第2話 迷子 ~Parbote~

「う……」


 もぞりと、落ち葉にまみれたねねはゆっくりと身を起こします。背中はずきずきと痛みますし、あちこち擦り傷だらけで痛いですが、幸い死んではいないようです。


「……ここ。どこ、だろ……」


 周囲を見渡しても、森が広がっているばかりです。空がほとんど見えない程木々が広がり、周囲は夜のように真っ暗。かろうじて差し込む光を見るに、夜にはなっていないようです。


「そうだ……私、崖から落ちて……」


 痛む体をかばいながら起き上がります。付近に崖のようなものはなく、頭上の木の枝は折れ穴が広がっています。状況的にはあの穴から落ちてきたのでしょうが、その向こうにもやっぱり崖らしいものは見つかりませんでした。


「声も……聞こえなくなってる……」


 体についた枯葉を払い、ねねは自分の学生カバンを探しますが、どこにも見つかりません。坂を転がっているときに手放したか、そうでなければ木の上に引っかかっているかです。


 絆創膏や財布、スマホも入れているので見つけたいようですが、今のねねの体では探し回ることは無理でしょう。立って歩くことがやっとです。


「帰らなきゃ……」


 カバン捜索はあきらめて、ねねは家へ帰ることを考えました。命あっての道具です。このまま帰れなければ二度とスマホもお金も手に持つことはできないでしょう。


 深い深い森の中を、迷子が一人。歩き始めました。

 背中はずきりずきりと痛みますし、足からは擦り傷から血が出ているからか液体が伝っていく感触がします。制服は土と葉で汚れ、綺麗な白髪はすっかりぼさぼさです。

 歩けど歩けど景色は変わらず、森が広がるばかりです。


「寒……」


 その上、吹く風はひんやりと涼しく、今のねねにとっては致命的でした。夏の気温ではありません。夏用の制服では体温が奪われるばかりです。


「どこか……休める場所……」


 疲労も限界を迎え、歩くのをやめたねねは近くにあった倒木へ向かいました。直径三メートルはあるであろう大きな倒木で中は空洞になっており、小さなねねにとっては十分な広さのある空間です。

 小さく息を吐き、倒木の空洞の中でねねは倒れこむようにして体を休ませます。


「こんな大きな木、自然公園にあったかな……」


 ぼんやりと休みながら外を見てみれば、どの木も太く、背も高いです。あちこちに枯葉が落ちており、気温もまるで秋のように肌寒く、ねねの体から体温を奪っていきます。そもそも木々が生やしている木の葉は緑だけではなく、黄色や赤など秋前のように色づいています。

 いっそ南半球にでも落っこちたんじゃないかと思うほどに、先ほどまでいた自然公園とは何もかもが違っていました。


「このまま……。誰にも見つけられず、死ぬのかな……」


 思考が悪いほう悪いほうへと進み、だんだんと目に涙がたまってきました。あたりを見渡す元気もなくなり、ゆっくり顔をうつむかせます。地面には、見たことのない虫と落ち葉と、そして人の足跡がついていました。


「……足跡……?」


 その足跡はねねのいる倒木から外、ずーっと森の奥まで続いています。

 ネガティブな思考のせいで、危ない人の足跡なのではないかとか、大きな動物の足跡なのではないかとも一度考えます。しかし、このまま何もしないよりかはいいと意を決して、ねねはゆっくりと立ち上がると足跡をたどって歩き始めました。



 数十分足跡をたどったでしょうか。気づけば落ち葉だらけだった地面に獣道のようなものが現れ、さらに道に沿って歩いていけば徐々に舗装された道へ変わっていきました。


 苔の生えた石畳の道で、整備されていないからかボロボロですが、人為的な道であるということが今のねねにはとてもうれしく感じました。世界に一人だけになってしまったんじゃないかという孤独感が、少しばかり薄れたような気がします。


 きょろきょろと付近の植物を見まわしながらねねは道に沿ってそのまま歩いていきます。


 このまま大通りか、せめて住宅地に出れば助けてもらえると、ねねの足取りは少しずつ早くなっていきました。


 しばらく森と、変わらない道が続いていましたが、やがて少し木々の薄い場所に出ました。道は左右に分かれ、目の前には木製の看板が立っています。


「……なにこれ……。英語……?」


 ぼろぼろでかすれた文字ですが、書かれている文字はどうやら日本語ではなく英語か何かのようです。アルファベットのように見えますが、かすれて読むことはできません。


「……でもこの道、来たことある気がする……」


 ぼんやりと左右の道を確認してから、左へ歩き始めました。なんの根拠もない、何となくの直感です。


 だんだんと周りの景色が怪しくなっていくのを見て、ねねの気持ちはまた沈んできました。今からでも引き返そうかと後ろを見ましたが、分かれ道はすでに見えなくなっています。


 さらに歩き続けていると、見たことない花がそこかしこに咲き乱れた場所に出ました。木々の隙間から所狭しと色とりどりで協調性のない花々が咲いています。

 そして、その花畑から見たことのない小動物がねねの前に飛び出てきました。


「み……!?……お、オコジョ?じゃない……。知らない生き物……」


 恐る恐るねねが手を伸ばすと、小動物はぴょんぴょんと跳ねて道の先へ進み、ねねから少し離れた位置で止まって「きゅう」とかわいらしい声で鳴きました。まるでねねを案内するような動きです。


「そっちに何かあるの……?」


 藁にもすがる思いで小動物の後を追うと、遠くに大きな家が見えてきました。立派な煙突が立っており、煙も登り窓からは温かな光がうかがえます。


「光……!」


 ねねは背中の痛みも忘れて家の前まで走り、扉の前まで来ました。インターホンを探しましたが、それらしいものはついていません。


 少しためらった後に小さく扉をたたくと、中から女性の声で返事が返ってきました。鈴のようなきれいな声です。ぱたぱたと急ぐような足音が扉へ近づき、ゆっくりと扉が開きました。


「はあい。……あら、見ない子……。ですね。迷子でしょうか……」


 中から出てきたのは白髪の、大人の女性でした。日常生きていてまず見ないような独特な黒色の衣装に身を包み、女神のように優しげな顔でねねを見つめます。


「……道に、迷って……」

「この森で迷子ですか……?」


 ねねがおびえるような目で女性を見つめ、女性は心配そうな目でねねを見つめ返してきます。ねねがこくんとうなずくと、女性は心配そうな表情のまま頭をなでてきました。


「うちにたどり着けて良かったです。この辺りはツィンマーも多いですし……。ひとまず、上がってください。怪我もしてるみたいですし」


 女性がねねの手を引いて家の中へ上がっていきます。


「お、お邪魔します……」


 女性が靴を脱がず家に上がるので、何とも言えない罪悪感のようなものを感じながらねねも土足で家へ上がると、暖炉の暖かい空気がねねを出迎えてくれました。


 鼻孔をくすぐるような心地よい花の香りと、ほんのりとミルクのような香りもねねの鼻に入ってきます。


 目の前の女性の不思議な服装や、森で出会った小動物、変な文字。いろいろな不安なことがねねの中に残っていますが、今のねねには会話のできる人と出会えたことが何よりもうれしく感じました。


「深い怪我はなさそうですね……。襲われなかったのは幸運です……」


 女性はふわふわのタオルをもってきてねねの血や汚れを拭ってきます。擦り傷からの出血はすでに止まっていました。


 体も温まり、落ち着いたからでしょうか。くぅ、と。ねねのおなかが小さくなります。女性がくすりと笑い、ねねの顔が少し熱くなります。


「ここまでたくさん歩いたんでしょうから、お腹も空きますよね。ちょっとまっててくださいね」


 女性があらかたねねの汚れを拭き終わると、ぱたぱたとリビングの奥へ歩いていきました。ぼんやりと目で追ってみると、キッチンのようなものが見えます。


「こんなものしか出せませんけど、よければどうぞ」


 やがてお皿をもって女性が帰ってきます。木製の器には白色のとろりとしたスープ、シチューが入っていました。


 女性がねねに椅子に座るよう促し、机にシチューを置きます。ほかほかと湯気を上げて、おいしそうな匂いがねねの鼻をくすぐります。


「た、食べていいんですか……?」

「もちろん。こんなものでよければですけど」


 女性がにこりとすすめるので、ねねは恐る恐るスプーンを手に取ります。


「いただきます……」


 一口。ねねは小さな口でシチューを口に運びます。こくりと飲み込み胃の中がじんわりと温かくなるのを感じて、ねねはポロリと涙をこぼしてしまいました。


「わ……!?し、シチュー嫌いでしたか……!?」

「いえ……!大好き、です……!」


 泣き出したねねを見て最初女性は慌てましたが、それが安堵からくる涙だと察すると、ゆっくりとねねの頭をなでてきました。


「ここまで大変だったですもんね……。たくさんありますから、ゆっくり食べてくださいね」

「はいっ……!」


 ぽろぽろと泣きながら、ねねはゆっくりシチューを食べました。

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