第202話 香水─4




風の魔女が、自身の身体に何らかの魔力が宿っていると感じたのは、16歳の頃だった。

彼女はその頃から平日は夜の酒場で踊り、休日は広場で踊っていた。

母親も踊り子で、父は物心がついた時にはもう既に居なかった。


魔力が宿ると、彼女がくるくる踊れば緑の風が辺りに吹き荒れ、酒場がめちゃくちゃになったり、走れば小さな子供を吹き飛ばしたりして、魔力を制御出来ずに困り果てていたのだった。


そんな頃……

魔力使いがいると聞き付けた虎の穴のルーピン所長が、彼女を虎の穴に連れて行き魔力を試した結果、彼女は正式に風の魔力使いとして認定された。


翌日から毎日の様に魔力の制御の仕方を訓練し、風の魔女は魔力を操れる様にまでなった。

そうして、彼女にとっては迷惑でしか無かった魔力が、帝国でただ一人の風の魔力使いだと言われて大層喜ばれ、男爵の爵位まで授かったのだった。


貴族の仲間入りが出来たと母娘で喜んでいたが、帝国からの報酬金はごく僅かしかなく、結局は酒場と広場にある小さな舞台で働くしか無かった。


そして、他の魔力の持ち主は魔道具作りの為に度々虎の穴に呼ばれ活躍をしていたが、彼女の風の魔力が必要とされる事は無く、年に1度だけ魔力の確認をする為に虎の穴に行く事が、彼女に与えられた魔力使いとしての仕事であった。



しかし、ある日仕事だと連絡が来た。

初めての仕事は矢に風の魔力を融合させる事だった。

これは極秘だから他言無用だと錬金術師のシエルから言われたが、彼女は役に立つことが出来て喜んだ。



次に呼ばれたのは、隣国の王子が視察に来るから虎の穴に参上せよとの事であった。


王子……

平民の私が王子に会えるなんて……

魔力持ちがどんなに凄い存在であるのかを改めて認識した。


その日、同じ魔力の持ち主達と初めて対面した。

何時もこの魔力の為に孤独であったが、彼等も同じ物を持ってると言う共通意識が嬉しかったが、女性の魔力使いは私一人であった事が残念だった。



隣国の王子がやって来た。

黒のローブを着た私達は勢揃いし、王子が通り過ぎるのを見送る……

気品と優雅さは流石は王子だと、後で酒場の皆に自慢しようと思ってた所に、王子の後ろからとんでもない輝きを放った男性(ひと)が近付いて来た。


彼は我が国の皇子……皇太子殿下であった。


勿論、皇太子殿下が美丈夫だと言う事は伝え聞いて知ってはいた。

しかし、実物の皇子を見るのは初めてだった。

それも……こんなに近くで……


背が高く立派な体格、キラキラと輝くブロンドの髪、すっと通った高い鼻に引き締まった唇……何処までも澄んだアイスブルーの瞳……

凛とした佇まいと溢れ出る色気……そしてその圧倒的なオーラ……

本物は、天が使わした神の化身の様な神々しさを放っていた。


私は一目で魅了され……そして……恋に落ちた。



その後、シエルさんから馬車に風の魔力を融合する様に言われたけれど……

心臓がバクバクして、もう、皇太子殿下の顔を思い出しては息が出来ない程苦しくなっていたので、上手く魔力を出せなくて、溢れる想いを抱き締めながら走って家路についた。


その日から、寝ても覚めても皇太子殿下の事を思い……胸が苦しい程だった。


我が国の皇太子殿下は、先頃婚約したばかりだ。

お相手は公爵令嬢……

皇太子殿下のご学友の妹なんだと、ニュースになっていた事を思い出した。


羨ましい……

私は何で平民なんかに生まれたんだろう。

こんな美貌を持って生まれても、平民だと言うだけで何の役にも立ちはしない。


皇太子殿下の婚約者は目と目の間が離れてる顔だと、噂されている。

そんな様相でも、公爵家に生まれ落ち、皇太子殿下のご学友の妹というだけで、あの皇太子殿下と結婚出来るのだ。


私の毎日は妬みで荒んでしまった。



そんなある日

虎の穴のシエルさんから、皇太子殿下が馬車に風の魔力を融合させる所を見学したいと仰られていると言う知らせを聞いた。


また……

皇太子殿下に会える……



シエルさんと虎の穴で待っていると

皇太子殿下がやって来た。

無理……顔を上げれない。


すると……

「 君が風の魔力使いだね? 私は雷の魔力使いで、君と同業者だから緊張しなくて構わないよ 」

思わぬ気さくな言葉を掛けられ、恐る恐る顔を上げると……優しい瞳で笑い掛けてくれた。


なんて素敵な人なんだろう……

胸の鼓動は高鳴るばかりだ。



錬金術の部屋に入る皇太子殿下とシエルさんの後に続く……

皆が皇太子殿下に頭を下げている。

まるで私が頭を下げられているみたいで特別な感じがした。


馬車に風の魔力の融合をする。

皇太子殿下が椅子に座り、長い足を組み、両手を前で合わせて、じっと私を見ている……


私は……

とびきり美しく見える様に腰をくねらせ緑の風を放つ。

そして……

緑の風に乗せて皇太子殿下に香水を振りかけた……

緑の風が私と皇太子殿下の周りをクルクルと回る。


皇太子殿下の瞳が輝いて「 へぇ……綺麗だ、それに良い香りがする 」と言う優しい声が聞こえた。


ドキドキする……

こんなにもドキドキする舞を舞ったのは初めてだった。



そう……

次も会うためにはここで成功してはならない。

私はわざと失敗し、シエルさんに次を約束した。


皇太子殿下は次も来てくれるだろうか……

お願い……次も……


そこにルーピン所長が現れて、シエルさんと皇太子殿下の3人で話をしていたが、なんと!次も皇太子殿下が来てくれる事になったのだった。

この時程、あの何時も胡散臭いルーピン所長が天使に見えた事は無かった。



シエルさんとルーピン所長とで、帰る皇太子殿下を見送った。

すると……

受付と案内係の女が、平民の癖に皇太子殿下に色目を使っても無駄で、皇太子殿下は婚約者を愛しているからお前は邪魔だと言われた。


何と言われようが……関係ない!

身分違いは百も承知だ。

だけど……

私は貴女達とは違い、皇太子殿下と同じ魔力使いなのである。

そして、私のこの美貌なら皇太子殿下の愛人になれるかも知れないと、その時思ったのだった。


だから……

次は絶対に皇太子殿下とお近付きになる!


私は21歳で皇太子殿下は18歳……

そして婚約者は16歳。


約束した次の週の休日では、少しでも16歳の婚約者に近付きたいと、リボンが付いたピンクのドレスを着た。

似合わないのは分かっている……

皇都広場で出会った、私の恋を応援してくれる小さな彼女も、私のドレス姿を見て驚いた顔をしていたのだ。

だけど……

私は皇太子殿下の婚約者よりも美しいと言う自信がある。



虎の穴に着くと、皇太子殿下とルーピン所長がカフェでお茶をしながら話をしていて、私も席に着くように言われた。

胸の鼓動が皆に聞こえるかも知れない……程にドキドキする。


そこにシエルさんが来て、何やら話ながらルーピン所長と行ってしまうと、皇太子殿下と二人っきりになった。


ああ……

もう天にも昇る気持ちだった。


なんて素敵な顔で笑うんだろう……

皇太子殿下から、魔力の使い方や魔力を持った事で困った事などを聞かれる。

楽しい……

こんなにも楽しい出来事は今までであっただろうか……


ふと見ると……

受付や案内係の女達が、嫉妬の目でみていた。


平民の私が……

貴族に嫉妬されているのだ。

皇太子殿下の前に座り、対等に会話をしている私は特別な存在であるのは間違いない。

もう……優越感が半端無かった。



その日もわざと失敗した。

次も会える……


広場で会った彼女も、「 イザベラさん程の美しさなら、きっと誰でも好きになる 」と言ってくれた。

もしかしたら、もう皇太子殿下は私の虜かも知れない。

私に注ぐ視線が熱く感じる。


次こそは……

私は皇太子殿下に告白しよう………

この奇跡のような縁は絶対に逃したくない。


いや……

私に魔力が宿っている事自体が、皇太子殿下との出会いは必然的で、もはや奇跡では無いのかも知れない。



一般の平民が皇族と会うことは先ず無い。

皇族の姿を拝見出来るのは、行事の際にベランダにお出ましになる時だけである。

皇太子殿下の間近に行き、会話までした特別な事が、彼女を舞い上がらせ恐ろしい勘違いをさせてしまったのである。



風の魔女の、皇太子殿下への身勝手で激しすぎる慕情が

その後、とんでもない事件を巻き起こすのであった。




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