中宮彰子は名探偵?

喜多里夫

第1話 転校生あらわる


 二〇二×年、四月某日午前五時。京都市内。


 目覚まし時計のアラームとともに、春とはいえまだ薄暗い中、少女は目覚める。


 パジャマ代わりのジャージ姿のままで台所に立つ。


 どうやら朝ご飯の味噌汁を作りたいようだ。


 慣れているのか、大変手際がよい。


 豆腐は掌の上で賽の目切りに、ネギは小口切り、油揚げは半分に切り、細切りにする。


 次に、出し汁を作る。沸騰したら油揚げを入れ、一、二分煮る。


 弱火にして豆腐を入れ、味噌を溶き入れ、最期にネギを加える。


「ふふっ、出来上がり!」


と、少女は満足げに独り言をつぶやくと、電子ジャーからご飯を茶碗によそって、食卓につく。


 ご飯と味噌汁、あと、香の物。


「ん~、日本人にはやっぱ、これですよねぇ」


と、年齢としの割に妙にふけたことを言うと、満足げに食べ始めた。




 午前六時。


 東山連峰れんぽうから上った太陽が、少女のいる京都の街全体を明るく照らし出す。彼女の住んでいる築一五〇年はくだらないと思われる町屋まちやも例外ではない。


 なんてきれいな、雲一つ無い春の青空! なんて素晴らしい月曜日!


 今日から市内の高校に編入学する予定の少女は、玄関に置いてある大きな姿見で、整えられた身だしなみの最終チェックをする。


 眉は綺麗に整えられ、二重の目はやや切れ長で吊り目、頬は赤くふっくらとして健康的だ。鼻は目立って大きくはなく、口もどちらかというと、おちょぼ口。


 どちらかと言えば古風な顔立ちと言えるが、すらりと伸びた手足と相まって、美少女の範疇はんちゅうには入るだろう。


 特に彼女のトレードマークとでも言って良いのは長い髪だ。黒々とした長い髪は一度、首の辺りでくくられているが、その後は下へ垂らされ、腿の辺りまで伸びて切り揃えられている。これは当世の女子高生としてはかなり長い。彼女の外見上の第一の特徴だ。


 彼女の顔立ちは凜々りりしいと言ってもよいもので、十分に大和撫子やまとなでしことしての知性と品格を感じさせる。




 午前七時過ぎ。


 少女は今日から通うことになる高校のブレザーの制服姿に身を固め、いま颯爽さっそうと家を出ようとする。


「いってまいり……あっ、そうか。お父様もお母様もここにはいないのでしたね。え~、村崎さんはまだ来ないよね。まあ、いいや。まだ早いけど、先に行っちゃおう!」


 もう、いても立ってもいられないといった感じで、彼女は通学用の白いスニーカーを履いて外へと駆けだした。




 午前七時三〇分頃。烏丸丸太町からすままるたまち交差点付近。


 数名の市民――通勤途中のビジネスマンや通学途中の学生――が中京なかぎょう警察署丸太町まるたまち交番に、まるでここをゴールとする徒競走でもしているかのように一気に駆け込んできた。


「おまわりさん、おまわりさん!」


「ちょっと来たってぇ、大変や!」


 彼らは口々に大声で叫ぶ。


 何が大変なのかさっぱりわからないまま、当直の田中巡査が制帽をかぶり直しながら交番を出てみると、いつも見慣れた烏丸丸太町の交差点が大渋滞している。


 ――なんや、これは?


 歩道にいた二、三十人の人々や、交差点近くで停車している車の運転手が窓を開けて口々に叫ぶ。


「あっ、おまわりさんや!」


「ちょっと、ちょっと、あれ何? 何とかしたってぇ!」


「危ないで!」


「今日って、時代祭の日やったか?」


「何言うてるの、今は四月やん」


 田中巡査が、


 ――いったい何ごとや?


 と、彼らが指差す方向を見れば、なんと片道二車線の烏丸からすま通り北行き方向を完全に塞ぐかたちで、大きな牛がノロノロと車をいている。


 ――なんや、あれは?


 田中は一瞬、自分の目を疑った。


 ――牛車ぎっしゃや、牛車やないか! なぜ、今、こんなところに? え~と、時代祭りは一〇月二二日やから、半年後やぞ。リハーサル? いやいや、聞いとらん。


 一瞬、呆然となった田中だったが、すぐに彼は「こうしてはおれん」と職業意識に目覚めた。


 彼は息を胸一杯吸い込んで「ピーィィィィ」と警笛を一回吹いてから牛車に向かって走り出し、自身が京都府警に奉職して以来、自己最大音量と思えるような大声で叫んだ。


「お~い、そこのクルマぁ、左側に寄って停まりなさ~い!」




 午前八時過ぎ。中京なかぎょう警察署内の一室。


 先刻の牛車の件だ。


 どうも丸太町まるたまち交番だけでは手に負えなかったらしい。


 牛車に乗っていた人間が警官に連れられてきていた。しかも、牛車そのものは何処どこへ行ったのか、いつの間にかいなくなっている。


 まさか当直――田中とかいう若い巡査――が寝ぼけていたのか? いや、一般市民の目撃者も多数いるようだから、牛車は本当にいたのだろう。だが、いつの間にか消えてしまった牛車に皆、キツネにつままれたような顔をしていたそうだ。もしかしたら誰かが撮影した画像が『京都新聞』の三面記事位には載るかも知れない。


 交通課の山本警部補は苦虫を噛み潰したような顔で、牛車に乗っていたという人間に圧迫面接をする面接官のような口調で言った。


「全く、困るんだよねぇ、君ィ、自分のしたこと、本当にわかってんの?」


「はい……いえ……はい」


 読者諸君! いささか心細そうな返事をするこの少女は、なんと、早起きして自ら味噌汁を作り、今日から転入先の高校へ通うという、あの長い髪の少女ではないか!


 しかし、山本は容赦ない。


「はい、か、いいえ、のどっちだ? まったく!」


 山本がいらつくのは、どうもこの少女が「悪いことをした」という自覚をあまり持ってなさそうな態度を取るからだ。


「まあ、いい……とりあえず、名前、教えて」


――やめよう、大人げない。相手はまだ十代の高校生くらいだ。


 山本は怒りたくなる気持ちを抑えて、少女に尋ねた。


「はい、中宮彰子なかみやあきこです」


と、少女は淀みなく微笑ほほえみながら答える。


「どんな字?」


「はい、真ん中の中に、お宮の宮、はい、平安神宮の宮、ですかね。で、中宮。彰子は表彰式の彰に子供の子。これで、中宮彰子です」


「高校生?」


「あっ、はい、そうです。平安国際高校です。事情があってこの四月から、転学してきたばかりです。まだ、こちらのこと、よくわからなくて」


 この答え方に、山本はイラッとした。


――「こちらのこと」って何だ? 今どき、街中を牛が歩いてたら日本中どこでも「おかしい」と思うだろ。あっ、もしかして帰国子女か? 平安国際高校ならあり得るな。道路を牛が普通に歩いていても、何の違和感も感じないような国から来たとか……。


 と、思いつつ、


「保護者の方は?」


と尋ねる。


 少女は何の屈託くったくの無い笑顔で答える。それが山本の苛立いらだちをますますつのらせることになるとは知らないようだ。


「えっ? はい……保護者?……両親ですか?……今、とても遠い所にいるので、ここに来るのは無理です」


――やっぱりだ。「とても遠い所」だなんて、思わせぶりしやがって。何処の国だ?


 しかし、山本は内心とは裏腹につとめて優しい口調で尋ねる。


――怒らない、怒らない。怒ったら負け。後で「警察官、事情を知らない高校生に激怒」とか、リベラルなマスコミに報道なんかされたら面倒くさい。


「じゃあ、こういう時、誰に連絡すればいいの?」


「ええと、今、親代わりの人がこちらへ向かっているはずです」


「誰?」


「ええと……村崎さん、村崎かおりさんです」


「女の人?」


「はい、女性です」


――親戚のおばさんかな?


と、思いつつ、山本はこの帰国子女とおぼしき少女――中宮彰子なかみやあきこ――に日本の交通法規を説明しようとした。


 ところが、話の途中で少女は今までのしとやかさとはうって変わって、どこからそんな声が出るのかと思われるような大声で叫んだのである。それはまるで、ヤンキーが警官に絡む時の口調に似ているとさえ言ってもよかった。


「はあ~? 道路交通法違反? 牛車は軽車両扱いだから車道の左側に寄るですって~? なにゆえ天下の大通りの真ん中を正々堂々、牛車で通行したらダメなんですか~っ? もう~っ、信じられな~い!」


 この発言に山本警部補がぶち切れて、


「ふざけるな~っ!」


一喝いっかつするのと、彼女のおばさんらしき三十代の女性が息せき切って入室してきたのは、ほぼ同時だった。

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