私と猫のキミと

香椎 柊

第1話 春


「ねぇ、タバコ吸ってみてよ」

 勧めている相手が間違っているよと、突っ込みを入れたかったが自身の内にとどめておく。勧めた当の本人はあっけらかんとした様子で、私の事をしたり顔で見つめていた。

 始業式が終わってから早数週間。

 新品の制服に身を包んだ新入生の姿はなんとも微笑ましく、同じ制服なのに私たちの物は古臭く感じてしまったほど。時の流れとは早いもので、私は高校三年生になっていた。

 進路選択を間近に控え誰もが足場不良な場所に立たされている中、一人悩みとは無縁そうな存在が私のベッドの上でのんびりしていた。この位置から見ても、やっぱり黒の毛糸球にしか見えないな。

「タバコを吸うにしても、吸わないにしても、私じゃ買えないじゃん」

「ん? ああ、大丈夫。私のカバンに入ってるから」

「カバンの中って……どこにあるの? 夏樹のカバン」

「たぶん、そろそろ届くはずだよ」

 彼女の言っている意味が解らず首を傾げていると、家のインターホンが鳴った。

 急いで確認するとどうやら宅配業者との事で、私はここで漸く理解する。業者のお兄さんが持っている箱の大きさから、まず間違いないだろう。

 荷物を受け取り自室へ運ぶと、爛々と瞳を輝かせた彼女がベッドの上で立っていたので、彼女の目の前に置いてやる。

 無言の催促の後、私は机から鋏を取り出してガムテープを切る。当然、彼女は何も出来ないのでただ見ているだけだった。

「あー、これだね、夏樹のカバン」

 中から見覚えのあるカバンを取り出して彼女の目の前に置く。元は自分の持ち物だったということもあり、ペタペタと感触を確かめていた。

 中身を確認すると予想通りの少なさに頭を抱える。筆箱にノート、スマホに財布。必要最低限度もいいところに、それ以外は一切見受けられなかった。

「ねぇ、教科書とかは?」

「燃やして捨てた」

「……はぁ」

 こちらを振り返ることなく彼女は答えた。彼女にとってはどうってことは無いらしい。

 体を器用に使いサイドポケットから使い捨てライターと使いかけのタバコの箱を取り出した。残りの本数から最近まで現役だった事が窺がえる。

「懐かしいなぁ、これで春花に火を点けてもらってたなぁ」

「夏樹が吸うたびに、毎回私の心臓は握られている様な感覚だったんだからね?」

「あはは、ごめんごめん」

 ケラケラと彼女は笑った。笑ったように見える、私には。

 ライターのオイルを確認して火を着ける。いつもは彼女の口許に向けて火を持っていくが、今回は自分の持っているタバコに向けた。変な感じだ。

 一瞬にして部屋がタバコの煙臭くなっていく。制服ぐらいは脱いでおけば良かったかなと、後悔しても遅かった。

「ほら、一思いに吸ってみ? ほら、ほら!」

「うーん」

 躊躇いながら口許にタバコを近づける。その瞬間に近づけば近づくほど、勧めた彼女は嬉しそうに口が開いていく。でも――

「やっぱり、無理」

 そう言ってタバコを口許から離すと、「えー」と不貞腐れた彼女が頬を膨らませ私の事をきっと睨みつけた。

「もー、もったいないじゃん!」

 右手で持っていたタバコの煙の行く末を彼女は追う。

 窓、開けないとな。

「このタバコってさ、メントール系の臭いが好みで買ってたんだけど、この姿になるとよくわかるよ」

「……そりゃあ、猫だもんね」

 彼女は人の数倍にもなった嗅覚でタバコの臭いを楽しんでいるようだった。


 私の目の前にいる彼女、もとい私が好きだった少女、橘夏樹たちばななつきは猫になりました。

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