第622話 ミレニアム公国の誤算
「 君は……誰? 」
私を押しやりアルベルト様の前に立ったお姉様。
気の毒だった。
ショックでずっと立ち尽くしていて。
「 アル! 余が分かるか? 」
「 アルベルト……本当に何も覚えてませんの? 」
「 殿下……リティエラ様が分からないのですか? 」
両陛下やクラウド秘書官が幾度と無く尋ねても、アルベルト様は首を横に振るだけだった。
その後……
皇后陛下が、呆然としているお姉様の肩を抱いて部屋を出て行ったのだけれども。
私はこの皇后陛下が苦手。
何時も蔑む様な目を私に向けて来る。
やはり他国の王女だった皇后陛下とは上手くはやれない。
正妃がお姉様で良かったと本当に思う。
サリーナは……
嫁姑関係はレティに任せて、自分はアルベルトの寵愛を得る事のみに専念しようと思うのだった。
シルフィード帝国の皇太子殿下が、限り無い愛を注いでいる公爵令嬢の事は最早世界でも有名だった。
サリーナも、あの『皇太子殿下御成婚物語』の愛読者なのだから。
だから……
そんなレティになりたくて、どんどんレティに似せていった。
サリーナも村では一番の美人だと言われていたが……
あの真っ白な陶器の様な肌に、艶やかな亜麻色の髪を持つレティの美しさは比では無かった。
レティは……
何時も頭のトップをアイスブルーの宝石が飾られたバレッタで留めていて、その亜麻色のサラサラの長い髪を垂らしていた。
医師として白衣を着用した時と、虎の穴での研究をする時には、髪を後ろで1つに束ねていたが。
ドレスは踝までのワンピース姿が多く、何時もワンピースに合わせた色のショートブーツを履いている。
サリーナはそんなレティと、同じ髪型、同じ様な服装をしていた。
髪の色こそ違うが……
皇宮に呼び寄せた宝石商人からアイスブルーの宝石のバレッタを買い、それを頭のトップに留めた。
アイスブルーの宝石はアルベルト様の瞳の色。
恋人に自分の瞳の色と同じ色の宝石のアクセサリーをプレゼントするのは、ミレニアム公国でも同じだ。
お姉様のバレッタはアルベルト様から贈られた物。
「 私も……私もいつか、アルベルト様の瞳の色の宝石をプレゼントして貰いたい 」
そうしてサリーナは……
アルベルトから寵愛を貰う為だけに精を出すのだった。
聖女の仕事なんかそっちのけで。
レティに似せたサリーナは幾度と無くアルベルトに会いに行っていた。
アルベルトは……
自分の目を見える様にしてくれたサリーナに、とても感謝をしていて。
聖女が現れれば、シルフィード帝国の側妃になるのが慣例だと言う事を大臣達から聞かされてからは、リハビリがてらに2人で庭園で散歩をしたり、食事を一緒に取ったりもして逢瀬を重ねていた。
お姉様を忘れたアルベルト様は……
私にとても優しい眼差しを向けてくれる。
逢瀬を重ねる毎にサリーナの気持ちがどんどんと揺れ動いて行き、このままずっと記憶が失ったままだったら良いのにと思わずにはいられなかった。
この日……
アルベルトがレティと会ったと聞いたサリーナは動揺した。
人と会う事で少しずつ消えた記憶を思い出していると聞いていた事から、アルベルトがレティの事を思い出したらと思うと、居ても立ってもいられなくなった。
思い詰めたサリーナは……
アルベルトのいる執務室へと向かった。
「 アルベルト様、お話があります」
「 入れ 」
執務室の文机に向かって座っていたアルベルトが顔を上げ、入室して来たサリーナにソファーに座る様に言った。
運良く執務室には誰も居なくて、サリーナはソファーに座りアルベルトを見つめた。
最近はずっと執務室を訪ねて来ていたが……
何時もクラウドや女官達がいて、直ぐに追い出される事から思う様には話せなかったのだが。
「 少しだけ待っててくれないか 」
そう言って熱心にペンを走らせるアルベルトは、やはり記憶が少し戻って来ているのだと思った。
俯いた顔が美しかった。
時折り顔を上げて書類をじっと見つめて。
この綺麗なアイスブルーの瞳が、彼女を見たのだと思うと胸が痛くなった。
「 待たせたね 」
椅子から立ち上がり、近寄って来るアルベルトに駆け寄ったサリーナは……
アルベルトに抱き付き、腕を腰に回した。
「 !? 」
「 私に……少しで良いからアルベルト様の寵愛を下さい 」
驚くアルベルトに、サリーナはその逞しい胸に顔を埋めた。
突き飛ばされても構わない。
会えば会う程に自分の気持ちが押さえ切れなくなっていた。
アルベルト様をお姉様と分けると言っていたサリーナだったが。
その優しい瞳を。
その素敵な声を。
この逞しい胸を。
いつしか独占したいと思う様になっていた。
アルベルトは少し間を置いて。
優しくサリーナを抱き締めた。
ああ……
アルベルト様が私の思いを受け入れてくれた。
私は……
罪人にならずに済んだ。
実は……
アルベルトが拒絶をしたら、サリーナはもう一度浄化の魔力を掛けるつもりでいた。
アルベルト様の記憶を消したい。
いけない事だと分かってはいたが。
アルベルトがレティをどんなに寵愛しているのかを、目の当たりにしていたからこそ、アルベルトの記憶が戻るのが怖かったのだ。
***
そんな矢先。
この婚約破棄騒動が起きたのである。
婚約破棄の話は直ぐに皇宮に広がった。
その時、傍聴席にいたミレニアム公国の公子達は大いに喜んだ。
本来ならば……
重要な会議に外国人の傍聴は認め無いが、聖女に関する事だからとして無理矢理に座っていたのだった。
「 凄い……聖女がいれば帝国を自由に出来る 」
何でも我々の思い通りになるのだからと言って笑いが止まらなかった。
「 兄上! これはもしかしたら、2ヶ月後の御成婚式はサリーナが花嫁に取って代われるのでは? 」
「 あの生意気な公爵令嬢が、花嫁をサリーナにすげ替えろと言っていましたしな 」
皇太子が記憶喪失になった事は彼等にとっては喜ばしい事だった。
あれだけ側妃は必要ないと言っていたのに、サリーナを側妃にする事を了承したのだから。
「 あの公爵令嬢にかなり入れあげていたから、記憶喪失様々だな 」
ファッ、ファッ、ファッと6人が同じ顔で高笑いをするのだった。
「 それに、ウォリウォール宰相が辞表を出したらしいぞ 」
「 あの、切れ者のウォリウォール宰相が婚約者の父親である事が幸いしたな 」
議会が開かれている間は、何時ひっくり返されるのかとびくびくしていたと皆は笑った。
ルーカスは……
レティの事に関しては何時も何も発せず静観していた。
身内の事だからと言って。
その後……
6人が酒盛りをしている部屋にサリーナを呼び、皇太子殿下と公爵令嬢が婚約破棄をした事を告げた。
「 喜べ! お前が2ヶ月後の結婚式で、花嫁になるかも知れないぞ! 」
「 少しは礼儀作法を習っておけよ 」
公子達はご機嫌だった。
明日の議会での決定が楽しみだと言って。
それを聞いたリナとルナはもろ手を上げて喜んだ。
そして……
結婚式の事を考え始めた。
「 ウェディングドレスは、リティエラ様に用意されたのを着れば良いですわよね? 」
「 聖女様はリティエラ様と似ている体型ですから、ピッタリだと思いますわ 」
「 でも……それはお姉様のであって…… 」
サリーナは既製品でも構わないと言った。
「 ウェディングドレスは既製品では売ってませんわよ!それに今からオーダーなんかも出来ないし 」
「 ましてや外国からも来る大勢の招待客の前で、帝国の花嫁が安っぽいウェディングドレスなんか着れないわ 」
リナとルナはそう言うが……
平民であるサリーナはオーダーと既製品の違いが分からなかった。
「 早速、皇太子宮の侍女長に打診してみますわ 」
「 そのまま皇太子夫婦の部屋にも通して貰いましょうか? 」
「 聖女様は皇太子妃になるんだからあの部屋に入れる筈よね 」
あの部屋だけは、侍女長が断固として入らせてくれなかったのだと言ってリナとルナが口を尖らせた。
夢みたい。
私が……
皇太子妃。
抱き締められた時の事を思い出すと、胸のドキドキが止まらなくなる。
サリーナは皇太子殿下の横に並ぶ自分の姿を想像して……
胸を熱くするのだった。
***
雨の降る夜……
レティは公爵家に帰る馬車に揺られていた。
20歳の誕生日の日に皇宮に入内した。
あの日は皇宮から、皇宮騎士団第1部隊がレティを迎えに来た。
皇宮に架かる橋の両脇の欄干には騎士達がズラリと並び、レティの乗った馬車に皆が笑顔で敬礼をしていた。
そんな懐かしい事を思い浮かべていると……
馬車はあっと言う間に公爵邸に到着した。
皇宮と公爵邸は目と鼻の先なので。
余韻に浸る暇も無い。
公爵邸の門を潜ると……
玄関前には母親のローズが待っていた。
レティは馬車から降りるなり、ローズに抱き付いた。
「 お帰りなさい 」
「 お母様……ごめんなさい 」
あんなに嬉しそうに幸せいっぱいに皇宮に入内した娘が……
まさかこんな形で帰って来るとは思わなくて。
公爵家の皆は涙に暮れた。
「 お母様……私が間違ってますか? 殿下の唯一無二になりたいと思うのは私の我が儘? 私は側室を……認めなければならなかった? 」
居間のソファーに座ったレティは、アルベルトと婚約破棄をして来た理由をローズに説明した
「 レティ…… 」
レティの横に座り肩を抱いて黙って聞いていたローズは、レティの頭にコツンと自分の頭を付けた。
「 いいえ……貴女は間違って無いわ……殿方達には分からないのよ。女の気持ちが…… 」
「 私は……殿下を分け合うなんて事は出来ない 」
「 勿論よ。分け合うなんて……どうしてそんな事が出来るの? 」
2人が肩を寄せ合って話しをしていると……
ラウルが居間に姿を見せた。
ルーカスの秘書をしているラウルもあの議会場にいたのだ。
「 レティ、良くやった 」
「 お兄様…… 」
「 流石はウォリウォールの娘だ 」
俺の自慢の妹だと言って、ラウルはレティの頭を撫でた。
ラウルの話によると、レティが退場した議会場はあの後直ぐに解散したと言う。
まさかの婚約破棄宣言に……
混乱した頭では会議を続ける事は不可能だとして、皇帝陛下が解散を告げたのだと言う。
それぞれが冷静になって考える事にして。
結論は明日に持ち越す事になったのだと。
「 親父は辞表を出したよ 」
「 ………お父様が…… 」
「 当然だろ? 皇太子と婚約破棄をしたんだからな 」
ラウルは出されていた珈琲を一口飲んだ。
レティは自分の仕出かした事が、自分だけの罪では無かったのだと青ざめた。
「 どうしよう……これからどうしたら良い? 」
「 これで良いのよ、レティ。お父様は働き過ぎだわ。退職したら領地でゆっくり暮らせるわ。レティ……3人で領地に行きましょうね 」
そう言ってローズはレティの手を握った。
「 3人って……俺は? 」
「 貴方は殿下の傍にいなきゃ駄目よ。記憶を失った殿下の支えになってあげて 」
レティもラウルを見てコクリと頷き、出されていたカップを取り、紅茶を一口飲んだ。
「 あっ! 親父は今夜は執務室に泊まるってさ 」
「 まあ、大変だわ 」
ローズは夫の着替えを用意する為に、侍女と一緒に部屋に消えて行った。
「 それで……お前は本当に良いのか? 」
兄妹だけで膝を付き合わせて話すのは何時ぶりだろうか。
「 うん……仕方無いわ。寧ろ結婚式を挙げる前で良かったのよ 」
レティはテーブルの上のお皿に並べられたスイーツから、マフィンを取って口に入れた。
「 アルが私を好きで無いなら……もう、私には何の価値も無いわ。聖女と違って 」
そう言って泣きそうな顔をした妹が不憫だった。
妹はそれだけの事をしてもアル以外を望まなかった。
勲章を与えると言われても何時も辞退をした。
「 私は皇太子妃と言うビッグネームがあるのだから、他には何もいらない 」
レティは何時もそう言うんだと言ったアルが、凄く嬉しそうな顔をしていて。
「 それに……ほら、私は毒薬を作れるじゃない? 嫉妬のあまりに側妃に毒薬を飲ませたら、直ぐに捕まっちゃうわ 」
レティは皿の上のマフィンやクッキーをパクパクと食べ出した。
「 それに、犯人が第2側妃や第5側妃だったとしても、毒薬を作れる私が絶対に犯人にされちゃうに決まってる 」
最後の一口を口に入れてレティはモグモグとして。
おいおい……
皇太子宮の未来はどろどろだな。
ましてや正妃が捕まる事の心配だけをしているとは。
それに……
アルにはどんだけ側妃がいるんだよと、ラウルは吹きそうになった。
まあ……
1人を認めれば……
第2第3と、次々に認めなければならなくなるのがアルの立場なんだよな。
レティは余程お腹が空いていたのか、侍女のマーサにおかわりを持って来る様に要求している。
本当に……
こんな時でも食い意地が張っているのがレティらしい。
お前は何処までも可愛い俺の妹だ。
レティ……
今日はよく頑張ったな。
後はお兄ちゃんに任せろ!
天下のウォリウォール家を舐めんなよ。
明日は目に物を見せてやる。
ウォリウォール家嫡男の……
このラウル様が。
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