第5話

「ゴメン…かおり…しばらく会えないと思う」


力のない声で天斗が言った。


「どうして?何か怒ってる?」


「いや…見せられないんだ…顔を…」


「天斗…もしかして…お願い、ちょっと顔を見せてよ!怪我したの?」


「ゴメン…かおり…君の言うことを聞かなかったから…」


天斗は薫に怒鳴られると覚悟していたが、意外な言葉が返ってきた。


「天斗…ゴメン…もしかしてあの特訓一人でやったの?私があんなの見せたばっかりに…大怪我したんでしょ?見せてよ…」


天斗はためらいながらゆっくりと手を伸ばす。カチャ…玄関の鍵が開く音がした。天斗の顔を見た瞬間、薫は息をのんだ。左頬辺りが大きく腫れ上がり紫色に変色している。


「天斗…それって…骨折れてない?」


そう思うほど酷い腫れかたをしていた。


「わからない…でも…凄く痛くて学校休んだんだ…ずっとずっと痛くて…ゴメンかおり…」


薫の小さい体が天斗を抱きしめていた。そして号泣しながら


「ゴメン!ゴメン!ほんとにゴメン天斗!私のせいだよ!天斗ゴメン!」


「違うよかおり…俺が…俺が…」


天斗はこれまでずっと誰かに迷惑をかけると責められる怖さと自分を責める癖がついていて、こうして人に同情されることになれていなかった。


「天斗!病院行くよ!兄ちゃんに言って連れてってもらうから!」


薫が天斗の手を掴んで引っ張って行こうとした時


「ダメだよかおり…病院なんか行ったらお母さんに怒られちゃうもん…今日学校を勝手に休んだことでも怒鳴られたから…」


「あんたの親はその怪我のこと知らないの??」


「ううん…言えないよ…怒られちゃうから…」


「そんな親要らないじゃん!いいから行くよ!」


そして無理やり天斗を連れ出し家に連れていく。しかし透の姿はない。


「兄ちゃん?兄ちゃん?兄ちゃん居ないみたいだ。あっ!可奈子姉ちゃんに頼もう」


薫が家の電話に手をかけたとき


「おう薫、今日は早かったな…」


透が買い物袋を手に提げ家に入ってきて、天斗が立っているその姿を見て


「どうしたんだその顔!また誰かにやられたのか?」


「違うの兄ちゃん…私が…私が悪いの…」


「いったい何が…あっ!まさかお前!」


薫がビクッとした瞬間


「やっちまったのか…あれを…」


「兄ちゃん…ゴメン…」


「お前…さすがにあれはマズイだろ!お前の必殺かかと落とし!」


「違うわ!誰がこんな弱い子に必殺技使うか!」


「黒崎~…ほんとこいつは窮地に追い込まれると、かかと落としで数々の男達をマットに沈めて来たんだよ…」


「兄ちゃん!そんなことより天斗の怪我!」


「おう…そうだったな。お前それ…骨折してんじゃねーか?」


二人からそんなことを言われて段々と天斗も尋常じゃない痛みが骨折なのかと思えてきた。


「わからない…でも痛くて痛くて眠れない…」


「病院行って無いのか?連れてってくれなかったのか?」


「居なかったから…昨日も…」


「き…昨日って…とにかくその話は後だ!すぐに病院行くぞ!」


三人はすぐに家を飛び出し一番近くの病院に入った。透が真っ先に


「あの!こいつが顔骨折してるかもしれないんだ!早く診てやってよ!」


受付で必死に訴える。


「まぁ!酷い怪我!大至急先生に診てもらいましょ!さ、君はこっち来て」


看護師が天斗をすぐに中へと通す。そして透に


「君はお兄さん?保険証ある?お父さんかお母さんは?」


「俺はあいつの兄弟ではないし、あいつの親もこの事は知らないんだ!しかも怪我したのは昨日だって!だからとにかくすぐに治療して!」


「困ったなぁ…あの子の親と連絡は取れる?保険証とか持ってきてもらわなきゃならないし」


「あいつの親は全然家に居ないらしくて…」


看護師が不審に思ったのは言うまでもない。明らかに小学生低学年くらいの男児が前日に大怪我をして、それを親が知らないというのは明らかに普通の家庭環境ではないと思った。


「あの怪我の原因はわかる?」


看護師が透に問いかける。


「それは…」


透が言葉に詰まったとき薫が横から


「あれは私が悪いの!私が天斗を怪我させちゃったの!」


「ねぇ、お嬢ちゃんお名前は?」


「矢崎薫…私が…悪いの…」


「こっちで詳しく聞かせてくれる?」


看護師が受付カウンターの奥の方へ二人を入れた。


「あの子は黒崎天斗。最近友達になったの。それで、強くなりたいから特訓の方法教えてって言われて…一人でもできる方法を見せちゃったの…」


「それはどんな方法かなぁ?」


優しく問いかける。


「それは…」


チラッと薫が透を見て


「バッティングセンターでギリギリでボールを避ける練習…」


「おっ…お前…あれをあいつにやらせたのか?」


「ゴメン兄ちゃん…絶対やっちゃダメだよって強く言ったんだけど…ゴメン…」


看護師が目を見開いてこの兄妹を見ていた。そんな危ない遊びをこの兄妹はやっているの?

そして看護師が本題を切り出す。


「ねぇ、あの子の親に連絡付かないかなぁ?もし連絡付かないなら、警察に連絡して調べてもらうしか無いんだけど…」


「天斗は…親に知られたら怒られるって言ってた。だから親には言わないであげて…」


薫は必死で訴えたがそれが裏目に出てしまうことになる。


「どういうことかなぁ?あの子のご両親は家に居ないとか、このことを知らないとか、知られちゃいけないとか…それはちょっと凄く問題があるからやっぱり警察に連絡しなきゃいけなくなっちゃうの」


「もし治療費が必要で、それが困るって言うなら俺ん家が代わりに何とかする!約束する!だから…警察とか呼ばないでよ…」


透も必死に天斗をかばおうとする。

そのとき包帯をぐるぐる巻きにした天斗が薫達の所へ連れられてきた。


「かおり…とおる君…ゴメンなさい…」


「天斗!どうだった?」


薫が天斗の手を取って心配そうな眼差しで聞いた。天斗は神妙な表情でこの先のことを心配しうなだれていた。

看護師同士が何かこそこそと話して、先ほどまで薫達に話を聞いていた看護師が透に向かって


「今、この子のお母さんが来てくださるらしいわ。色々お話があるからあなた達はもう帰っていいわよ!」


「こいつを一人にしたら、こいつがもっと辛い目に合うじゃないか!俺は一緒に話を聞くし、こいつから離れない!」


透は一歩も引かないという強い意思で看護師に訴える。そして待つこと30分ほどして天斗の母親が現れた。天斗の顔を見るなりいきなり怒鳴りだした。


「あんた何でそんな怪我して言わなかったの!あれほど人に迷惑かけるんじゃないって言ってあるのに!学校も勝手に休むし!あんたがそんなんだからお母さんが恥かいちゃうじゃないか!さ、帰るよ!」


そう言って母親が天斗の手を掴んで連れて帰ろうとするのを透が立ちはだかって


「ちょっと待ってよ!どうしてこいつがこんな大怪我してるのに心配の一つもせずにいきなり怒るのさ?それに、こいつの怪我は昨日の午前中なんだぞ!どうしてそれを親が知らないのさ?学校を勝手に休んだって?天斗は昨日からずっと家で一人だったんだろ?俺達昨日天斗の家に夜行ったんだよ!でも誰も出て来なかった。こいつはずっとこの酷い痛みの中一人で堪えてたんだよ!子供が親に迷惑かけるのがどうして悪い!」


看護師達の目の前で子供に怒鳴られた母親はバツが悪くなり何も言わずに天斗の手を引いて去ろうとする。そのとき医師がこの騒動を見て割って入ってきた。


「ねぇ奥さん、この少年の言うことはなかなか筋が通っていると思わんかね?子供が親に迷惑をかけて何が悪いのか?子供ってのはたくさん失敗して親に迷惑かけて成長していくもんさね。家に連れて帰るのはけっこうだが、先ずは子供の心配が先だろう。その子はね、頬骨に少しヒビが入ってる。骨折だよ。そんな大怪我して小学低学年の子が治療もされずにほったらかしにされて、ちょっとあまりにも可哀想なんじゃないかい?」


穏やかな口調で諭す。天斗の母親も冷静さを取り戻し天斗の包帯ぐるぐるの顔を見て


「天斗…一緒に帰ろ?」


そう優しく語りかけた。天斗はゆっくり頷き母とこの場を出る。受付で会計を済まし薬局で薬を受け取って出たところで薫が待ち構えていた。


「天斗…ゴメンね…」


泣きそうな表情でそう言った。


「かおりが悪いわけじゃないよ…俺の方こそゴメン…」


そう言って振り返り母親と天斗は家へと歩きだした。


「兄ちゃん…ありがとう…天斗…大丈夫かな?」


「わからない…だけど、もしあいつの親が変わらなかったら俺があいつを守ってやる。あいつは…お前の親友だからな!」


次の日から天斗は通院する毎日が続いた。病院にはちゃんと母親が付き添っているらしい。


「かおり…昨日はありがとう!かおりと透君のお陰で、お母さん少しだけ優しくなったよ。昨日は晩御飯一緒に食べてくれたし、朝も見送ってくれたんだ」


「そっか…良かったね…痛みはどう?」


「痛み止めもらってるからだいぶマシ…透君…必死で俺のことかばってくれた…俺…今まであんな風に助けてもらったこと無かったから…いつか透君が困ってる時は必ず俺が…」


「天斗…兄ちゃんいつも言うんだけど、誰かに受けた恩は本人じゃなくてもいいからそこで困ってる人を助けろ!見て見ぬふりするような卑怯な人間にはなるな!って…きっと兄ちゃんが困ってる状況の時は、私や天斗にはどうにも出来ない時だよ…だって兄ちゃん困ってる姿見たこと無いもん。全部自分の力で解決しちゃうんだ。そういう時の兄ちゃんは凄く怖いよ…」


「透君って凄く大人だね…」


「父ちゃんがそういうのいつも教えてるんだと思う…私は女だからあんまり言ってこないけど…」


怪我が治ってからは天斗は毎日薫に特訓を受けた。毎日空手の技で蹴られ、殴られ、並の精神力ではとても耐えられないほど受け続けた。しかし天斗にはその痛み以上に幸せを感じていた。いつも本気で自分と向き合ってくれる友達。優しさや愛情を感じることの幸せ。人の為に、誰か困ってる人を守る為の強さ、どんなことにも屈しない強さを求め、天斗は毎日厳しい特訓を楽しんだ。


そして時は過ぎ、薫と天斗は小学5年生、透は中学2年になった夏のある日、薫と天斗がいつものように放課後に落ち合って河川敷に着いたとき、高校生くらいの集団が目に入ってきた。

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