第624話 聖女の嘘
『 オハル 』
何だろう……?
でも……
この言葉を知っている。
私は……
この言葉を言った人に会いたい。
***
議会場に……
退出して行ったアルベルトと入れ替わりに、赤いローブを着た爺軍団が乱入して来た。
「 殿下と妃様を婚約破棄させるとは…… 」
「 殿下は妃様にしか子種を注がぬと申しておろう! 」
「 側妃なんぞいらんわ! 殿下が猛るのは妃様だけじゃ! 」
爺軍団が怒り狂って大臣達の胸ぐらを掴んで、引き摺り回している。
「 婚約破棄を申し出たのは、その妃様ですから…… 」
……と、いくら言っても爺軍団は怒りで聞く耳を持たなかった。
「 愛し合う2人を引き裂きおって! 」
爺達の中には騎士を引退した爺もいて。
爺軍団は妙に強かった。
この議会場は先代の皇帝の時代は、爺軍団の中の何人かはこの場で議論をしていた。
「 父上! 止めて下さい! 」
そんな声も飛び交っていた。
爺軍団が入室して来た扉からアルベルトの後を追おうとしていたクラウドやエドガーは、逃げる議員達が扉に殺到した事から、直ぐに扉から外には出られなくなった。
ラウルやレオナルドも爺軍団の乱闘に巻き込まれてしまっていた。
その後……
数人の爺達はロナウド皇帝の前に行き、そこで土下座をして頭を下げた。
「 陛下! この老いぼれの臓物と引き換えに、殿下と妃様の婚約破棄を撤回して下され! 」
「 老いぼれの臓物なんぞいらんわ!!爺!落ち着いて話を聞け! 」
ロナウド皇帝が爺達を冷静にさせようとするが、頭に血が上った爺達は聞く耳を持たない。
いや、耳が聞こえにくいのかもしれない。
もしかしたら、これは呆けの始まりかと皆は思っていて。
「 ルーカス! お前が間違った道を進む陛下を正すべき立場なのに何をしてるのじゃ!? 」
「 死んだブラッドが草葉の陰から泣いておるわい 」
そう叫びながら爺達はルーカスを睨み付けた。
ブラッドとはルーカスの死んだ父親の名だ。
暫く振りに聞く亡き父親の名前にルーカスはハッとした。
爺達は……
泣きながら自分の腹を出して短剣で刺そうとし出した。
「 陛下~どうか殿下と妃様を~ 」
護衛の騎士達やデニス、ルーカス、イザークが必死に止めるが、爺達の力が強い強い。
後方では……
「 成敗してくれるわ! 」と他の爺達が暴れまわっていた。
ワーワーギャーギャーと手のつけられなくなった爺軍団。
遂に、皇帝陛下の皇宮騎士団特別部隊まで出動する羽目になり、取り押さえられた爺軍団は、縛り上げられ牢屋に放り込まれたのだった。
直ぐにルーカスが牢屋にまで赴き、爺軍団に事の詳細の説明をした。
その結果、聖女の側室の話が取り消された事も。
自分の息子のラウルやエドガー、レオナルドが先程議会場で陛下や我々に進言したと言えば……
流石は悪ガキ共だと言って大層喜んだ。
有り難かった。
爺軍団が怒りを露にして暴れまわってくれた事が。
今まで娘の事だとして、何もしなかったルーカスは己を反省した。
冷静になった爺軍団は……
今度は暴れ回ったから腹が減ったと騒ぎだし、皇宮の食堂の『特上スペシャルランチ』を牢屋に持って来いと要求していると言う。
***
「 レティに……会いに行く 」
議会場でアルベルトがそう言った理由をラウル達は分かっていた。
食堂の前ですれ違ったあの時に……
「 今の……美しい令嬢の名は何と言う? 」と、アルベルトがラウル達に聞いて来たのだ。
アルベルトが記憶を失ってからは……
当然の如く沢山のお見舞いの申し出があった。
大臣達や議員達や地方の有力豪族は、スルー出来る筈もなく面会を許したが、その中には大体年頃の令嬢達が一緒だった。
記憶を失ったから……
もしかしたらいけるんじゃ無いかと思っているのか、その令嬢達がこぞってアルベルトに秋波を送って来ていて。
まあ、それも今までの殿下の日常だった事から、記憶を取り戻すには多少の刺激になると主治医から言われて、令嬢達の面会を許可されていたが。
アルベルトは……
記憶を失う前と同じで、そんな令嬢達には全くの無関心であったが。
そんな中で、後にも先にもアルベルトが興味を示したのは、食堂の前ですれ違ったレティだけだった。
「 やっぱりな 」
「 もうこれは本能だ! 」
「 うわ~アルのレティへの愛は重いわ~ 」
3人はそう言ってハイタッチをしながら喜んだ。
思い出すのも近いと言って。
その後にアルベルトとレティが会ったらしいが。
ラウル達はその時に、2人の間で何かあったのだろうと思っていた。
その翌日にレティは婚約破棄をしたのだから。
ラウル達は、聖女が必要以上にアルベルトに近付いている事も気になっていた。
「 あの女……レティと同じ装いをして何をしたいんだ? 」
それにいち早く気付いたのはレオナルドだった。
アルベルトは聖女を見下ろし、聖女がアルベルトを見上げて2人で話している様は、アルベルトとレティを彷彿させるものだった。
「 確かに……気持ち悪い程レティに似せてる。レティが何時も頭に付けてる髪留めも一緒だよな! 」
アルの瞳の色と同じだと、エドガーが興奮気味で言う。
「 レティはな、アルから初めて貰ったプレゼントだと言ってたぞ 」
「 アルが自分の瞳の色を他の女にプレゼントする訳は無いから……あの女はわざわざ自分で買ったのか!? 」
3人は……
女の執念に怖くなった。
そして……
レティに成り済ましてまで、アルベルトの寵愛を得たいとする聖女を哀れに思うのだった。
***
議会場から抜け出したクラウドやラウル達3人は正面玄関口に向かった。
玄関口は帰宅する議員達の馬車でごった返していた。
ジジイ達が議会場で暴れたからで。
「 殿下はここを通ったか? 」
クラウドは玄関口にいる警備員に聞いたが、アルベルトの姿は見ていないと言う。
「 アルは……皇太子宮のレティの部屋に行ったのかも知れない 」
レティは昨夜に公爵邸に戻って来ているのだと、ラウルは言った。
「 えっ!? 昨日の内に皇宮を出たのか? 」
「 ああ、あいつは猪突猛進タイプだからな 」
こうと決めたら何でも早いのだと。
議会場で……
お前がレティは皇宮にいないと言っていた意味がやっと分かったよと、エドガーとレオナルドが両手を広げて肩を竦めた。
クラウドも知らなかった事だから、当然ながらアルベルトも知らない筈だ。
皇太子の執務室が2階の政治エリアに移った事から、クラウドは皇太子宮には安易には行けなくなった。
なので、皇太子宮にいる侍女達との連絡がスムーズにいかなかったのだ。
「 俺がアルを迎えに行って来る! 」
アルベルトの護衛騎士であるエドガーは、皇太子宮への出入りは認められていた。
クラウドは反省をしていた。
御成婚の日を2ヶ月後に控え、それだけでも忙しい最中に、主君の記憶が失う事になった。
記憶を失ったアルベルトの事ばかりを重んじて、レティの事にまでは気が回らなかったのだ。
これは……
ある意味仕方の無い事なのだが。
最愛の殿下の記憶が失くなって、ショックを受けない訳が無い。
もっと彼女に気遣ってあげるべきだった。
タシアン王国のコバルト王太子に寄り添い、来国して不安な聖女に寄り添う様に、殿下に進言していたのは彼女だったのに。
ショックを受けているであろう彼女には……
誰も寄り添う事は無かったのだ。
まさか……
婚約破棄を言い出すとは思ってもいなかった。
どんな事があっても……
2人には強い絆があると信じていたのだから。
リティエラ様。
大丈夫です。
殿下は……
もう貴女の事が気になっております。
最愛の貴女を忘れたままでいる訳が無いんですから。
それにしても……
悪ガキ達の成長にクラウドは目を細めていた。
つい先日には、ショック療法だと言って、アルベルトの頭に石をぶつけ様としている所を見付け、どやしつけた所だったのだ。
相変わらずハチャメチャな悪ガキ達で。
しかし……
議会場で堂々と意見を言うラウル。
口は悪いが……
どんどんと大臣達を論破して行く姿は、これはもう宰相の器なのだと確信した。
流石はウォリウォール家の嫡男だ。
それを言うならリティエラ様もだが。
彼女が皇太子妃になり皇后陛下になれば、新しいシルフィード帝国になるのだと胸が踊るのだ。
だから……
殿下……
早く記憶を取り戻して下さい。
***
アルベルトは……
直ぐ上の階にある皇太子宮に行く階段を駆け上がり、自分の部屋の斜め前にあるレティの部屋に向かった。
クラウドや侍女長のモニカ達から聞いていた。
この部屋には2ヶ月後に挙式を控えた婚約者が暮らしているのだと。
ドアをノックする。
何故かドキドキと胸が高鳴って。
早く会いたいと思う気持ちが抑えられない。
「 はい…… 」
しかし……
中から出て来たのは……
サリーナだった。
サリーナは『 シルフィード帝国皇太子殿下御成婚物語 護衛騎士達から見たお2人の愛の奇跡 』の本を熟知していた。
それから……
劇場で上演されている劇も、侍女のリナとルナと一緒に何度か観に行った。
この本は婚約式までの日の事だが……
2ヶ月後の御成婚記念に発売される予定である、『 シルフィード帝国皇太子殿下御成婚物語 護衛騎士達から見たお2人の愛の奇跡 第2巻 』を手に入れて、サリーナは読んでいた。
この本はレティが学園を卒業するまでの話になっていた。
クラウドの予定では結婚式までの物語を載せる筈だったが。
しかし……
あまりにも色んな出来事があり過ぎて、一冊の本には収めきれず、学園を卒業してから結婚までの話は第3巻に載せる事になったのだった。
「 私の料理クラブが終わると何時もアルベルト様がベンチで座って待っていてくれて……そのベンチは何時しか皇子様のベンチと呼ばれる様になっていたわ 」
「 学園際の時に酔っ払った暴漢に、女生徒が教われていた時には私が助けたの 」
「 シャンデリアが落ちるのを防いだのも私。持っていた矢で魔石を射たのよ 」
勿論、突き詰めれば直ぐにバレる嘘だった。
しかし……
何の記憶の無い、空っぽのアルベルトにとってはサリーナの話は楽しかった。
サリーナの話す色んな2人の話を、嬉しそうに聞いていたのだった。
記憶を失った者に、間違った記憶を植え付けるのは一番やってはいけない事だった。
だから、昔話はなるべくしない様にしていたのだ。
話す者の視点が変わると、全く違う話になるのだから。
そして……
サリーナはこんな事をアルベルトに言っていた。
「 アルベルト様と婚約者様は政略結婚みたいですね 」
「 アルベルト様に会いに来ない婚約者様は、やはり愛が無いみたいよ 」
罪悪感はあるけれども。
お姉様が会いに来ていないのは事実。
アルベルト様が私の物になるのなら……
どんな嘘もつき続けるわ。
アルベルト様はどうせ記憶を失っているのだから。
私の事でいっぱいに塗り替えてあげるわ。
サリーナは……
シルフィード帝国に来てからどんどんと変わっていった。
アルベルトが記憶を失ってからは特に。
それは……
悲しい程に。
この日の朝に……
昨夜の内にレティが皇宮を出た事を知らされた。
侍女のリナとルナが朝食を運んで来る為に厨房に行くと、皇宮のメイドと皇太子宮のメイドが話をしているのを聞いたと言って。
「 婚約破棄を告げたのだから当然よね 」
「 じゃあ、リティエラ様がいた部屋に、聖女様が住めば良いわ 」
そうしてサリーナ達は、レティがいた部屋に下見に来ていたのだった。
この日の議会で……
正式にアルベルトの花嫁になる事が決まると思っていた。
ミレニアム公国の公子達もそうである様に。
「 そなたは……何故ここに? 」
「 お姉様はもう出て行ったわ。これからは私がここに住もうかと思って…… 」
驚くアルベルトにサリーナは抱き付いた。
「 これからは私が婚約者です! 」
……と言って。
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