俺たちはこのセカイで生きていく

邂逅

1

 睦月七日。世間は正月休みが終わり、日常が始まっていく。

 今や古い風習になりつつある七草粥セットがスーパーで大量に売られ、そして次の日には廃棄される。

 時代の移り変わりは目まぐるしく、それについていけない人間はそのまま捨て去られるだけの、無情で温度の無い現代。


 ――神崎冬哉は、自分以外の人間に興味を抱けなかった。形だけの友人と名ばかりの恋人。それらは長続きするはずもなく、いつの間にか消えていた。それすら何とも思わない自分は、きっと人間として不完全なのだろうと諦めていた。何かを守る感情も、寂しくて恋しいという切なさも、全て分からない。


 ――いつからだっただろう。思い返せば、それは十数年前に遡る。幼いころに交通事故で両親を亡くした頃だったかな。

 まだ小学校の入学式を迎えたばかりの幼子には、過酷な現実は到底受け入れられるものではなかった。

 希望の象徴だった真新しいランドセルは、悲しみの対象になってしまった。両親揃って来てくれた式が思い出されるから。一緒にランドセルを選んだあの休日が甦るから。


 幸いにも両親は被害者で、十分な補償が保険からも国からも出た。それに加えて、堅実だった両親が残してくれた多額の貯金もあった。一先ず大学卒業までの生活費は保障されていた。

 人間不信に陥ったのは、決してこの事故だけが原因だったわけではない。幼子の心を更に抉ったのは、この後始末でのことだった。

 親戚は誰が冬哉を引き取るか、揉めに揉めて日々怒声が飛び交うほどだった。まだ幼子とはいえ、ある程度自分のことは自分でできるよう躾けられていた冬哉は、とても育てやすい子どもだったに違いない。

 交通遺児を引き取り育てていることで世間からも同情され称賛される。

 冬哉の生活費や学費を差し引いてもまだ十分な資産を自分達が手にできる可能性。たらい回しどころか、自分達が引き受けると名乗り出た親戚が多かったのである。

 勿論当時の幼子には状況など分かるはずがない。十分な説明がされないまま、強い力で手を引かれたのが数回、学校帰りに拉致されたのが数回。

 警察には何度もお世話になった。その度に年老いた母方の祖父母が守ってくれたけれど、それすら申し訳なくて身が引き裂かれそうだった。彼等だって自分の子どもを亡くしたばかりだったのに。一人生き残ってしまった冬哉に辛く当たるどころか、一緒に泣いてくれた。優しく抱き締めてくれた。その温かさは生涯忘れることはないだろう。


 ――そんな幸せも、長くは続かなかったけれど。

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