159 暗くてすみません、
こんにちは。
あぁ、なんというか。この年末。辛いニュースが多すぎて。
雑居ビルの放火に著名人の死。
南の島の外国部分の人たちのコロナに対する意識の低さも、私の心をかき乱すには十分。
私の友達がSNSで「辛いニュースが多い今、ひぃちゃんと話したい」というような内容のつぶやきをしていた。
すごく良く分かる。
こういう時に彼女の事を思い出すのは、彼女がどんな時でも光を見ている人だったから。「生きる人」
私が最近二次創作にのめり込んでいるのも、そういう俗世の辛いニュースと距離を置きたいからというのもある。本当に切実に思う。
人として、感じて、考えて、どうにかしないといけない問題なのだけれど、抱えきれないのだ。
言葉が出来て、そこそこ年月が経ったけれど「無敵の人」という名称。
防犯して、監視して、それで事件を未然に防ぐこともある程度は出来るだろう。まったく効果が無いとは言わない。
しかし犯罪を犯したい人は……「無敵の人」は徹底的に考えて、その上で捨て身でやって来る。
「ここまではしないだろう」を掻い潜って人や社会を傷つける事に執着するのだ。
そんな人たちを100%抑えられるはずもない。
現に事件は数を増している。
そして自ら命を落とす人も。
(今回の例はそうであるとは発表されていませんが)
恥ずかしながら私には以前、この「無敵の人」予備軍が親族の中にいたので、何とも言えない気分なのです。
親族なだけで血は繋がっていませんが。
そんな事を吐いてしまうくらい、本当に厄介なのです。
今回の放火の犯人も親族全員に見捨てられた人だったと報道を耳にしましたが、親族はどうしようもないのです。本当に。
もう色々手を尽くして、見捨てないように長い間向き合って、それでもだめだった結果です。
そういう「無敵の人」予備軍をどうやって作らないようにしていくかが、社会の在り方としてとても重要な事なのでしょう。
もう家庭内では絶対に抱えきれません。
そして、誰もこれが他人ごとでは無いのです。
もしかしたら兄弟がそういう芽がある人と結婚するかもしれない。もしかしたら引っ越したお隣さんがそういう人かもしれない。もしかしたら、通り魔の様に被害に遭うかもしれない。関わってしまう事は十分に考えられる。
そして自分にも全くそういう芽が無いとは言い切れない。
私はいつも心のどこかで怯えています。
絶対にそういう人では無いと思っているけれど、それでも未来の事は分からない。
誰かに、社会に、少しでも傷を負わせないと収まらない様な心の状態になってしまう転機が訪れないと言い切れないから。
来るかもしれないが、来ないかもしれない不幸に怯えて生きるのは馬鹿げています。
だから出来るだけそういう事を考えないように、今を生きている。
でもきっと、オセロのコマの様に、変わる時は一気に変わるものだと、、思います。
今の世の中、失業したり保障が無かったり、家族を持たないまま友達とも交流できないで……という事はざらに想像できますからね。
最終的に国が自分の味方をしてくると思っていたのならなおさら。
このような不安を深く抱く事自体、社会として不安定な時代なのだろうなと。
ひぃちゃんなら、どんな答えを聞かせてくれるだろう。
あぁ、私も本当に彼女に会いたい。
それは彼女がこの世を去ってからずっと思っている事だけれど。
今できることは……次、彼女に会う時に胸を張って会える自分を生きる事だけ。
そんな単純な事。それが出来ているだろうか、出来るのだろうかと怯える。
もうこれ以上、不幸な事件、事故、辛い思いをする人が出てきませんように……
今年もあと少し。
その間、喪の中にいるようでも、年が明ければ人々の意識も社会情勢もコロナの事も。全部喪が明けて晴れ晴れといい方向へ向かいますように。
祈るのはその事ばかりです。
(という事で、石垣は今年中は取りやめにしました……。どうしても踏ん切りがつかなくて)
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