第8話「欲望と破滅」
「はぁ……参ったな……」
カイツは一人……、嫌常にフィルと行動を共にしている訳で。
王都の街中を頭にフィルを乗せながら深く、大きな溜息を溢した。
「モキュ? モキュモキュ」
突然溜息を溢したカイツにフィルは心配する言葉を掛けたが。
やはり、彼が何を言っているのかはカイツにしか分からぬ訳で。
ただ愛らしく鳴いているようにしか見えなかった。
「仕方ないだろう? 僕が負け惜しみで約束の地の話をしてから、ゼーゲンさんは怖いくらい優しくなるし。僕を遠巻きから監視してる二人の変人は何が楽しいのかずっとつけて来るし。散々だよ」
そう言うや、カイツは背後に視線を向ける。
ササッ――。すると、物陰から少し顔を出しカイツを窺っていた二人のバカがカイツが二人に視線を向けたと同時に即座に顔を引っ込めた。
もう一週間だ。一週間ずっとあのバカ二人はカイツの後を尾行し続けていた。
嫌になる……。最初は直ぐ飽きて何処かへ行ってくれるだろうと放置していたが。
二人はカイツの予想に反し飽きる事なくカイツを遠巻きから見続けている。
「ば、バカリズ、顔出しすぎだろ!」
「アンタだって同じくらい出してたじゃない! 気付かれたらゼーゲンさんに怒られるんだからもっと潜みなさいよ!」
嫌、気付いているよ……。
カイツも、ゼーゲンも、ギルドに関わる人全てお前達変人の事は……。
ただ尾行されるだけなら良いのだが、何かにつけて二人は口論を始め。その声が驚くくらい大きい事……。
離れた場所に居るカイツにもバッチリ何を言い争っているのか聞こえてしまう程で。
潜む、潜まぬ以前に堂々と喧嘩を始めるのを止めて欲しかった。
「モキュキュ?」
「良いよ、相手にしなくて……。それにリザニエルさんは美人らしいからフィルとは会わせたく――」
「モ、モキュッ! モキューー!」
カイツに尾行する片割れが美人だと聞かされると、フィルは彼の言葉を聞き終わる前に鼻息を荒げながら絶叫し。背後に潜むリザニエルに向かって駆け出そうとする。
美人と聞いただけでこれだ……。
このエロ猿は本当に欲望に忠実過ぎて困る。
「言ってる側からアホか!」
ゴンッ――。カイツの頭を飛び降り、フィルがリザニエルに向かい駆け出そうとした瞬間。カイツはフィルの頭を思いっきりぶん殴った。
「モギュッ! モ、モキュ〜……」
カイツに殴られるとフィルは頭を押さえ蹲った。
「当然の報いだよ。文句言うな」
フィルが痛みで悶える様を見、彼が何やら呟くとカイツはそう吐き捨ててフィルを抱え再び歩き出した。
「モキュー……、モキューー!」
「うるさい、黙らないともう一発殴るぞ」
ただでさえ後ろのバカに加え、ゼーゲンの見え見えの善意に辟易していると言うのに。
更にこのエロ猿に手を焼かされるのは御免被る。
この間約束したばかりだと言うのに本当にこのアホ猿は……。
こんなのと兄弟同然に成長してきた自分が悲しくなる。
「あれ、カイツくん。散歩……の割には機嫌が悪そうだね」
美人と聞かされたリザニエルが背後に居る。彼女の姿を一目見たさにわめき声を上げるフィル、小脇に抱えながら肩を怒らせながらカイツが歩いていると。
前方からカイツに語り掛ける声が聞こえた。
「あ、コレハさん」
エロ猿の勝手さに怒りで視界が狭くなり。全く周りが見えなくなっていたカイツは唐突に声を掛けられた事に驚きながら目の前を注視すると。
そこにはコレハが買い物袋を携えて立っていた。
「散歩のつもりだったんですけどね。アホなペットと不審者のせいで台無しですよ」
「モ、モキュッ? モキュキュキュキュッ!」
コレハの問に嫌味を込めてカイツが答えると。
小脇に抱えられたフィルは驚愕の表情を浮かべたかと思うと。突然絶叫しジタバタと手足を振るわせ暴れ狂った。
余程ペットと言われた事に腹を立てたのだろう。
カイツと言い争いになるのだが、此処からは分かり易いようにフィルの言葉に翻訳付きでお送りする。
「うるさい! お前何てペットに降格だ!」
「モキュー!(誰がペットだ!) モキュー!(取り消せカイツ!)」
「嫌だね! もうお前には愛想が尽きた」
「モキュキュッ!(弟の癖に生意気だぞ!)」
「都合の良い時だけ兄貴づらするなよ! フィルがお兄ちゃんだって言うならもっとそれらしく振る舞え!」
「モキューキュ!(振る舞ってるだろ!) モキュキュキュキュ!(女の子が如何に美しくて尊いのか、子供のお前には分からないから教えてやってるんだ!)」
「恩着せがましく言うなバカ! 何が美しくて尊いだ、お前はただエロいだけだろアホ猿!」
「モキュッキュッ!(又猿って言った!) モキャーッッ!(猿って言うな!)」
「猿猿猿猿ッ!」
「モキャーーーーーッ!(猿じゃなーーい!)」
醜い、本当に醜く幼稚な口論だった……。
この一週間ギルドでカイツと接して来たコレハは、カイツがフィルの言葉を完全に理解していると把握している為に辛うじて口喧嘩に見えていたが。
彼等の周りを通り過ぎる通行人は、小猿に向かって怒鳴り散らしているカイツの姿が異様に写った。
あの少年は何故猿に向かって叫んでいるのか……。
「ハハ……、羨ましいな」
「何が羨ましいんですかコレハさん! こんな猿に付き纏われる僕の身にもなってくださいよ!」
「モキャキャー!(だから猿って言うな!)」
そんな醜悪な攻防を繰り広げる二人をコレハは微笑ましく見つめ、思わず羨望を口にしてしまった。
コレハの言葉を聞くとカイツはムキになってコレハに喰って掛かり、カイツの発言にフィルは目くじらを立てて怒りを表した。
「父さんから聞いてると思うけど、俺兄弟居ないだろ? 母さんは早くに亡くなったし、父さんも若い頃はギルドの仕事で家を空けてばっかりだったし。カイツくんとフィルくんみたいに本音で語り合えるような同世代も居なくて……、子供の頃は寂しい思い出しか無いんだ」
カイツの詰問に返されたコレハの言葉を聞いて、カイツは言葉を失った。
そう言えば前に彼の父、アレハから聞かされていた。
ルドのギルド長アレハはこの国有数の魔法使いだ。
今でこそ年を取り、ルドの町のギルド長に落ち着き定住しているが。昔はこの国中を駆け回る猛者として名が知れ渡っていた。
一昔前なら土属性最強ルドのアレハ・ダレイ、その名を聞いて恐れぬ者は居ない程の魔法使いだった。
「す、すいません……。無神経過ぎました」
「あはは、何でカイツくんが謝るの? 謝るのはあのハゲだよ。今回の一件流石に見過ごせなくて父さんに手紙を送ったら、速達で返事が来て平謝りしてたよ」
ルドの町のギルドに所属して2年、アレハとの付き合いも当然2年であり。
決して長いとは言えないながら、この2年でコレハに送った手紙に記されていた通り。アレハはカイツを実の息子のように可愛がっていた。
親密な関係を築いていると言う事は、アレハから当然のように家庭の事情を聞かされていた訳で。
コレハの言葉を聞いて彼の父から聞かされていたコレハの身の上を思い出し、カイツは思わず謝罪した。
カイツの謝罪を聞くとコレハは笑った。彼の言葉通り、本来謝罪をしなければならないのは彼の父だ。
彼の父なのだが……、自分の父をハゲ呼ばわりしたコレハの言葉にカイツは表情を引き攣らせた。
「こ、コレハさん……。自分のお父さんをハゲはちょっと……」
「何で? 見事にツルッパゲだけど?」
確かにアレハはハゲていた。頭頂部は見事に不毛の荒野となり。
まるで最後の希望にすがるように側面だけ髪を生やし。
それならいっそ丸めた方が良いのでは……。
そう進言してやりたい程の典型的な薄毛の中年だった。
「気にしなくて良いんだよあんなハゲ。髪が抜けてるだけならまだしも、今回みたいに思考も抜けてるから」
上手い……、思わず吹き出してしまいそうになる程上手い言い回しだった。
「人には魔術だけじゃなくて学も必要だとか口うるさく言う癖に、本人が一番学が無いからね。今回の一件でそれが露呈したよ。嫌になる……、俺の容姿は母さん似で何とか救われてるけど。魔術適正関連は全て父さんの遺伝だから。俺だって水か風属性が良かったのに……。よりによって土属性が適正何てホンット嫌になる!」
そこからは出るわ出るわ、実の父に対する言葉とは思えぬ程の不満がコレハの口から滝のように流れ出た。
嫌、土属性もそれ程捨てたものじゃないですよ?
そうフォローを入れようにも矢継ぎ早に繰り出される不満の数々にカイツは口を挟むタイミングを逸してしまう。
「水ならアーデン様、風ならゼーゲン様の弟子にもなれただろうに。よりによって土属性の師になってくれたのがあの人だとか……。土属性の適性者は奔放過ぎて困るよ。弟子をほっぽり出して師匠は一人国中を駆け回ってるんだから! あの人の弟子になって3年、師弟らしい教えを受けたのなんて最初の半年にも満たない。本当に父さんもライツ師匠も手前勝手過ぎて困るんだ!」
今まで鬱積した不満は止まる事を知らず、ついには自分の魔術の師匠批判まで始まってしまったでは無いか。
ここまで来るとカイツは余計な言葉を挟む事を諦め。苦笑いを浮かべながらコレハの不満を聞いていたのだが。
彼の口から思わぬ人物の名が飛び出した事をきっかけに、途端に目を輝かせた。
「コレハさん……、ライツさんの。ライツ・タングスさんのお弟子さんなんですか!」
「え……? そうだけど、師匠がどうしたの?」
「凄い凄い! ライツさんと言えば世界十指に入る魔法使い、しかも土属性最強と言われてる魔法使いじゃないですか!」
「あ……、うん、そう……言われてるね?」
突然カイツが喜々として自分の師の話を始めると、コレハは途端に口数が減り困惑した。
どうしてライツ・タングスの名にそこまで興味を抱くのか?
先程名を上げたアーデンも水属性最強と目され。
ギルド長であるゼーゲンも風属性最強と呼ばれている。
他にもリザニエルは火属性最強で、バウルなどは現代最強の魔法使いなのだ。
一週間もギルドで顔を合わせているのだ。カイツがリザニエルとバウルにストーキングされているのはコレハも当然知っていたし。
ゼーゲンとはギルド長室に度々足を踏み入れる程の深い仲だと認識していた。
これだけ凄い魔法使いに囲まれながら、敢えてオレ様主義のライツにだけ食い付いたカイツの思考が分からず。
コレハは言葉を失うしか無かった。
「僕の名前カイツって言うじゃないですか?」
「あ、うん、そうだね……」
「この名前ライツさんにみたいになって欲しいって、父さんがRをKに変えてカイツって名付けてくれたんです!」
「嘘……、あんな自分勝手な人みたいに?」
「そんな事無いですよ! ライツさんとっても優しい人だって父さんから聞いてます! 優しくて、誇り高くて、あんなに自分を犠牲にしてまで他人の為に行動出来る人間は居ないって父さんが言ってましたから! 僕ずっとライツさんに憧れているんです!」
コレハからすれば過大評価も良い所だった。
ライツ・タングス。良く言えば自由奔放、悪く言えば自分勝手。
後先何て考えず行動し、その結果生じたいざこざの尻拭いは全て他人任せの最低の人間だ。
「コレハ、後始末は頼んだからな!」
そう吐き捨てて本人は居なくなり、弁済だ、慰謝料だと彼が暴れた代償を支払わされた事が今まで何十回あった事か……。
魔法使いとしての実力はコレハも認める所だったが。人間としては尊敬する所が一つもないダメな大人の代表格。
師弟関係を結んでいなければ絶対に関わりたくない人間、それがライツだった。
そんな男のようになって欲しいなど…。
この子の父親は正気なのか?
「き、君のお父さんは又豪気だね……。師匠と余程親しかったのかな?」
「親しかったと言うか、ライツさんの師匠だったと聞いてますよ」
「モ、モキュー!」
呆れにも、哀れみにも似た感情を抱きながら。あんな男から肖った名前を持つ少年に同情しつつコレハがそう問い掛けると。
カイツは何の迷いもなく事実を述べてしまった。
カイツがライツの師が自分の父である。そう口にした瞬間、先程まであんなにも口汚い喧嘩をしていた筈のフィルは慌ててカイツに飛び付き彼の言葉を遮ろうとしたのだが。
そこまで言ってしまってはもう手遅れだった。
「師匠の……師匠? 正か君はザイン様のご子息なのか!」
最初、何故フィルが慌てて飛び付いて来たのか理解出来ていなかったカイツだったが。
コレハの驚愕する様を見、彼の言葉を聞いて自分の失言に気付き途端に慌てだした。
「嫌、あの、違います! と、とと、父さんはライツさんの支障になるような間柄? 的な関係の人間です!」
人間慌ててもろくな結果を招かないもの。
この世で一番自分がベッケンシュタインの血を引いていると語ってはならない家系の人間に告げてしまった。
その事実を隠蔽する為に必死に上手い言い訳を考えたつもりだったが。
無理が有る無い以前に、最早会話の流れとして破綻している苦し紛れのダジャレしか言えず。そんな言葉でコレハを騙し通せる訳もなく。
「ザイン様の息子と言う事は君はベッケンシュタイン家の人間何だね! 父さんからの手紙に姓は無い、その一点張りで教えてくれなかった。そう書いてあった時は不審に思ったけど……。ベッケンシュタインの姓を隠していたとしたなら納得もいくよ!」
ライツの名を聞いたカイツがそうであったように。ベッケンシュタインの血筋の者だと分かった瞬間、今度はコレハが瞳を輝かせながらカイツに詰め寄った。
「ち、違います!」
「何が違うの! そう考えたら全てに説明が付く! ゼーゲン様が君を特別扱いする事! バウル様とリザニエル様が何故君をストーキングしてまで固執するのか! 少年でありながらA級のギルド資格を持った実力! 君がザイン様の息子、ベッケンシュタインの人間だからだ!」
完璧な推察だった。
この一週間、何故この少年に大の大人達。しかも、この国有数の魔法使い達が固執するのか、その理由が分からず疑問に思っていたが。
コレハの言葉通り、そう考えれば全ての辻褄が合ってしまう。
「こ、こうしちゃいられない! ベッケンシュタインの血筋の人間を見付けたって父さんに知らせないと!」
コレハは興奮していた。
彼は故郷を離れる際に達成しなければならない目的を2つ携えて王都にやって来た。
一つは当然魔法使いになる事。王都に来た当初はこの国有数の魔法使いに弟子入りする事が出来て、想像よりも早く魔法使いに成れる目処が立った。
そう思ったが……、先述の通り弟子入りした師が放任過ぎて停滞している。
まぁ、この際そっちの方はどうでも良い。魔法使いに成ろうと思えば幾らでもその他の方法はある。
問題は2つ目、どちらかと言えばこちらの方が重要だった。
「ザイン・ベッケンシュタイン様の子がこの世界の何処かに居る。お前はその方を何よりも優先して探せ。お前が魔法使いになった後どう暮らそうがお前の自由だ。束縛や、強制はしない。ルドの町に戻らぬのも止むない事だと諦める。だが、死んでもベッケンシュタイン家の人間を探すんだ。それがルドに生まれた者の使命だと思え!」
故郷を出る時父であるアレハにもそう念を押された。
無論コレハも理解している。ルドの町に生まれた人間と、ベッケンシュタイン家の関係を。
正直ルドの町に戻る事は今は全く選択肢に無いが、ベッケンシュタイン家の人間を探す使命を忘れた事も、蔑ろにするつもりも無かった。
だから、この3年血筋の者を探し回り。全くその消息を掴める糸口を見付けられなかったが。
正か、姓を隠して既に父と出会っていたとは……。
この話を聞けば間違いなくアレハは王都へ飛んで来る。
あのハゲに会うのは面倒臭いが、ベッケンシュタイン家の人間を見付けると言う使命が全う出来るのだ。
そんな我儘言っている場合では無かった。
「だ、ダメー! それだけはダメですコレハさん!」
だが、鼻息を荒げアレハに報せを出す為コレはがギルドへ戻ろうとすると。
カイツは彼を必死に制止した。
「何故だカイツくん? 君も人が悪いな、2年も付き合いがあったなら父さんから聞かされてるだろ? ルドの町に生まれた者がベッケンシュタインの人間を見過ごす訳が無い!」
「だから黙ってたんですよ! 父さんからもルドの人間……特にダレイさんの家系に知られると面倒だからルドに赴いても姓は名乗らない方が良いって言われてたんです!」
正にその通りだ、今がその面倒な事になりかけている。
本来なら他人、見ず知らずの、しかも赤の他人の子供でしか無かったカイツをアレハには良くして貰った。
その事には感謝しか無い。
しかし、現在のルドの町の成り立ちに深く関わっているベッケンシュタイン家の人間である事は絶対に知られてはならなかった。
知られれば何をされるか……、想像しただけで身の毛もよだつ……。
「そうか……、確かにあのハゲに知られては面倒だからね」
カイツの必死の説得が通じたのか、はたまた親子関係が些か拗れてるせいか。
カイツの主張を聞くとコレハは納得したように頷き、柔和な笑みを浮かべた。
良かった……、コレハさんが話が通じる人で。
バッ!――。そうカイツが安堵した直後、コレハは突然カイツから逃げるように駆け出した。
「ごめんカイツくん! これでも俺もルドの人間なんだ! 俺にはこの話を父さんに伝える義務があるんだ!」
コレハはそう叫びながらカイツに振り向く事は無く一目散にギルドへ向かって走り去ってしまった。
一瞬何が起こったのか理解出来ず、呆然と立ち尽くしたカイツだったが。
直ぐにコレハがカイツを油断させる為に納得した振りをしていたのだと気付き、途端に慌てた。
「フィ、フィル頭に乗って!」
「モキュ! モキュキュ?」
「誰に言ってるの? 僕とフィルが一緒に居れば世界最速だよ!」
「モキュー!」
先程まで喧嘩していたと言うのに、流石は物心ついた時からずっと一緒の二人。
カイツが危機に直面しているのだ、助けを拒む訳も無く。フィルはカイツに促された通り彼の頭の上に乗った。
二人で居れば誰にも負けない。
二人が居れば最強だ。
今の世で唯一無二、彼等だけが召喚魔法を使えるのだから。
恐れるものなど無い、恐れる必要など無い。
「風よりも早く、音すらも置き去りにする――」
そして、カイツは見事騙し通せたと余裕を抱き颯爽と駆けていったコレハを追い掛けるべく詠唱を始めた。
「ちょっとカイツくん、ライツから名前を取ったってどう言う事よ!」
「そーだそーだ! アーデンやゼーゲンなら兎も角あのバカが由来って可笑しいだろ!」
始めたのだが……、カイツが詠唱を始めた途端それまで大人しくストーキングしていた筈のバカ二人が突然カイツに詰め寄って来た。
「うわ! 何なんですか急に!」
「優しくて誇り高い? あまつさえ憧れてる? 何であのバカには憧れて私達は蚊帳の外に追いやられなきゃならないのよ!」
「リズの言う通りだ! 兄貴との付き合いは俺達の方が遥かに長いんだ! 慕うなら俺達が優先だ、蔑ろにし過ぎだろ!」
バカ二人は先程のカイツの発言を全て聞いていたのだろう。
カイツの抱くライツへの評価に怒り心頭。ゼーゲンから固くカイツには指一本触れるどころか、視界に入る事すら禁じられていると言うのに。
それを忘れ、手前勝手な言い分ばかりを並べ立てカイツの行く手を阻んだ。
もうこの二人は敵だ!
コレハさんに逃げられる前に攻撃魔法で蹴散らしてやる!
「モ、モモ、モキューーー!」
鬱陶しい二人に完全にキレたカイツは攻撃魔法を繰り出すべく詠唱を始めようとした。
その前に、あろう事か頭の上に乗っていたフィルが絶叫したかと思うと、唐突に現れたリザニエルに向かって飛び付いたではないか。
「わっ! 何急にこの子!」
「あー……、兄貴の倅の兄弟? みたいなチビ何だってよ」
「兄弟? ペット……じゃないのね」
「モキュー……、モキュー!」
リザニエルの、しかも胸に飛び付いたフィルは彼女の谷間に顔を埋め幸せそうに鳴いていた。
ちなみに彼は「おっぱい……、おっぱい!」と言っているのだが。
そんなエロ猿の言葉など理解出来ないリザニエルは、見た目だけなら愛らしい小動物なフィルが懐いて来た姿が可愛らしくて仕方が無かった。
「よーしよーし、どうしたの? 遊んで欲しいの?」
「モキュー! モキュキュー!」
フィルの頭を撫でながら優しい笑みを浮かべて胸の中で至福そうな顔をしているフィルに彼女は問い掛けた。
それにフィルは鼻息を荒げながら一際力強く鳴いて何かを催促した。
「気を付けろリズ……、あの子の話じゃそいつ相当なエロ猿らしいから」
「は? こんなに可愛いのに何言ってんの?」
可愛いのは見た目だけであって、中身はその辺のエロオヤジよりも質の悪い猿だった。
現に今も「おっぱい! もっとおっぱいで挟んでくれ!」とほざいているのだ。·
流石に彼の言葉を全て理解出来るカイツはキレた。
嫌、ブチギレた。
「おいクソ猿、お前いい加減にしろよ! もうここからお前がどんなに善行に励もうがお姉ちゃんには今回の一件報告するからな!」
「モ、モモ、モギュ! モキュー! モキューーー!」
急を要する事態だと言うのに色欲に負け、リザニエルの胸の中でクソみたいな事をほざくフィルにカイツは吐き捨てた。
カイツの言葉を聞くとフィルは途端に慌てふためいた。「か、かか、カイツ! やめてくれ! それだけは勘弁してくれ!」そう叫びながらリザニエルの胸から飛び下りると、カイツの足にしがみつき泣いて侘びた。
「このバカが! 絶対に許さない! 精々お姉ちゃんが来るまで恐怖に震えてろ!」
「モキューー! モギューーー!」
ライツの一件で我を忘れ、思わずカイツの前に出て彼に詰問した二人も。
カイツとフィルの一連のやり取りを見せられ、困惑する事しか出来なかった。
「モギャーーーーー!」
「うるさい! お前何て一遍死ね!」
小猿の絶叫と、カイツの怒鳴り声だけが響いている。
傍から見ればただの少年と一匹の猿でしか無い彼等が、この世界の魔術の歴史をこの後変えてしまう事は。
この時点では誰も知る由も無かった。
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