わたしの創作論・分析
旧星 零
悪役令嬢と、ざまあ
☆悪役令嬢ものの分類
よくある悪役令嬢もしくはざまあものでは、主に次のように分類されます。
・恋愛あまあまもの
・内政系で活躍もの
・パワー(魔法最強など)系で活躍もの
・貴族脱出もの
・経済(食べもの、雑貨を生産)で活躍もの
・ざまあ(制裁を徹底的に加える。もしくは婚約者らの悪あがきが多く描写)
(いまぱっと思い付くのがこれらでした。)
冒頭で大別した悪役令嬢ものですと、
・恋愛あまあまもの
に当たる作品として思い出したのは
「悪役令嬢ですが隣国の王太子に溺愛されています」
という作品でした。
いま挙げた作品は、細部までしっかり読んだことはないのですが、私の読んだ作品の多くは、
・恋愛×ざまあ
・恋愛×内政
・恋愛×パワー
・恋愛×経済
など、恋愛に加えてもう一つの要素がある作品でした。
恋愛一本で描く場合は、もっと甘甘な雰囲気を出しても良いのではないのでしょうか。
ざまあに必要なこと
大前提
→読者がざまあと思えること。
(ざまあは共感に似ているかも。たとえば現実に嫌な人がいるとする。もし同タイプの嫌な人が読み手の身近にもいれば、ざまあされる側にそれを投影して読むことができる。)
ざまあのコツは、段階をふむこと。何もかもを一気に与えてしまうと、それはざまあではなく、復讐ものになる。
その原因はおおまかにみっつ。
・制裁を加える側の権力が強い。
・「ざまあみろ」より「痛めつけてやる」という感情が強くなる。
・制裁される側の悲惨さの描写が生々しい。
一つめは、主人公(もしくはそのお相手)が王族などのときに起こりやすい。制裁される側と主人公の力関係、交友関係などの条件も重要。
二つめは、とくに主人公(=読者目線から見た物語)が、「この恨み晴らさねば」と憤る場合がわかりやすいです。このタイプは、人生二週目以降系の主人公に多いです。
※今書いた人生二週目というのは、同一人物に再び生まれ変わる、ということです。韓国発の作品「外科医エリーゼ」という転生悪役令嬢系も、ある意味二週目ですが、間に別の人物の人生がはさまれています。その場合も復讐ものになる流れを書くことは出来ますが、この「人生二週目以降系」では例外とします。同じ人物に連続で生まれ変わる場合は、人生二週目以降系に含まれます。ただ、たとえば「人生七週目の令嬢は」というように片手で収まりきれないくらいの場合は、主人公があまり復讐に情熱がない傾向があります。その代わり、主人公に強い感情をもった人物が、執拗に制裁を加える場合もあります。その事については、次へ。
三つめは、多くの小説投稿サイトに共通するタグ付けでいうと
「R制限(R15・R18)」「残酷な描写あり」
という、(※その要素がある場合は警告として付けねばならぬ)必須タグがついているはずです。最近の作品ですと、「悪役令嬢の中の人」など、ざまあを通り越してきっちり復讐を書き上げた作品だと思います。他の例は、多くの乙女ゲーム転生系悪役令嬢ものの短編で見かけやすいですね。
理由は、
①短編は長すぎると読まれない。
②ポイントを貰うには、それに値するインパクトが重要。(オチや、キャラなど)
※とくに短編はシリーズものや作者の知名度が高くない限り、1話限りの勝負。長編より熟慮しないと、書き初めのうちはあまりポイントが貰えない。反対に長編は、各話ごとにインパクトの差があったとしても、固定ファンは更新を待つ。結果、見事完結すれば、ブックマークやしおりのみだった方もポイントを入れる可能性が高くなる。(=いわゆる完結ブーストが起こる)
③上記二点から、短編は程よい長さかつインパクトを与えられる作品がよい。
※ここで、ギャグ(笑いを取る)方面と、シリアス(もしくはサスペンス、ミステリー、ホラー)方面の二方向に傾くことになります。ギャグ方面は独特過ぎてある意味ホラーな(人間やめてる、といった意味合いで)展開になることも。たとえば「TAS悪役令嬢もの」という作品など。
ここでは、シリアス方面を意識したもの内のの一部の場合を取り扱ってみます。
④インパクト×ざまあという組み合わせで書く。先ほど挙げた「悪役令嬢の中の人」では、ざまあのインパクトより、悪役令嬢という存在の扱いそのものにインパクトがある作品です。ですが、ざまあ復讐ものとしてもきちんと成り立つ素晴らしい作品です。
とにかく。生々しい描写になるのはこの四点の流れからだと考えられます。
では、次にざまあの『段階を踏む』ということについて書いていきます。
段階の踏み方。
レベル分けする。今回は恋愛が主軸。よって恋愛と並行して徐々にざまあを進めるのが吉。
なぜなら読者は、
「恋愛によるドキドキ感」×「ざまあによるニヤニヤ感」
の要素どちらにも惹きつけられているから。
乙女ゲーム転生系悪役令嬢ものでは、
「(乙女ゲームでの)恋の障壁になるなんてごめんだわ!」
のようなセリフをよく見かけるのですが、まさに。ざまあされ側というのは、主人公らにとって恋の障壁になります。
ざまあは、相手が反撃できないようなものか、相手の攻撃してきたものよりも大きなものでなくてはいけない。
ざまあの流れ(※一つの例です)
~主人公が虐げられる→転換点(出会い、別れ)→ざまあの準備→転換点(決別)→ざまあされ側の攻撃→転換点(ざまあ完了)
その後の物語
~主人公が再始動(夢を叶えたりする)→転換点(事件や問題発生。良いことの場合も)→軌道に乗る→転換点(物語の決着)
ざまあの段階をふむときは、感情の着地点を意識する。たとえば怪談で、「実はひとり増えていた」というのがラストで明かされるとゾッとしますよね。もし「実はひとり多い(十一人いる!、など)」と序盤で提示されている場合は、読者はそれを意識して読みますから、ミステリ的になります。
ふたつの例の違いは、「謎がはじめからはっきり明かされているか」というところです。
感情の着地点は、簡単に言うと「読者が読後に感じる気持ち」でしょうか。
ざまあにおける謎のひとつは、「何を仕掛けてくるか」という点です。相手の性格や立場から推測はできますが、仕掛けてくるまでは漠然としているでしょう。こちらは怪談とは違いますが、ざまあされ側の執着や執念にはゾッとします。
※悪役令嬢ものでよくある展開として、「婚約破棄をしたが、こっぴどくフラれたので婚約関係に戻ろう。いや、そもそも破棄なんてしていなかった」と元婚約者が言い寄る場面があります。あれなど、その考え方にゾッとしませんか?
・カメラワーク(主に描写される人物、背景の位置)が重要。
これは、ざまあの段階によって、描写されやすい人物が異なってくることから考えました。
たとえば目立たせたいのは「微ざまあ」……ここが重要。微ざまあということは、たとえば爵位はく奪などの立場を追われるものではなく。精神面でのダメージを負わせたいということ。
もし婚約者が「従順な女が良い」と言って従順さを押しつけるなら、反抗する。(ざまあされ側が主人公の家族なら、その家族に置きかえて考えてみてください)
ざまあの、私なりの解釈。
主人公を虐げてきた存在から、心身ともに解放する。(誰が解放するかはこの場合重要ではない)重要なのは、解放されたと主人公が感じること。そこでやっと精神のざまあができる。
(例として)
婚約者は「付き合ってあげただけ」と、妹に責任転嫁している場合。つまり婚約者はその「優しいところ」が原因で浮気した。
ならば、その「優しさ(この婚約者に限っては、流されやすいという方が正しい)」を否定するために主人公自身が行動するのはどうか?
たとえば、その「優しさ」を皮肉った言動をする、とか。
ざまあは、相手の反応とこちらの反応のふたつで完成します。たとえば領地没収というざまあなら。相手が悔しがり、それを一瞥する、という反応でもざまあと感じられると思います。
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