、嫌いではないのですよ」


 曹操が、一瞬不敵に笑った。

 それを見て、思い出した男がいた。

 恐らく、曹操に匹敵できるとすれば、この男がその最たる例になるだろうと、盧植が見ている男だった。


「なら、ひょっとしたら君に匹敵する男が、君の前に現れるかもしれん。私の教え子だった男だが、君にある意味で非常に似ているよ」

「ほぅ。ならば、是非会ってみたいものですな。その者の名は?」

劉備りゅうび、字は玄徳げんとく

「楽しみですな。その劉備とやらに会えるのかどうかが、です」


 ふっと、曹操が笑った。

 その男と会うことを、信じてやまない、そんな表情だ。


 この男は、人に会うことがとにかく好きなのだろうと、そう思うには十分だった。

 こういう男を中心に、乱世は起こるのだろうか。

 そういう予感が、なんとなくしていた。

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