御陵衛士編 21話 慶応元年 Ⅰ 過ぎる季節

[1]

 

 伊東兄弟が急病の母を見舞うため慌ただしく江戸に旅発ってからひと月、が過ぎようとしていた。


京の町は桜色から新緑が目に鮮やかな季節へとすっかり変わっていた。


変わったものと言えばもうひとつ。

この年、元号は元治から慶応と改まる。


そして……平助は京で三度目の初夏を迎えた。



 屯所である西本願寺

御影堂みえいどう、阿弥陀堂と本堂が並ぶちょうどその前、

境内の中心を占めるように大銀杏が左右に枝を広げ、その木陰で撃剣稽古を終えた隊士達が涼んでいる。


唐門からは全身黒ずくめの隊士達が巡察のために出ていくところだ。


平助はその様子を目の端にとらえながら毛内有之介と御影堂の広い廊下に巻物を丁寧に広げていた。

新選組が屯所としているのは敷地内の北集会所と太鼓楼と呼ばれる建物だけである。

隊士達は本堂には立ち入らない約束であったが、今日は特別だった。


寺侍の西村兼文が寺に古くから伝わる古文書を毛内に見せてくれると言う。

毛内に誘われて平助も見学させてもらえることになったのだ。


西村が書物を両手いっぱいに抱えて「毛内さん、これも調査してもらいたいのやが……」

毛内は興味深げに西村が手にする書物を受け取る。

平助も横から一緒に覗き込んだ時、ふいに境内が騒がしくなった


……原田さんか?


「十番隊、早く集合しろ!」原田が怒鳴りながら大銀杏の前に立っている。


平助の予想した通り原田の隊が巡察に出るようだ。

集まった男たちは先ほど出て行った巡察隊より遥かに騒々しく、ガラが悪いぶん質が悪い。


西村が顔をしかめた。 


西村の言いたいであろうことはよく分かる。


壬生寺のご住職も……


こんなふうに俺のことを見ているのだろう……


大砲調練での毎度の住職の嫌味を思い出して気まずい気持ちになる。


平助は目を伏せたがすぐ顔を上げた。

「……注意してまいります」


それを毛内は軽く目で制し「そういえば西村殿、西本願寺には七不思議があるとか?」


「え?……ああ、七不思議。毛内さんと藤堂さんは聞いたことは?」


「……いえ、知りません。ぜひ教えていただけますか」

原田に注意しようと立ち上がりかけていた平助は腰を下ろす。


西村は廊下の手すりまで歩を進め、大銀杏を指した。

原田が銀杏の幹にもたれているのを見て少し不快そうにするも平助たちのほうを向いて話し出した。


左右に枝を広げる大銀杏

元来、銀杏は上に伸びる習性で枝を横に広げることは無い。

横に広げた枝を地中に広がる根に例えて『 西本願寺の銀杏 』と呼ばれている。


この銀杏、それだけではない

京の町を焼き尽くす勢いだったという天明の大火(1788年)の際には大銀杏が水を吹き出し、伽藍を火災から守ったという言い伝えがある。


「たしか……去年の蛤御門のいくさの時の大火もこの銀杏の手前で延焼が止まったのでしたね?」

平助が西村に尋ねる。


あの時の残党狩り……

胸をえぐる痛みに『 これでいい 』のだと思う


これでいい……自分がしたことを忘れてはいけない


「それでは、もしかして西村殿は今回の戦でも水が吹いたところをご覧になったのでは?」毛内が勢い込む


「いえ……それは……

まあ、御仏の御加護ということでしょうな……」

西村と毛内がありがたそうに銀杏に手を合わせた。


平助も横に並んで一緒に手を合わす。


俺が斬った長州藩士……


その遺児、松太郎

……大きくなったのだろうな


火災から寺を守ったという銀杏

御利益がありそうで心の中で松太郎の幸せを祈った



「そしたら私はこれで……他用がありまして。

他の七不思議はまた別の機会に。そしたら調査のほうもよろしくお願いします」


西村はもう一度、原田たちに忌々し気な視線を送ると廊下を戻っていった。



[2]


 深夜、丑の刻

夜の巡察から戻った隊士達が床へついた頃になっても屯所の一室から小さな灯りが漏れている。


 「……伊東先生がいらっしゃれば別の見解を聞けるのだが……」

毛内が残念そうにしているのに平助も頷く


「先生からも三樹三郎さんからも何も便りがありませんね、お母上様のご容体はそんなに悪いのでしょうか」


夜の巡察から戻り隊服だけ着替えた平助は毛内の部屋を訪れていた。

西村に託された資料の調査を進めている。


大砲調練の指導、八番隊の巡察だけでなく三樹三郎の九番隊にも同行しなければいけない。

当番を決める際に八番隊と九番隊は合同任務案も出たが、土方が却下した。

「自分から進んでやりたいと言ったのだ。

配慮は無用だ……それとも配慮が希望か?藤堂」


「いえ、お気遣い無用でお願いします」土方をまっすぐ見返す。


そうだ……自分からやると言ったのだ


疲れたなどと言ってられない、伊東先生の留守をしっかり守らなければ……


「……毛内さん、ここなんですがどう思われますか」

毛内に質問しようとして顔を上げると毛内が疲れたように目を閉じている。


平助は上掛けを出してくると毛内の肩にかけた



……君尾はどうしているだろう


逢えてもすぐ戻らねばならず、ゆっくり過ごす時間も取れない。


きっとまた怒っているだろうな



鴨川で流されそうになっていた君尾に永遠を誓う言葉を告げた


その後……


河原で君尾を抱きしめていた俺はそのまま倒れ込むと意識を失った。

夕刻からすでに喉が痛み熱っぽかったのが川に飛び込んで身体が冷えたせいで悪化したらしい。

高熱を出して意識の無い俺に君尾が難儀しているところ

ちょうど三条大橋を巡回中の三番隊に発見されたと意識が戻ってから聞いた。


何ごとも無い顔ですれ違う斎藤を呼び止めた。

「……斎藤」


「……」


「面倒をかけてすまなかった……」


斎藤はそれには答えず黙って自分の頬のひっかき傷のようなもの見せてくる


「どうした?刀傷では無いな」


「……倒れているお前を放置しようとしたらお前の女にやられた。

ずいぶん躾が行き届いている」


無表情のままの斎藤はふざけているのか本気なのかわからない


「……重ね重ね、すまない」


斎藤はどうでもいいという感じで俺を押しのけて土方の部屋のほうへ向かった。



君尾には『熱が高おて死んでしまうんやないかと思った』と怒られた。


これを機に非番の日にともに過ごせる休息所を早急に持つようにとせっつかれている。

それは……心配させたことへの詫び料だとまた怒っている


「怒ってばかりいるのだな……」

そう言ってあきれてみせたものの伊東先生が戻ってこられたら良い町屋を探すと約束した。


小さくても良い……非番の日に二人でゆっくり過ごすことのできる場所が俺も欲しくなっていた


京の情勢、元号、新選組のこと……

目まぐるしく変わっていくものばかりの中で


……それでもささやかな日々は変わらないでいてくれたら……



毛内さんの様子を見る、完全に眠りに入ったようだ


俺もそっと行灯の火を消すと横になって目を閉じた。


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