婚姻届
URABE
カルティエの婚姻届
本日、わたくしことURABEは、婚姻届の記入を無事に終えたことをご報告させていただきます。
これまでの長く苦しい人生において、一度たりとも埋めたことのない婚姻届を、この年になって記入するとは夢にも思いませんでした。感謝と感激、そして若干の恥ずかしさで一杯です。
*
わたしはどちらかというと面倒くさがりのため、書類の記入や提出は苦手だ。字がキレイではないということも関係しているが、己の直筆の文字を見るのが好きではない。
――こんなことなら、幼いころに書道やペン習字を習っておけばよかった、と思わなくもないが、今のご時世は手書きの書類よりオンラインによる申請のほうが主流なわけで、文字が整っていなくてもさほど困らない。
だが殊に婚姻届というものは、文字のキレイさよりも、いかに心を込めて自分の名前を書けるのか、ということのほうが重要だ。ほぼ一生に一度の行事ゆえ、失敗を許されない緊張感とともに、これからの未来を想像するとペンも進む。
これまでの人生で直筆を強いられることといえば、冠婚葬祭における「のし袋」や「芳名帳」への記入が思い出される。たかが自分の名前とはいえ、筆ペンを握ったことなど年に一度あるかないかの人間が、美しく文字を描くことは不可能。そのため、のし袋が必要となる度に達筆な友人へバイト代を払い、わたしの名前を書いてもらった。
「心を込めて書いた」というのは当事者の主観であり、文字を見る他人からしてみれば上手い下手の評価は分かれる。どんな言い訳を用意しようが、字がキレイに越したことはない。
日本人というのは、慣習的に文字の上手さでマウントがとれる民族だ。わたしはいつだって最下位を守っているのだが。
しかしながら婚姻届に関してはちょっと違う。最近はご当地婚姻届やファッションブランド、キャラクター仕様のオリジナル婚姻届が人気のようで、わたしはカルティエの婚姻届を渡された。
さすがは高級ブランドの婚姻届というだけあり、用紙がしっかりしている。厚紙まではいかないがペラペラしておらず高級感が漂う。そこへ、めったに使わない高級ボールペン「Caran d'Ache(カランダッシュ)」で、我が名を刻む。この感覚、悪くない――。これはアナログでしか味わえない幸せというか、人間味を感じる行為だ。
まぁなんというか、こういった書類をわたしが書き間違えないわけはない。そんなことは言うまでもなくわかっている。そして今回もきちんと間違えた。間違えたというほどではないが、番地・番・号という欄が別にあることに気づかず、住所を一行で書ききってしまったのだ。
よって、二段ある住所欄が一段空欄となってしまったのだが、大した影響はないだろう。
そして最後に実印を押印した。
「ハンコ文化なんてクソくらえ!」
という主義主張のわたしだが、婚姻届に関しては違う。じっくり朱肉をこすりつけ、上下左右に十字を切りながら印鑑を押し付ける。そして祈るように持ち上げると、今まで見たこともないような美しい印影が残された。
――終わった。
夫となる人物に婚姻届を渡すと、わたしはその場を去った。
末永くお幸せに。
婚姻届 URABE @uraberica
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます