連作短編・『星になりたいもの求む』

江戸川殺法

『星になりたいもの求む』

 衛星軌道上を滑りながら、今日も私は静かに地上を見つめる。何の変化もない。退屈だけど穏やかな1日が流れていく。戦争の兆候はまるで見当たらない。平和そのものの日常。もうふた月もすれば、私が『衛星術士』として打ち上げられてから3年になる。


『星になりたいもの求む』


 帝国の象徴たるワシの翼を背に、星空に向かって高く手を掲げる煌びやかな装いの術士。そんなポスターを見かけたのは、皆とっくに進路を決めていた帝国幼年学校中等部3年の冬だった。

 共和国との戦争に興味があったわけじゃない。でも、「星になりたいもの求む」という言葉は行き先の見つからなかった私の心を掴んだ。軌道上の守護者として、身体改造を受けて宇宙で一生を終える早期警戒衛星術士。覚悟があったわけじゃないけど、その時の私には、それが酷く魅力的に思えたのだ。


そろそろ時間だな。私は緩慢に視線を宇宙に上げる。


 定刻通りに『彼女』は私の軌道にゆっくりと接近してくる。

まるで玉座のように大掛かりな装置をまとった、共和国の衛星術士だ。

技術的には帝国のそれに及ばないと言われているけれども、帝国製の小型衛星装備よりずっと威厳ある姿のように見える。

 共和国の術士、どんな人間なんだろう?

 それはほんのつまらない気まぐれだった。


「こんにちは。そっちはどう?何か面白いことはある?」


 特殊性エーテル信号で私は彼女に声をかける(もちろんこんな行為は禁止されている。システム上でも「そんなことは出来ないように」設計されてもいる。だが、私たちはいつだってそういう「説教臭い教師」の目を盗んで出し抜くやり方を見つけるものなのだ)。

 彼女がほんの少し頭を上げたのが見えた。だが、すぐに興味なさそうに首を振って目をそらす。そして、何事も起こらなかったかのように、彼女は私の軌道から離れていく。

 当たり前の話だった。私たちは世界を二分する敵・味方の関係なのだから。けれど、その「無視」はひどくお高く止まった態度に見えて、私はなんだか腹立たしい気持ちになった。


「こんにちは。そっちはどう?共和国じゃ猫を食べるって本当?」

「こんにちは。そっちはどう?馬鹿でかいアンテナ積んで、肩はこらない?」

「こんにちは。そっちはどう?ひょっとして、もう生きていないのかな?」



 それからというもの、私は彼女とすれ違う度に、一方的に通信を送りつけるようになった。意地になっていたのだと思う。応答が返ってくることはなかった。まるで私が存在しないかのように。その対応がますます私を駆り立てる。

 その一方的な通信は数週間に渡って続いた。今日もまた、同じように彼女に一方的に話しかける。


「こんにちは。そっちはどう?何で宇宙に来ようなんて思ったの?」


 また、返信は返ってこなかった。諦めて私は地上に目を戻す。馬鹿らしい。もうあんな奴のことを相手にするのなんかやめよう。

 そう思った矢先のことだった。


「星になりたかったから」


 耳元にツンと信号が刺さる。指向性念話通信?私は思わず宇宙に目を向ける。あいつだ。あいつからの返信だ。まるで鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で、遠ざかる彼女の背を追う。その後ろ姿には、何の感情も見つけられない。

 「星になりたかったから」彼女の答えが頭の中で残響する。


 次の接近に合わせて、私はまた彼女に通信を送った。

「君、星になりたかった、ってどういう意味?」

「私の故郷では星がよく見えたの。本当にそれが綺麗だったから」


彼女は静かに答えた。


「ふうん、君は、星が好きなんだね」

「あなたは、星のことが好きじゃないの?」

「別に嫌いじゃないよ。でも、どっちかというと私がここに来たのは、地上がそんなに楽しい場所じゃないと思ってたから」

「共和国の術士にそんな話をしても大丈夫なの?軍法会議で済めばいいけど」

「衛星軌道上まで軍法会議が出張してきてくれるなら、まあ死刑になるんじゃないかな。でも、そんなこと言い出したら、君が返事を返すのだって軍法会議モノでしょ?」

「それは確かに」

「どうせ私たちが通信してることだって地上にはわかりっこないんだし、君が秘密にしてくれるんなら、この話がどこかに漏れることなんてないよ」

「秘密……そうだね。私たちの秘密」

「そう、私たちの秘密」


 秘密。甘い響きだった。衛星軌道上を幾度も巡りながら、私たちは声を潜めるようにして会話を続ける。


「どうして宇宙に上がろうと思ったの?共和国の生活は退屈だった?」

「退屈……とは少し違うと思う。私の村は、凄く貧しかったから」

「共和国では誰もが平等だって聞いたけど」

「建前ではね。でも、本当のところ、誰も貧しい人たちのことを救いたいなんて思ってはいないんだよ。当の貧しい人たち自身ですら」


彼女は淡々と語った。


「私の村では何人もの人が売られて、どうなったのかもわからない。私はとても幸運だった。党の人が私の素質を見抜いてくれたから。才能を見出されても、地上はとても難しい場所だった。後ろ盾のない貧民上がりは、何度も蹴落とされたし、何回も裏切られた。衛星術士になったのも、半分は実験台として」

「もう半分は?」

「もう半分は自分の希望」

「『星になりたかった?』」

「そう、星になりたかったの」

「苦しい時はいつも夜空を見上げた。天高く輝く星を見ていると、自由になれる気がしたから」

「そっか。今は、自由になれたの?」

「地上にいたころよりは、ずっと。でも、大地の重力に囚われている限り、悩みも苦しみもなくなってくれたりはしないみたい」


 彼女から送られてくる無味乾燥とした調子の信号、その向こうに隠されたものに私は思いを馳せ、宇宙に目を向けた。

 手を伸ばせば掴めそうなぐらいの満天の星。

 それから、私たちはすれ違うごとに簡単に言葉を交わすようになった。



 だが、それが続いたのもほんの数週間のことだった。

 突然の異変。

 センサが打ち上げられた無数の熱源を探知する。異常発生。直ちに私は地上に向けて報告する。まさか。そんな。計器の故障を私は願った。だが警報は全く鳴り止む気配はなく、上昇する熱源はそれが紛れもなく「攻撃」であることを示していた。

 首を振って地上を見る。我が国の基地からも無数の熱源が打ち上げられたのが見て取れる。全面戦争が始まったのだ。熱源が分裂する。ぞっとするような数の『衛星殺し』が軌道上に放たれ、噴射炎をたなびかせながら、血に飢えた狼の群れのように突っ込んでくる。

 多い。迎撃では防ぎ切れない。私は流れるように装甲術式を展開する。今更じたばたかわそうとしてもどうにもならない。対衝撃姿勢。わずかな間を置いて、至近距離で衛星殺し複数発が炸裂する。散弾が装甲術式を食い破って魔力電池パネルに突き刺さる。痺れるような痛みと同時に、非常魔力源へ動力が自動で切り替わる。右足に異常発熱。躊躇なくそれを爆砕ボルトでパージ。視覚にも異常発生、システム再調整。サブカメラ起動、大脳接続開始。ノイズに悩まされながら、私は大地に目を向ける。


 第二波が地上から上昇してくるのが見える。衛星殺しの次にやってくるのが何か、私たちは嫌というほど教育を受けていた。一発で都市を灰燼に帰す、おぞましい禁呪の弾頭。世界を何度でも焼き払える数の弾頭が、一斉に大気の底から迫って来ていた。衛星殺しの撹乱が効いている。上昇段階での迎撃はもう間に合わない。私は姿勢を整え、中間段階での迎撃態勢に移った。照準を定めて魔石を一斉に投擲する。一つ、二つ、三つ、命中。ブースターから切り離された無数の弾頭を一つ一つ撃ち落としていく。四つ、五つ、六つ、命中。だが、数が多すぎる。七つ、八つ、九つ、命中。十、十一、十二……沢山。

 駄目だ、もう防ぎ切れない。空を埋め尽くす飽和攻撃は、私たちの抵抗をまるで意に介さずに駆け抜ける。いくつもの弾頭が努力の甲斐なく迎撃網をすり抜けていく。

 一つ、また一つ、すり抜けた弾頭は、あっという間に全てを滅ぼすのに十分な数になる。地上に何度も閃光が走るのが私にも見えた。帝国領土にも、共和国領土にも。呪われた光が一切合財を飲み込んでいく。もはや無意味だと半ば理解しながら、私は迎撃を続けた。第三波、第四波。もう投擲する魔石も尽きてしまった。私はただ何も出来ないまま呆然と世界が燃え落ちる様を見つめる。見つめることしかできなかった。

 やがて、打ち上げられるものも、地を照らす閃光もなくなる。基地に向けての通信も、他の衛星術士に向けての通信も、一切応答はない。

 そうだ、彼女は、彼女はどうなった?

 まだ生きている観測器をフルに使い、デブリだらけになった衛星軌道上を探す。

あれでもない、これでもない、無数の破片に埋め尽くされた宇宙の中から、私は血眼で彼女を見つけ出そうとする。



 いた!見つけた!

 発見した彼女の胴体には大きな穴が開いていた。目は見開かれたまま動かない。意識がないのは見てすぐにわかった。残された推進剤を惜しみなく使って、彼女の軌道に接近する。


 彼女の手を握る。まだ暖かい。私は救命措置を始める。とても許されるようなことではないけれど、もう私たちの戦争は終わったのだ。敵も、味方も、もはや意味のある概念ではない。素早い手つきで大穴をパッチで止血し、ケーブルを伸ばして彼女の躯体に接続する。規格はなんとか一致している。生命維持装置が再起動し、止まった心臓に向けて電撃を流す。一回。びくんと彼女の体が跳ねる。二回、三回と繰り返す。私は彼女に口付けをして、人工呼吸をする。動け。動け。動け。何度もそうやって繰り返す。動け。動け。動け。


 だが、彼女が意識を取り戻すことはなかった。身体からは、もう体温も感じられない。彼女は死んだのだ。私は彼女の身体を強く抱き締める。何も応答はない。初めての抱擁が、こんなものになるなんて。冷たくなった彼女と抱き合いながら、私は静かに泣いた。どうして?誰も答える者はいない。

 そうやって彼女を抱きしめたまま、何回大地の周りを回っただろうか。いくつもの昼と夜を超えて、私が彼女にできる最後のことを、一つだけ思いついた。まだ推進剤は残っている。彼女の推進器にも生きている系がある。私はそれらを繋いで、大きく加速した。彼女と手を取り合って、もっと遠くへと。加速しきった先で、私は彼女の手を離す。

 そうだ、行け。星の彼方にまで。彼女は上昇していく。より高い軌道へと。星の世界に近づいていく。それがただの自己満足に過ぎないことはわかっていた。そうだ、わかっている。私たちは本当の星になんかなれない。煌煌と輝く星々に、私たちは全く手が届かない。私たちはどう足掻いても紛い物の衛星でしかない。私たちの推力では、大地の重力を振り切って外宇宙の彼方に飛び出すこともかなわない。

 だけど、どうか彼女には、ほんのわずかでも本当の星に近い場所にたどりついてほしかった。それが、星になりたかった彼女に、私が出来るただ一つの弔いなのだから。



私は地上に目を向けた。

もう夜の闇に灯る光はない。

基地からの応答もない。

他の衛星術士たちの反応も。

私は、世界の終わりを見届けた

最後の一人なのかもしれない。

私は宇宙に目を向けた。

彼女が憧れた宇宙。手の届かない宇宙。

星空は変わらぬ輝きを湛えている。

私は、祈った。今更、何を?

どうか彼女の魂だけでも、

彼方の星に届きますように。

私は静かに目を閉ざす。

眠りたかったから。

もう目を覚ませなくてもいい。

私は、夢を見た。

その中で、私たちは本当の星だった。

輝く光だった。

私たちは手を繋ぎ笑った。

彼女も私も、笑った。

それが死の間際に見る幻影に過ぎないとわかっていても、ほんの少し私は幸せな気持ちになることができた。

これでいい。これでいい。

どうかこうありますように。

私はもう一度祈った。

その夢もやがて薄れていく。

永遠の死の眠りが私にも訪れる。

さようなら。おやすみなさい。

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