奇聞

涌井悠久

梅雨

 とある梅雨の日。雨の匂いが湿気と共にむわっと広がり、服が肌に張り付いて過ごしにくい日。

 学校の帰り道で、私は道端に、傘もささずに背を丸めている老婆を見かけた。

 周りには誰もおらず、ただ独り、電柱の下で小さくうずくまっている。

「大丈夫ですか?」

 何かの病気であればまずいと思い、私は老婆の小さな背中へ声をかけた。

 しかし、老婆からの返答はなかった。ただ何かを手に持って、それを何度も前に突き出しては裏返すを繰り返している。

「あの――」

「うん?」

 唐突に振り返ったその老婆の顔に、思わず背筋が凍った。

 両目とも白く濁り、片目ずつ変な方向を向いている。右目は右上を、左目は左下を。

 右手には、神社でよく見かける柄杓ひしゃくを持っている。

「具合が、悪いんですか?」

 私は喉から出そうになった叫びをどうにかこらえ、震えた声で尋ねる。

「いんや。見て分からんかえ?」

 彼女はそう言うと再び電柱の下を向き、指差した。


 そこには何もなかった。ただ濡れたコンクリートの地面があるだけ。

「……すみません。分からないです」

「こうしてな」彼女は柄杓を前に突き出した。「水をかけてやっとるんじゃ」

 びしゃ、と柄杓に溜められた雨水がコンクリートに広がる。


「この赤子、さっきからぼうぼうと燃えとるから、熱かろうと思ってな」

 びしゃ。

 びしゃ。

 びしゃ。

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