第9走

 でもまあ、とルッツが頭を掻きながら安堵したような笑みを向けた。


「なんとかうまくいってよかったです。ちゃんとテトラ嬢に告白できましたね?」

「‥‥最初からそれが狙いだったのか。」

「言ったでしょう?殿下に本気になっていただくためだと。」


 渋顔を作り目の前のコーヒーを一気にあおった。


 つまり僕と誰かとを無理矢理婚約させようとしていると思ったのは僕の邪推だったと。

 流石にそこまでこいつは腹黒ではなかったか。


 だがそれだけのこと、と僕が言うのもなんだが。

 それだけの為にこれほど大掛かりな仕込みを?


 眉を上げ目だけでそう問えば、ルッツが事情を吐いた。



「実は半年前にテトラ嬢の存在が陛下にバレまして。」


 喉がひゅうと鳴った。


 バレてた。それもずいぶん前に。

 それはマズい。婚約しろと催促されまくっていた。そんなところで僕に好きな子がいるとバレる、と。


「それでも様子は見てくださっていたのですが。最近痺れを切らされて勅命を出されると。」


 さらにゾッとした。


 勅命。王命だ。絶対に逆らえない。テトラの気持ち無視でバルツァー侯爵家はテトラを差し出さなくてはならない。逆らえば家が潰される。


 家のために娘を差し出す。それは生贄だ。

 思わず立ち上がってしまった。


「何で教えてくれなかったんだ?!」

「その剣幕のせいです。殿下に申し上げれば陛下に反意を示されたでしょう?それはいけません。」


 困ったようなルッツの顔にこいつも悩んだのだと悟った。僕をこれほど理解して。だから僕のために教えてくれなかった。


「本件はクレマン卿とよくよく話し合いました。とにかく勅命は止めてほしい、纏まるものも纏まらない、遺恨が残る、と。」


 そう。テトラの気持ち無視で婚約しても打ち解けてもらえない。許してもらえない。悲劇しか生まない。


「クレマン卿も宰相権限で努力するとは仰られましたが。殿下の婚約が必要なのは事実、だからことが進むよう段取れ、と言われました。」

「‥‥‥それが今日のこれか。」


 ルッツが目を閉じて頷いた。


「勅命のことは言えません。でもそれと同等位には王子殿下に切羽詰まっていただかなくてはならない。明日にでも勅命は出されてしまうかもしれなかったので。どう転んでもテトラ嬢と婚約できる状況を作ったつもりです。」


 こいつなりに焦ってはいたのか。鬼畜の、鬼気迫る追い詰めぶりだったのはその現れか。敢えて僕の得意な王宮庭園とトレイルランというフィールドだったからこそ、精神的にかなり追い詰められた。そこでルッツが盛大にため息をついた。


「しかし殿下が思いの外‥‥その、ストイックというか、抑制が効いていて全然こちらの思い通りの展開になりませんでしたよ。最初のタイムアウトは私の思い浮かべた通りに、完璧に追い込んだ状況でしたが殿下は選択なさらなかった。」


 キスのことを言ってるのか。

 憤然と目を細めてしまった。


「あの時はまだテトラに告白してなかった。」

「真面目ですね。困ったお方だ。私だったらとっくに手を出す状況でした。殿下のタイムの声に思わず酷い悪態をついてしまいました。」

「お前と一緒にするな。」


 ルッツが苦笑する。それを無言で睨んでやった。


「タイムアウトでのテトラ嬢との会話ではヒヤヒヤしましたが、殿下がテトラ嬢をお連れくださって可能性が出てきました。あそこで終われば鬼ごっこは終了でしたから。本当によかった。」


 そうだろうか?

 テトラはキスしてくれたが、婚約は困ると言っていた。だからあれはそういうキスでないかもしれない。


 俯く僕にずっと沈黙していたジルケが口を開いた。


「殿下、なぜテトラ様が棄権なさらなかったか、おわかりになりましたか?」


 わからない。ずっと考えてはいたが。

 弱々しく頭を振ればジルケが膝をついて僕と視線を同じにした。そして真摯に見つめられた。


「それはあの鬼ごっこが殿下の争奪戦だったからですよ。」


 そういえばそんなふざけた名前がついていた。

 僕の争奪戦。僕のことをなんだと‥‥

 ん?え?


「テトラ様は殿下の争奪戦から離脱なさりたくなかったのでしょう。誰にも渡さない、と。今日は初めての登城、しかもお一人です。ずいぶん頑張っておいででしたよ。」


 頭を殴られたようだった。

 そうだ、ずっと家にいて引き籠りがちだったテトラが家を出て一人で城に来た。怖かっただろうに。勝利に拘って。


 僕を勝ち取るために君はってくれたのだろうか?

 でも‥‥


「だが婚約は困ると‥‥」

「それはそうでしょう?あれはいけません。」


 やれやれとジルケは僕とルッツを呆れたように見やった。


「あんな景品オモチャのように扱われた婚約を誰が喜ぶと?心が全くありません。正しくは“は困ります。”でしょうね。」

「‥‥ああ、なるほど。確かに。」


 ルッツが目を瞠っている。こいつもそこまで考えが至っていなかったようだ。


「じゃあキスを嫌がったのは‥‥」

「あれも最悪です。愛情なしにご令嬢にキスしろなんて。殿下のキス魔を疑いました。」


 当時の会話を思い出して愕然とした。

 勝利が欲しければ僕にキスしろと。

 鬼ごっこのルールとはいえ、意図してなかったとはいえ、セクハラでパワハラだ。


「殿下、テトラ様にきちんと告白して婚約を、愛を乞うてください。そうでないと勅命と大して変わりません。愛のない婚約など意味がないでしょう?」


 絡まった糸が解れる。

 あの時のテトラの言葉の意味が、気持ちがわかる。



 本当は殿下からキスいただきたかったんですよ?



 君は僕のことを追いかけて、待っていてくれたのか?

 それなのに僕はそれにさえ気づかずに、勝手に誤解して拗ねてヤケで鬼に捕まろうとしてた。

 でも君は必死に僕の側で鬼から助けようとしてくれた。


 僕はまだ希望を持っていいのだろうか。

 弱い自分。すぐ自分に都合のいい方に飛びついてしまう。


 でももし、もし叶うなら——

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