マリオネット・タウン
おきゃん
プロローグ
悲鳴が聞こえる。瓦礫の崩れる音がする。空気の匂いを嗅ぐと、焼け焦げた嫌な臭いがする。それから、風によって運ばれてきたのか、屍肉の腐ったにおいもする。
——吐きそうだ。
思わず鼻と口を覆う。嗚呼、街が死んでゆく。でもそんなことを悲しんでいる余裕はない。街も人もグチャグチャだ。生き残ることだけを考えなくては。
「向こうに逃げたぞ!!」
「追え!!!逃すな!!」
「殺せ!殺せ!!」
怒号が響き渡る。その声を聞いたのは幾分昔にも、至極最近の記憶にも思われた。鬱屈とした分厚い雲が空を覆い隠している。その日は雨だった。パラパラと小粒の雨が降っていた。辺りの炎を消すには足りない。“誰か”が放った火は、未だに人々を焼き殺して広がろうとしていた。
夏は少しだけ遠ざかり、しかし秋にはまだ遠い季節だった。雨が少し気温を下げるかと思ったが辺りは湿度が高く蒸していた。雨があがったら、なおのこと蒸すのだろう。
通りの向こうでパシャパシャと水が跳ねる音がする。水たまりも気にせず駆け抜けていく。それは子どもが逃げていた音だった。逃げた子どもを大人が追う。ああ、その手が子どもに伸びて……。
「はなしてぇぇぇ!!!」
「暴れるな、このクソガキ!!」
逃げ切れなかったその子どもはどうなったか。言わずもがな、殺されたのである。
此処、ヴィオラの街はもうじき終焉を迎える。中心にはクェルファー王国を治める王の城があったが、その城も、城壁は崩れ、煙を上げている。兵士が横たわり、折れた剣や、残弾のない銃が散らばっている。もちろん、街ではたくさんの人が命を落とした。動けず逃げ遅れた老人や、まだ5つにも満たない幼子、まだ母親の胎にいた子どもでさえ殺されたのだ。もともと平和だったとはいえないヴィオラの街。物価高騰、度がすぎる懲罰、荒んでいく人々……不満を募らせた市民がついに暴動を起こしたのだ。王はこの現状を止められず、反抗心を持った市民に兵士が発砲。その事件は市民をより逆上させ、街をひとつ焼く争いに発展した。王の兵士たちが進軍し、街の人々を皆殺しにしていく。市民も負けずに兵士を殺していった。凄惨な光景がそこらじゅうに広がっている。雨が上がった頃にはもうヴィオラの街で生きている人の方が少なかった。結局王は市民に拘束され、散々蹂躙されたあと、中央部の公園で王家の全員が首を落とされた。王の処刑にいろいろな街から人が訪れた。暴動の跡が生々しく残っているにもかかわらず、まるで何かのパーティーのように見物客が押し寄せたのだ。そのようにしてクェルファー王国は滅び、生まれ変わったように新しい王国が誕生した。王家も新しい良き王に継がれた。
——それから10年。
新王国は豊かで煌びやか、華やかな大国となっていた。シルフェルという名を掲げた平和な国だ。過去に暴動が起こったなどとは信じ難いほどに。
中心街は煌びやかに飾られ、ショーウィンドウには華やか過ぎるドレスやジュエリーが「わたしを見て!」とでも言うかのように並んでいる。路面電車が走り、中央公園ではさまざまな見世物が催された。人々の笑顔が溢れる理想の街。
ここは巨大先進国シルフェル。イスレイシス時代において最盛期を迎えた王国である。中心となっているのはマリオネイティスと呼ばれる都市だ。王の城もここに置かれている。王家は貴族、平民を含めたすべての国民から愛され、慕われている。マリオネイティスは理想の中の理想、といっても過言ではない。とても豊かで平和な美しい街が誇ったようにして笑っている。その街ならば風や小鳥のさえずりさえ幸運を運んでくれそうだ。
「……果たして、それは本当だろうか?」
——この都市には似合わない薄暗がりの中。
「偽りの上に成り立つ平和など誰でも作れそうなものだよ」
——“それ”はあまりにも近かった。
「ここは“傀儡都市マリオネット・タウン”」
とある一室で、ひとりの少女が筆を取り黄ばんだ紙に文字を書いていく。ロリータファッションに身を包み、うすら笑みを浮かべている。軽くウェーブのかかった薄桃色の髪が少女の動きに合わせてふわりと揺れた。少女に綴られるのはこの世界の裏側か、それとも本性か、まったくの虚偽か。少女は玉石混合、抑圧、征圧、混沌、愛憎、生死……全てを文字として書き綴っていく。薄く笑みを浮かべその空想をリアルに描き出す。筆は止まることがなくスラスラと進む。少女はまるでオーケストラの演奏をする指揮者のようだった。それか、大きな舞台で物語を演じる役者か。少女の口元に、より深く愉しげな笑みが浮かぶ。小さく鼻歌が聞こえた。作業用のテーブルであろうか。そこから少し離れ、部屋の中央あたりに配置された客人用の大きめのテーブルにゆっくりした動作で片手を付け、体重を軽く預けた。ラベンダー色の瞳が意味有りげに細められる。
「あぁ、この世界は実に奇妙だ。そうは思わないかい、少年?」
「……さあな。俺にはわからん。分かりたくもないがな。っていうか楽しいか? それ」
仰々しいというか、大袈裟なフレーズを放つ少女に、ソファーに座る少年が呆れたような反応を示す。死んだ魚のような目、とはよく言ったもので、少年の目には光が宿っていない。別段盲目とかそういったことではなく、ただ単に少年の面倒くさがりな性と、やる気のなさの現れであった。黒い髪のその少年に対して、少女は楽しいさ、と嘯くように言って笑った。微笑とも苦笑とも取れる笑みだ。少女は体勢を直すと紅茶と菓子の用意を始めた。アールグレイの香りが部屋に漂う。いい匂いだ。少女は“もうひとり”の為にココアの用意もする。
そう、この部屋に集まるいつのもメンバーとしてはまだ1人足りていない。“もうひとり”に対し、早く来てくれと少女の大袈裟な芝居にすでに辟易してきた少年が大きくため息をついた。タイミングを見計らったかのように扉が開いた。
「ねー、呼んだ〜!?」
遅れてやってきた“もうひとり”。伸ばした前髪で左目が隠れている。翠色の髪の間から中性的な顔立ちが見て取れたが、一応の性別は女性である。黒のフレームに銀の装飾がなされた眼鏡をかけている。翠髪の少女を見て少年は再びため息をつく。先ほどは来てくれと思っていたが考えを改めた。これは面倒が増えただけである。
「ふふっいらっしゃい。お菓子、食べるだろう?ココアも用意してあるし。少年、キミもいつまでも不幸面していないでレモンティーでもどうだい?」
「……もらう」
不幸面などしていないという文句とため息を奥底に仕舞った。今日もくだらない話をするんだろう。……いつものように。
「そういえば面白い噂を聞いたんだけど!」
「なんだい?教えておくれ!」
興味津々に薄桃髪の少女が身を乗り出す。少女は新しい話が好きだ。瞳を輝かせている。翠髪の少女はにこやかに答える。
「忘れた!!!!」
「……………………はぁ」
少年が何度目かもわからない大きなため息をつく。それを見て、ふたりの少女が顔を見合わせて笑った。少年はふたりを軽くにらみ、失礼なやつらだ、と呟いた。
「まぁ、“いつものこと”じゃないか」
笑いがおさまらず、声を震わせながら薄桃髪の少女が笑う。翠髪の少女のほうはといえば、もう興味が移ってしまったようで、お菓子を頬張っている。
「こっちの身にもなってくれ……」
「うんうん、知った上でやっているに決まってるじゃないか!キミの疲れ顔というか、困り顔、わたしは嫌いではないのだよねぇ」
「あーそりゃどうも、微塵も嬉しくない」
そんな少年の態度に薄桃髪の少女はまた機嫌をよくしたように声を立てて笑った。こんな、くだらない事が彼らの日常であった。
煌びやかな理想都市の、薄暗い路地裏の奥の、さらに奥向こうにある“誰も知らない”秘密の扉を開けた先。その空間に集まっていた少年少女の話をしよう。なんの変哲もない3人の話を。趣味も仕事も全く違うけれど、なんとなく波長が合ったようだ。似た年齢であることもひとつの要素かもしれないけれど。数奇な出逢いをしたにも関わらず、とても単純な関係にあっただけの彼らの話。世界一くだらない、退屈な三流物語だ。
天窓から見えた空には鬱屈とした分厚い暗雲がかかっている。それはまるで10年前のあの日のようだった…………。
————もうすぐ雨が降る。
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