149 正論と懺悔と祈り

 こんにちは。


 突然ですが、正論ってけっこう痛いですよね。

 どうにか掻い潜って抗いたいのに、それを許さない正しさというか、非の打ちどころがない静かなる暴力というか。クリティカルヒットしてしまう。


 人間だから色んな揺らぎの中で生きていて、生活していて、物事を考えて受け止めて、自分を騙す事もあったりして。そうやって、なんとか一日を過ごしている。

 だから一般的正論が、一概に全ての条件下で正しい事ではないとは思っています。

 でも現代社会において根本的な事がある。

 「働かざる者食うべからず」その通りです。正論です。

 働かないで好きなことだけてして、怠惰生活で暮らしていきたい。これが本音。いや、きっと怠惰な生活をしていたら働きたくなる瞬間はあると思うんですよ。気まぐれに。でもねぇ。

 まぁこれは現代社会でお金を稼ぐ多数の大人がこの正論と矛盾と揺らぎの中で頑張っているんでしょう……

 人を傷つけてはいけないとか殺してはいけないとか。こんなのも子供でも分かる単純な正論ですが。


 そういう正論もあるのだけれど。

 私はあの時、どんな正論を彼女にぶつけたのだろう?


 もう忘れてしまった正論がある。

 そもそも正論を突きつけられて苦しい時というのは、きっと心のどこかに何かがある時なのでしょう。

 「その方が正しい事は分かっている、けれど・・・……」というやつだ。


 もうずいぶん大昔の話。

 友達が心の病にかかって療養していた事がある。病院にも入った。

 私はその頃、正論という暴力の威力を甘く見ていたのだ。

 正論を突きつけられても困らない、そういう稀な時期だったのだ。……違うな。正論は大抵の場合、立場的・心理的、又は状況的強者から弱者に放たれるものだ。その時の私は彼女より状況的強者だったのでしょう。

 

 その頃私はその友達とよく電話で話していた。遠くに住んでいる友達だったから。

 彼女はもともと明るく陽気な性格だったのだけれど、自分に甘いところがかなりある子だった。人にも甘え上手で。まるっとかまってちゃん。

 その性格は後から思えば、のちにカミングアウトしてくれた「特殊な家庭事情による生い立ち」で形成されたものなのだと分かるのだけれど。

 と分析するのも本当はいらない行為なのだ。そんなの関係なく知り合って仲良くなったのだから。


 彼女は周囲の人に依存が激しくなり、最初は私も付き合ってあげようと思って、ある程度許容していたものの、過呼吸や発作のようなものが頻発するようになって、電車にも乗れなくなってしまって。これではいけないと「とりあえず病院へ行って診察だけでもしてもらっておいで」と再三アドバイスをした。

 最初はなかなか心の病気だとは受け入れられないので渋っていたのだけれど、数カ月かかって決心をして診察。もちろん病名がついた。

 

 それから長期の闘病に入った。しかし依存と甘えはどうにもならなくて、依存先を変えるだけの日々。

 自分を受け入れてくれる場所と人物が欲しかったのだろう。

 異性はもちろん、話し相手になってくれる個人経営のお店、恋人未満の友達……それを病気のせいだとか、治すべきものだという認識が皆無だからお薬だけではどうしようもない。快方に向かわない。

 

 ずっと彼女は夢の中に居て、構ってもらう為に夢の中でふわふわと、でも依存先に見捨てられないように苦しんで。お薬も頭がぼんやりしてしまうお薬だったのだと思う。電話の向こうの彼女は思考だけじゃなくて、言葉もろれつが回らない感じだった。

 そんな折り、私は心に霧がかかっているような状態の彼女に正論を言ったのだ。

 「自分と向き合わないと治らないよ」みたいなことだった……かもしれない。

 本当に覚えていないのだ。


 彼女はそこで発作の様に泣いて電話を切ったのだけれど、彼女の母親から電話が折り返しかかって来た。

 私が言ったことが正論過ぎて今の娘には受け入れることができないと。


 その時の私は、そんな事は分かっていた。

 でも、ずっとそうやって、彼女自身も両親も目をそらし続けた結果が今の彼女だった。

 何かが変わらないと、何も変わらないと思った。

 入院した面会謝絶の院内ですら、依存先(別の患者)を見つけて密会するような悪循環だったから。それを叱られない相手だと私にだけは報告をしてくる。ご両親に報告は躊躇われる内容だから私も苦しんだ。

 全快まで膨大な時間がかかるのはわかってはいたけれど、そして覚悟もしていたけれど、周りの大人が問題を先送りにする事しかしていなかった。

 確かにお医者さんには治療のプランがあるだろうから、私が口を出す事では無かったのだろう。(その時の病院は信用していないけれど)その点は反省している。でも何が正解だったのか……、あの状態で私がしたことは仕方がないとも思うのだ。


 それからも彼女とは電話をしたりする仲で、いつからか彼氏が出来て、その彼氏がとてもいい人だったようで。

 ……私は会ったことが無いままなので、どんな人かは分からないのだけれど。そして、その彼氏に捨てられたらもう彼女は終わってしまうだろうな、という不安で。遠くに住む私は……しかも彼女は一人で外出できない状態だったから、昔の様に簡単に合う事も出来ないし……彼氏が彼女の命を救うという強い覚悟があって欲しいと祈る事しかできなかった。


 そのうち自然な流れで依存先が彼にすり替わったのだろう。

 私もメールなどに返信しなくなったのかもしれない。その辺りも曖昧なのだけれど、徐々に疎遠になった。



 マイナスのオーラを纏っている人を引き上げるのは、並大抵のプラスのオーラでは難しい。

 マイナスの力の方が強いからだ。

 人は下を向く方が簡単にできている。みんなどこかに影を持っているから、そこに心がクローズアップするのは簡単なのだ。

 プラスのオーラの人々がマイナスオーラの人を、取り囲んで引っ張り上げてやっとうまくいく。

 プラスのオーラの人が特別であったり、マイナスオーラの人がプラスに転じたいと強く望んで努力を惜しまないなら、もう少しイージーモードかもしれないけれど。


 あの頃の私には、彼女のあれこれを全て受け止めてあげられるだけの胆力が無かった。

 私もボイストレーニングの先生に救ってもらったのだから。

 私もある意味病気だったと思う。その方が楽だったから。

 診察をしてもらったわけじゃないから、それ自体がかまってちゃんの似非病気かもしれない。でも、それでもいい。私は病気だったと認めて、このままじゃいけないと思ってから頭の中が晴れた。

 「本当の病気はそんなもんじゃない」とか言われたって、はいそうですか、だ。私はそう決定して次の進もうと思ったのだから、どうだっていいのだ。認めた次の「どうしたい?」が大切。認めて変われるなら誰の偏見も非難も指摘もいらないし気にしない。



 数年前、久しぶりに彼女から年賀状が届いたのだ。

 「病気は良くなりました。もし私とまだ友達でいてくれるなら、返事を下さい。返事が無かったらこの先連絡はしません。」と。

 私も迷った。

 連絡してもよかったのだ。でも結果的に私は連絡をしなかった。


 時期的にも悪くて。祖母が亡くなり、色々とややこしい時期でもあり、その上その頃の私は年末年始は帰宅したら寝るしか出来ないような状況だった。

 時々、連絡しなかったなぁ……と思い出すのだけれど、彼女にとって私はあの時代の匂いを濃く残している人でもある。

 きっとこのまま別れた方が良いのだろうと思っている。


 返事が出来ない時期だったというのも、そういう運命だったのだ。

 この先、偶然か必然か、またどこかで繋がる事があれば、それもまた運命なのだと思う。



 年末年始になると、いつもこの話を思い出してしまうのだ。

 彼女が今は幸せで暮らしていますように。遠い場所からそう願う。


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