ノスタルジックファンタジア

黒崎 香蓮

第一章 魔女と家 ~Mega at Bimus~

第1話 呼声 ~Vicetoi~

 ——ここは……。


 ねねは霧のかかったようにおぼろげな景色の中にいました。

見知らぬ森、見知らぬ土地。風の音も木々のざわめきも聞こえない静寂にただ一人、ぽつんと立ち尽くしています。


「そろそろ時間だ」


 いきなり声がしたかと思うと、少し遠くにぼんやりとした小さな人影が現れました。

 容姿や年齢などはっきりとしませんが、まだ年端も行かない少女のように感じます。


 いったい誰と話をしているのだろう、と。ねねがきょろきょろと周囲を見渡すと、人影のすぐ近くから別の声が聞こえ新しい人影が現れました。こちらも小さな人影です。


「……なら、私はもう行くよ。成功率は那由他の彼方だろうけど……」


 ——何の話をしてるんだろう……。


 距離のせいか霧のせいか、微かにしか聞こえない会話がどうしても気になり、ねねはゆっくりと人影へ近づきます。


 ぼんやりとしか見えていなかった人影も近づくたびに姿がはっきりし、あと少しで顔くらいなら見えそうだと思った瞬間でした。


「Mitus」


 人影が聞いたことのない単語を呟き、それに応えるように地面が緩やかに光始めました。

 急な発光に驚き慌てるねねの目の前で、人影は小さく握手を交わします。


「お互い、せいぜい頑張ろうか」

「そうだね。……それじゃあ」


 光はやがて目も眩むほどに大きくなり、ねねはぎゅっと目をつむりました。

 そして耳に響くような電子音も混ざってきて……。




 目覚ましの音で目を覚ましたねねは、窓から差し込む朝日に目を細めました。ぼんやりとした頭であたりを見渡しますが、もちろん不思議な森も小さな人影もありません。いつもと変わらない自分の部屋が広がってるだけです。


 高校の制服が壁に掛けられ、勉強机には昨日やり終えた数Aの課題が一つ。

 「斎原さいばらねね」と自分の名前がしっかり書いてあります。


「夢……?」


 ゆっくり時計へ目線を動かせば時刻は六時と三分。いつもの起床時間と変わらない時間を表示していました。


「……変な夢」


 身を起こし小さなあくびと大きな伸びを一つ。あくびにつられて出てきた涙を拭ったところで、ねねの目がようやく覚めてきました。


「準備しなきゃ……」


 のそのそと起き上がりリビングへ降りようとして、部屋にかけてある大きな姿見へなんとはなしに視線を移しました。


 小学生と間違われるほど小さな身長、日本人らしからぬ白髪が腰まで伸び、瞳は真っ赤。

 姿見に映る自分の姿は、もちろんいつもと変わりません。何も変わらない、ねねの嫌いな自分の姿です。


「なんで私はみんなと違うんだろう……」


 鏡に映った自分を見ながら真っ白な横髪をいじくりますが、どうしたって白いものは白いのです。

 どうしようもないコンプレックスに今日も悩まされながら、ねねは学校へ行く準備を始めました。


 見慣れた教室。ねねのクラスの1-Aは今日もにぎやかです。朝の補修時間まで時間があり、それまでの間多くの生徒が友人同士で話していますが、ねねのもとに話しかけに来る生徒はほとんどいません。


 髪色や眼の色など、明確に周囲と違う部分があるため、自然と周囲から避けられているのが原因です。もっとも、中学でも同じような状況になっていたため、ねねにとってはそれも日常でした。


 しかしながら、中学では友達のいる同級生を羨むこともありましたが、今のねねは違います。高校に入って久しぶりに友達ができたのです。


「おはよ、ねね。今日もあっついねー……」

「おはよう、鈴木」


 教室後ろから入ってきた友人にねねは挨拶を返します。鈴木文音、同級生より背も高く、きれいな黒髪。スタイルもよくて人と話すことに長けている、ねねとは何もかも正反対な友人です。


「そういえばねね聞いた?自然公園の噂」

「自然公園?」


 鈴木が話しながら隣の席に腰かけてきたので、ねねも椅子を動かし向かい合う形で話を聞きます。鈴木の席はねねの隣ではありませんが、席の持ち主もほかの席で友人と話しているようです。


「そ。登校路の途中にでっかい自然公園あるじゃん。あのあたりで最近失踪事件が多発してるって話」

「……知らない。そうなの?」

「らしいってだけだけど……」


 そういいながら鈴木はスマホを取り出し、最近のニュース記事を見せてきました。確かに、行方不明や失踪といった事件が比較的多いなとねねも感じます。


「ねねも確か自然公園近くの道通るよね。人さらいとかかもしれないから気を付けなよ?」

「ん、分かった」

「私は陸上があるから一緒に帰ってあげられないけど……。変な人に話しかけられたりしたら絶対断るんだよ!?」

「大丈夫だよ……」


 その後も鈴木はいろいろと心配してくれましたが、やがて担任が来て朝補修が始まり、鈴木も自分の席へ帰っていきました。


「……自然公園……」


 ふとねねは窓から見える大きな自然公園を眺めます。確かに広いですが行方不明者が出るほどの規模ではありません。

 やはり鈴木が言っていたように誘拐事件なのかもしれないなと、ねねはぼんやり帰路のことを考えます。


 どこが暗いかとか、どこに警察署があるかとか、授業を流し聞きしながら最大限自分ができる自衛手段を考え始めていました。


 ぼーっと自然公園を見ていると、どこからか声が聞こえたような気がします。

ねね、ねね、と。小さな声で、しかし確かに誰かがねねを呼んでいるような気がしてきました。


「ねね……ねね……!」


 なぜだか自然公園から呼ばれてるような気がして目をそらせずにいると、声はだんだん大きく聞こえてきて……。


「斎原!起きてるのか!!」

「にぁっ!?」


 授業をしている教師の大きな喝にびっくりして猫のような声を上げると、周囲の同級生がくすくすと笑い声をあげました。


「まったく……。ぼーっとしてないで真面目に授業を受けろ。朝で眠いのは分かるが」

「す、すみません……」


 ふと周囲を見渡していると、鈴木が苦笑しています。よく考えてみれば、さっきの声は恐らくぼーっとしていたねねを呼んだ鈴木の声だったのでしょう。

 ねねは鈴木にごめんねとジェスチャーで返し、改めて授業に集中し始めました。




 放課後、夕方。日は沈み切っていないもののやや曇り空で、ねねの下校路は少し暗くなっています。そんな中を、ねねは一人で帰路についていました。


 今日一日の楽しかったことを思い出しながら少し上機嫌で歩いていると、自然公園の横にさしかかります。


 空が曇ってるのもありますがどこかどんよりとしていて薄暗く、忘れていた自然公園の行方不明事件についてねねは思い出しました。


 不安になってきょろきょろとあたりを見渡しますが、人さらいがいるような気配はありません。一応警戒しようとカバンを胸に抱くと、ふと自然公園から自分を呼ぶ声が聞こえた気がしました。


 今朝のことがあるのできょろきょろと声の主を探しますが、鈴木が近くにいるわけでも、ねねを知る同級生が近くを歩いているわけではないようです。

 ねねを呼ぶ声は自然公園の奥から聞こえます。


 いつものねねならここで気味悪く感じ、家へ帰る足を速めたかもしれません。ただ、なぜだか今日は違いました。


 声の主に会わないといけない気がして自然公園へと足を運びます。鈴木が話してくれた行方不明事件のことは、すでにねねの頭にありませんでした。


「……どこ……?」


 声に導かれるまま、ねねは何かにとり憑かれたように自然公園をさまよいます。最初は整備された道を歩いていましたが、やがてねねは誘われるまま道の整備されていないほうへ歩き始めます。


 声のするほうに歩いていけばいくほど声は大きくはっきり聞こえてきました。

 落ち着く女性の声で、しかしながらその声色はどこか切迫しているように感じます。

 ゆっくりと、しかし助けを求めるようにねねを呼ぶのです。


 いつの間にか暗くなった公園の中を、ねねは耳を澄ませて歩きます。しかし、ただでさえ聴力に五感を集中させていたうえ薄暗い森の中です。足元がおろそかになるのは至極当然でしょう。


 ぼんやりと歩いていたねねは足元の木の根に足を引っかけ、転んでしまいました。


 傾斜のある地面を歩いていたのもあって、受け身も取れず転んだねねはそのまま坂を滑り落ちてしまいます。


 そこらに生えてる木々や根っこであちこちすりむきながら滑っていき、しばらく重力と地面にもみくちゃにされながらねねが転がり落ちていると、やがてそれは滑り落ちるのではなく落下にかわりました。森が急速にねねから遠ざかっていきます。


——崖……!?


 慌てて手を伸ばしますが、先ほどまで滑り落ちていた坂はもうねねの手の届かない数メートル上の景色です。重力にとりつかれ自由落下を始めたねねには、もうあの坂へ帰るすべはありません。


——これ、死……!


 恐怖に埋め尽くされたねねの思考は、背中に感じた衝撃と激痛にかき消され、霧散してしまいました。

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