2021短編集

唯野キュウ

真円

 ひゅうと風が吹くのは私の心に空いた真円だ。

 普遍的で代わり映えのない日常が作った、幾何学的にも思える綺麗な真円。生活の喜怒哀楽が、その真円を通ってどこか知らない人へ届いていると思えるほどに、無彩色な日常が平日の朝くらい当然のように訪れるのだからつまらない。

 ある夜私は目を瞑り、自分の心にぽっかり空いた真円を覗きに行った。円は素手では描けないだろう弧を描いており、何も感じられない私とは裏腹に美しい真円には嫉妬すら覚えた。

 私は真円に手を入れた。てっきり心の反対側から自分の手が出るものだと思ったが、手を振り回しても何にも当たらない。病状は思ったよりも深刻なのかもしれないと他人事に思った。

 誰かに怒って、誰かで落ち込んで、誰かから歓声を浴びたあの日々が、まるで頁を破った小説のように抜け落ちてしまった。心が欠けている私はもう、悩む事も笑う事もできないのだと思ったが、不思議と悲しくはならない。

 ――ふと、私は気づいてしまった。

 顔を朱に染めて怒った日々が、ブルーな気分になった日々や、黄色い歓声を浴びた日々が、そっくりそのままこの真円だとするならば。

 今、この円は何色だ?

 恐ろしくなった私は手を引き抜いた。手から真っ黒な液体がぼとぼと音を立てて床を染めた。

 そうか、そうか、この穴は。


 私の深淵そのものじゃないか。

 その時、真円の中で暖かな血を流しながら動かない無数の肢体の真ん中で、私がにっこりと笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る