第7話医学部を卒業する時の選択

父親が言っていた。

 

医学部を卒業する時、専攻を選択できる。

今は脳外科と整形外科の専攻を選ぶ人が多いだろうと。

開業するには無収入で十年は研修医として大学で専攻したことを学ぶ。

うちの父親ははっきり分かっている事ははっきり言うタイプであった。

正直言えば、十年くらい専攻したものを学んだところで知識と経験は全然たりない。だから開業してすぐの病院には行かない方が賢いと。


当然、脳外科と整形外科が増えると言う根拠としては少子高齢化のことを言っていたわけだが、心療内科はまた別分野ではあるが

日本での心療内科はまだまだ発展途上国でありさらに増えることは確実だろう。


心療内科の場合は特に患者に選択肢が強いと言える。

極端な話、話していてイライラするような医者ならすぐ変えるのがいい。


私は昔、東京にいた頃は中目黒に住んでいて父親は二つの大学を卒業しているほどの暇人であったから昭和大学と昭和医大を卒業していた。


 昭和医大は合わなくて一回で変えた。他にも2カ所ほど行ったがいまいちな医者であったため変えた。現在も恵比寿にあるクリニックは話しやすい医者で通常よりも少し長く話してくれるためそこに決めた。


 再びそこに行こうと思ったら私を担当していた医者は今はいないと言われた。

保健士さんの勧めで通い出した院長は私の記録をみて、私を担当していた医者を知っていた。居ない内情も知っていたことや、彼を賞賛する言葉から見て親しい間柄なのだと思った。彼は現在、外国に居を構えてさらに勉強しているとのことだった。


海外のほうが遥かに発展しているためと、話していて気持ちが落ち着くので当時は多くの患者が通っていた。名前を変更せずに恵比寿でまだクリニックを開いているということは修業だと考えると10年ほどは行くだろうし、名前ごと売る場合もあるのでどちらかだろう。


現在の心療内科は薬を処方するだけの所が多い。酷いところになると1、2分くらい話して終わるところも多い。それに加えて医者の才能が一番明確にわかる分類の医者だと言える。機材も必要ないし、話し手の能力が執刀医並みに出てくる。

故に、リスクも少ない上に必要機材もいらないので増えるのは合理的だと言える。


患者と医者どちらもそれを望んでいることが問題だ。患者は薬が欲しい、医者は早く回したい。薬だけに頼っていては治ることはない。自分自身で試行錯誤することが大事なのではあるが、今でさえ高齢者がよく運転して事故を起こすことがよくある。


一応処方には書いてはあるが、高齢者が薬を飲んで運転した場合かなり危険だとはっきり言える。問題が山積みだが私たちはこの時代に生まれた。

適応し、しっかりとした選択をするためにも何か趣味を持つといい。


話の冒頭に戻るが、小児科や産婦人科は減りまくっている。地方の田舎などでは無いほどの事態になっている。動物病院は東京に関しては例外だが、地方では増えてはいる傾向が強い。


この二つの科を何とかしないとまた歯医者のように、逆パターンではあるが収集がつかなくなるだろう。


産婦人科が一番厳しい。医者の力量があっても不運が続くと慰謝料二回払えば潰れる。私の地元であった本当の話だ。日本だけではないが特に多くの課題があるのは日本だと言える。

コロナの影響は日本は世界から見ればほとんどないと言えるほどだが

父親は最後によく言っていたのは、医者が食べていけない時代がくるとは思わなかった。とコロナ前によく言っていた。


日本人は海とアメリカに守られている意識が低い。実戦経験もない自衛隊はいるが兵器だけは世界でトップクラスだが果たして実際に戦争になったらどうなるかは何とも言えない。アメリカは実戦慣れしていても”心的外傷後ストレス障害者”は多くの人がかかっている。


もう少し何もかも現実を見て行かないと、右から左へのように簡単にはいかない問題が多い。政治家と建設業者との関係も終わりがないが、政治家を目指すなら国と国民を一番に考えて自らは未来の土台だと認識するくらいでないといずれ終わる時が来るだろう。


 私は運よく世の中の歴史背景や裏事情を3世代の流れを見ることができた。

私で四世代目であるが、昔は気の合う仲間と次に来る大嵐では我々の時代だとよく話したものだ。


今の私の精神ではそれほど役にはたたない。私たちの次の世代が活躍する時代になるだろう。そのためにも我々はしっかりと生きなければいけない。

上が役立たずで不安を下に感じさせるようなことは絶対にあってはならない。


私は特に誰かの背中に憧れを抱いた人は、遠縁の叔父になるだろう。

彼が弱音を吐いたのは聞いた事も見た事もない。最後に合ったのは死ぬ前にお礼を込めて会いに行ったが、予定は変わって東京で生きている。

叔父さんも色々大変なのは知っている。だが彼は弱音は一切吐かなかった。

それほど悪い状況でありながら彼は現在も人生を楽しんでいる。


一年の三分の一は海外で過ごし、英語も堪能でPCにも詳しく

大変な日々の中、通常ではありえないくらい時代についていっている。

彼に最後に一つだけ質問をした。

「叔父さん、〇君たちの事を今はどう思っているの?」

私の事情を話す訳にはいかなかったので微妙な返答しか聞けなかったが、

おばさんは不治の病の一つを抱えている。それでも家事も買い物も何から何まで

叔父さんが高齢になってから覚えたことも多い。

本来なら必要ない百均の良い品とか、どうすれば美味しく作れるかなど

彼は第二の人生を本当に歩んでいる。

悔しいが彼にはまだ私では勝てない。それが嬉しくもあるのはまだまだ私が歩んでいる道は長いからだろうと今はそう思う。

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