9.September

48 死にたいって思いますか?── 事例:私

 こんにちは。


 昨日の文章。

 公開してから一時間くらいしか無かったはずなのに、このエッセイの枠では考えられない人数が覗きに来てくださったようで……


 私としては、まじめに書いたし、一切後ろめたい事は無いのだけれど、期待されていた内容とは少しずれがあったのかも?と思うので、今日は書こうと思っていた事を変更して、リベンジをしようと思います。

 

 昨日、ここを期待して覗いたかもしれない人に、私なりに向き合って。




 【死にたいって思いますか?】


 【死にたいって思った事ありますか?】


 私はあります。

 厨二っぽく、そういう時期もあるよねー、というノリではなく、切実にずっと思っていました。


 今も、生きようとは思っていますが、それはシンプルに削ぎ落として行くと「足かせ」があるからだと、自分では分析をしています。



 私の他の文章を読んでない方がこれを、初めて読むかもしれないので書きますが、私は別に虐待のある家庭でもなければ、目立ったいじめを受けたわけでもないです。(被害妄想かも知れませんが、クラスでは煙たがられていたとは思っています)

 普通の家庭です。

 ちょっと妹が身体障碍者で、知恵遅れでしたが。

 妹の事も好きでした。


 でも私は物心ついた時から、ずっと自分に失望をしていました。


 大きくなって、それが劣等感だという事を知った。

 ずっと劣等感しか持ったことが無かった。

 生まれ持った性質としか言いようがない。


 イメージしたことが何一つできない。言葉が出てこない。ブスだし、自分の事が大っ嫌いでした。

 性格も嫌いだし、声も嫌い。頭も悪い。

 ずっと疎外感を感じて生きてきています。

 今でも全部を払拭できているわけではないです。


 幼いころは、迷子になりたかった。

 誰も知らないところへ迷い込んでも、結局助かってしまうから、どんなに後悔しても戻れないくらい遠くへ行ってしまって、そのままいなくなりたいと思っていた。


 でも、そんな事は叶いませんでした。


 親にも周囲にも心配かけたくないから、それなりに「普通」であることを、子供なりに装って生きてました。


 両親の事も、祖父も祖母も好きですよ。

 でも、それと自分の事が好きかどうか、認められるかは別なんです。


 自分が自分を肯定できない。

 自分を好きになれないし、そんな自分を許せないのだから、誰も自分を選んでくれない。

 だけにも選ばれない自分も嫌い。

 ずっと悪循環です。



 鬱になったりして、何も考えられず死にそうになったという話を、時々知り合いとかから聞くのですが、鬱になった経験は無いものの、詳しくは書かないですが、本気で死のうと思った経験はあります。

 馬鹿な自分に失望して。

 なので「うん、わかる、」と言うと、、みんな、「自分にしか分からない」「あれは苦しい」「そんな生易しいものじゃない」と言うのです。


 わかるよ、他人にはわかるはずがないって気持ち。その苦しみは、本人だけの物。

 でも普段ヘラヘラしている私も、私だけの本気のどん底を知ってる。死の淵を覗いた。


 あんたの苦しさは、本物じゃないとか、想像ではわかるはずがない、死にたいくらい苦しかったのは自分だけだ、というていで突き放される。

 死の淵を見たのは自分だけだと。


 それ以上は傷の舐め合いになるし、もしかしたら、悲しみを反芻はんすうしたり、新鮮によみがえるかもしれない、フラッシュバックで過呼吸になるかもしれない。

 それに、そういう人には、私の言葉が正論過ぎて受け付けてもらえない事もある。

 だからそういう時は、私は分からないけどね、ごめんね、と話を変える。


 それが、けっこう苦しい。

 死にかけた人にも分かってもらえないんだなぁって。

 みんな、苦しいのは自分だけだと思っているんだなぁって。


 私は自傷もしない。

 ヘラヘラもしてる。

 だから、「そう」とは思わないんでしょう。


 でも自傷しないのは、死にたい死にたいと言ってこなかったのは、気づかれたくないから。


 誰に説得される事無く、ふらっといなくなりたいから。

 そうなった時に邪魔されたくないから。

 勝手に分かったフリをして、可哀想がられたり、知ったかぶりもされたくなかったから。

 (書けないですが、自傷以外の自分を傷つける行為や貶める事はやってきました。犯罪はしてませんが……)



 私が初めて付き合った人は、年上でした。

 彼が学生だった頃、告白はしないまでも周囲も公認しているような、お互いも好意があって交際しているような状態の幼馴染がいたそうです。

 でも彼女はある日、何も言わずに入水じゅすい自殺をした。


 仲が良かったのに相談もしてもらえなかった。

 

 彼女の両親からは、さんざんお前のせいだとののしられたそうです。

 結局、ありがとうの手紙しかなく、理由は分からなかったそうです。

 

 だから告白した時、人と距離を詰めるのが怖いと泣かれました。入水の決意の堅さと、苦しかっただろうって思いを吐露しながら。

 何も気づいてあげられなかったと後悔していました。


 でも、結局私は選んでもらえた。

 なのに若気の至りでしょうね……、彼からしたら、本当に最悪の災難です。私は疫病神です。

 私は彼から心が離れました。


 多大な迷惑をかけたと、少し成長してから反省もしましたが、もう縁を切った身。

 連絡を取ることもなく。蒸し返す事もなく。


 もうずいぶん経ってから、某有名神社のある河原で奥さんらしい人と一緒に散策している所を見かけて、ほっとしました。


 高校の時、友達の弟さんも、ある日突然なんの前触れもなく自殺したそうです。

 親とは折り合いが悪く、姉弟二人はそれなりに仲が良かったという認識でした。

 休みあけの友達に、どうしたの?と聞くと笑ってました。(友達はお葬式だったから休んでいた)

 私だけが知らなかったようで、共通の友達が私にその話はダメと注意をしましたが……、まだ友達は「(動機は何だったのか)わからんねん、」明るく笑ってました。

 でもどうやら、ずっと○歳の誕生日に自分は死ぬと言っていたらしく……冗談だと思っていたそうですが、ずっと、冗談にしか聞こえないように言いながら、心に決めていたことを実行したという事ですよね……

 「有言実行は、アイツらしいな、」と笑う友達の顔が忘れられないというか……


 本当に人が苦しんで自ら命を絶つ時、シグナルなんて出すこともなく、説得の隙を与えることも無く逝ってしまうものなんだなと。

 その気持ちというか、心のメカニズムというか……そういうのが分かるので、すごく納得したのを覚えています。



 でも、結局。



 結局私は今も生きています。


 生き残りました。


 もちろん、辛い事はあります。辛すぎる日もあります。


 友達はいても、勝手に私が作り上げた疎外感とか、昔から集団に馴染めない性質とか、幼少期から歌ってしまって(しゃべるより歌の方が早いので)気持ち悪がられたりして、浮いてしまったり……


 なので選ばれない人生をずっと。


 こればっかりは、あなたが苦しい事が死ぬほど苦しいように、私の苦しみは私にしかわからないのです。

 死にたいとよぎるくらい苦しい事に、他人が「その程度」の烙印を押せることなんて何一つないのです。



 それをどうやって今まで生きてきたのか。命を繋いできたか。


 それは小さい事の成功体験しかありません。


 何でもいい。

 私の一番の成功体験は「自動車免許をとる」でした。

 私にも人並みにできることがあって、それを証明してくれた、と。

 それから、マフラーを編んだり、帽子を作ったり、作ったものを人にプレゼントしたり、お菓子を作っておいしいと言ってもらえたり、本当に小さな成功体験を繋ぐしかなかった。



 最初に「足かせ」と書きましたが、私は妹が身体障碍者だったので、死ねませんでした。

 踏みとどまったのは、それです。

 両親がもし先にいなくなったら妹の面倒は私が見るのが筋だと思ってました。


 しかし、妹は誰よりも先に向こうの世界へ行ってしまいました。


 でも私は両親にこれ以上、子供に先に逝かれてしまうという思いを味わわせたくなった。

 だから、ずっと踏みとどまっています。


 でも踏みとどまっている間に、私は世の中の人々は当たり前にやっている小さな成功体験を、負け組なりに積み重ねて、それなりに楽しく生きています。


 いつでも未来の不安や、苦しみは皮一枚の所に息をひそめて、、いや、表裏一体で狙っていますが、それを見ない術を身に付けたのです。


 何を失くしても、どんなに不安な状態で、人に拒まれていると(現実だったとしても妄想だったと)しても、生きています。


 確かに私は、ありがたい事に家庭には恵まれていたので、虐待だったり複雑な家庭の状況の方には言及出来ないですが、

 ひとつだけ言えるとすると、好きになれない人を好きになる必要もない。


 親の熱心な宗教の問題で、悩んでいた友達もいました。

 彼女も結局、親から離れました。


 学校での問題も、

 学校なんてコミュニティーは本当に閉鎖された、小さな世界です。

 それが全てじゃない。地元だってそう。


 教師というカテゴリーの中には、良い先生がいる事は確かでしょうが、たいていは狭いコミュニティーのなかで長年過ごす、その価値観しかない大人です。

 信じられないなら、信じないで、捨てたらいい。

 人生の中でほんの少しの時間です。



 どうやったら、ストレスの元凶から離れらるかが問題なので、そのまま現状維持をして、自分を犠牲にしてはいけない。

 昨日も書きましたが、誰もが自由です。


 イメージが大切。

 未来の自分も自分を大切にしてくれる人も、両方が幸せになれるためのイメージ。道筋。

 


 

 家庭や生活面の問題を抱えている人も、

 対人関係で、理不尽な目に遭っている人も、

 精神的に、人に言ってもどうしようもない苦しみを抱えている人も、

 みんな、それぞれが、それぞれ深刻に苦しいんです。

 どれも「そんなしょうもない事で」と馬鹿にできない。全部真剣。

 


 でもまぁ、

 私には、三番目の精神的な苦しみの話しかできませんが……。

 



 私はきっと自分を幼い頃から過大評価していたんでしょう。

 なのに現実の私は、その評価とはかけ離れている。

 (想いが膨大で言葉が出てこなかった事から端を発しているのかもしれない)


 歌を歌っても馬鹿にされるし、気持ち悪がられるし、評価されない。

 私には唯一の「私の中身を開放出来る事」だったのに。私の価値そのものだったのに。


 私という魂が大きいから体(器)が小さくて、体(器)の中に納まりきらなくて、窮屈で苦しいんだと思っていた。


 でも、違っていた。

 自分が自分を過大評価してしまっていただけで、器の方が魂より大きいくらいが現実だった。


 現実に気が付いて、その事にも落胆したけれど、そう気づかない間の方がよっぽど辛かった。



 それでも、生きていけるんです。


 悲しむ人が必ずいるから。



 私も今まで、色んな心ある大人に助けてもらいました。

 そして、大人になってから、数少ないですが、何人か若い子の悩みも聞いたりします。


 そんな人いないと、決めつけないで探してみてください。

 公的な機関でもいいから。


 まずは自分から話してみることが大切。


 そうしないと、何も変わらないし、自分の中で苦しいだけ。

 何が苦しいかわからないならなおさら。話しているうちに、モヤモヤの正体がわかるかもしれない。

 苦しみの正体がはっきりしていても、話さないと人には分からない。



 どうか、ひとりで悩まず。


 生きてください。



 こんな、どうしようもない大人でも、何者でもない大人でも、それなりに楽しみを見つけて生き続けてますよ。



 「生きていれば、答えは見つかる。」


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