愛した男の息子【BL】

嘉伊

プロローグ

 幼い頃からぼんやりだった。

 容量も悪く、人の感情に鈍感な質だった。

 人の悪意や好意に振り回されては、疲れてしまい、都内から少し離れた祖父母の家に身を寄せていた。

 唯一人より出来た料理だったがそれも失ってしまったからだ。


 それは少し震える程度の肌寒い朝方。

 あの人と出会った。

 近所に猫が住み着いたらしく、にゃーにゃー仔猫が泣くものだから、なんともなく、ほっておけなくて、甲斐甲斐しくまんまをつくってやり、子猫には人肌程度に温めたミルクをやったりしていた。

 寝巻きの祖父譲りの浴衣のままに、ストールを肩にかけたままの姿で、子猫と母猫を撫でていた。

 ふらりと現れたその人は「冷えますね」と優しげに洒落た帽子を持ち上げて私に話しかけた。

 若い頃はさぞもてたであろう整った容姿のその人は、年月が刻まれたその目元は青い瞳で彩られて、私は思わず見とれてしまった。

 彫りの深い顔立ち、海外の血が入っているのだろうか。


「綺麗な瞳…」


 口に出た言葉は挨拶でも、ひえますねの返答でもなく、ただ、その瞳に吸い込まれた私の血迷った感想のみだった。

 一目惚れだった。

 口に出たその言葉に直ぐに恥ずかしくなり、私は寒い朝方にもかかわらず暑くなった頬を押え狼狽えた。

 ちょうど秋を感じ始めた、金木犀が香る時期の事だった。


「あなたの瞳もとても綺麗ですよ。ルリビタキのようだ。小鳥さん。」


 彼はほんの少し驚いた顔をした後に、少しイタズラな顔をして私の手を取って映画のワンシーンのように手の甲にキスをした。

 色恋に免疫のない私にはあまりに唐突で、それでいて夢見る乙女のようにその人に夢中になった。

 紳士で素敵なロマンスグレーなその人はシルバーの髪を綺麗に撫でつけて、洒落たカンカン帽を被って、深くエキゾチックでシックなコロンをつけていた。

 それが東雲しののめ左馬刻さまときさんと私の出会いだった。


 自信の無い私に「あなたの優しいところが好きですよ」「控えめなところが愛おしいですよ」「おっとりしていて素敵ですよ」と私のぼんやりも、鈍臭いのも、意気地無しなのも、全てプラスに変換して愛してくれた。

 初めて感じた愛おしい日々だった。



 愛していた。深く。



 フレンチ・キスも、深いキスもその人が初めてで、触れられる度にぎゅっとして心臓が痛くて、幸せで、切なかった。

「私はもう歳をとってしまったから、あなたを愛してあげられないのです」と、きまって夜には私を生まれたままの姿にして淫靡に、そして優しく撫で、その口で私の屹立を咥え、紳士に私を愛した。

 私はただ言葉なく喘いで、その人のシルバーの髪をくしゃくしゃに撫でて、そして愛してると何十回何百回もうわ言のように呟いた。


 蜜月のような数年間だった。


 その人の隣にいて、料理を作って食べてもらい、子猫を愛でてはキスをして、たまに愛してもらうそんな日々か続いて行けばと。

 何度もキスをしたし、抱きしめたし、愛を告げた。


 それでも左馬刻さんの時は続き、最後の数年は私の体を愛すことも出来なくなり、ただ穏やかな愛おしい日々が続くのみになった。

 それでも私は幸せだった。

 キスだけでも心地よく満ち足りていた。

 彼と共にいるなら。

 私は彼にめいいっぱい愛され、そして私も同様に彼を愛した。

 それでも日に日に彼は弱り、それでも左馬刻さんは最後まで素敵だった。

 痩せたあばらをなぞり、咳き込む彼を何度も抱きしめた。

 優しい笑顔と高い上背は最後まで変わらなかった。



 救急車に運ばれ、

 力がなくなっていく握る手を、今度は私が強く握っても、握り返されなくなって、私が唯一愛した男は、私の中に彼を愛す深い愛情を残して天へ還った。


 肺癌だった。

 綺麗にタバコを吸う人だったが、体には良くなかった。

 発見された時にはもう末期だった。

 治療はせず、彼は最後まで私のそばにいることを選んでくれた。

 痛みを緩和する施術だけを施して、最後の最後までそばで私に愛を教えてくれた。

 大きな愛で包んでくれた。


 私は心から愛する人を失い、世界の全てを失ったように思えた。

 しかし私は生きていかねばならなかった。

 彼が生きろと言ったから。


 愛おしい記憶とともにわたしも、彼の残した家とともに朽ちていきたいと、何度も思った。

 何日も、何日も、お店を閉めて力なく横たわって、彼の着物を握りしめて、愛おしい思い出と共に沈んだ。

 彼以上に愛せるものはもう無い。

 それほどに深い愛情だった。

 私の愛する全ては彼と共に天へ行った。


「愛してますよ。わたしのルリビタキ。

 私が天へ行っても若いあなたは後追うようなことはしてはなりませんよ。

 愛しているから、生きて欲しいのです。

 愛するものに生きて欲しいと思うから。

 あなたも長く私くらい長く生きてそれで、もう生きることに飽きたら私に土産話をしにそばに来てくださいね。」


 彼の優しいバリトンがいつでもついこの間のように思い出せる。

 だから私は生きるのだ。

 美味しいと言ってくれた唯一できる料理をして。


 彼をなくして3年、私はようやく店を開けた。

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