46 手綱をにぎる

 こんにちは。


 なんだか、愛知の海のあたりで、色々物議をかもしてますねぇ。


 私は全くあのジャンルとは縁が無いのですが……、人って不思議なもので、好きなものの趣向性で生き方や考え方が似ているというのも、否定はできない部分はあると思うのです。

 そのジャンルに入ったからではなく、もともとそうだったから、そのジャンルに到達した、みたいな。


 あ、最初に言っておくと、あの音楽ジャンルが好きな人を批判しようと思っている訳ではないですよ。


 例えば小売業だけで考えても、携帯電話屋さんで働く人と、魚屋さんで働く人、ペットショップで働く人、写真屋さんで働く人、宝飾店で働く人……それぞれの業種内にいろんな人が居るのは確かなことですが、なんとなく志向性というかベクトルが似ている気がするのです。


 子供の洋服のブランドの人が高級家具屋さんみたいないで立ち・・・・としゃべり方と考え方では商売になりにくいし、

 同じ業界でも、厳ついゴリゴリのシルバーアクセサリーの宝飾店で居心地がいいと思っている店員さんが次の仕事を選ぶときに、ハイブランドの宝飾店を選ぶ確率は低いでしょう。

 

 携帯電話屋さんだと、一台もう持っている人や、買い替えたばかりの人、数台持ちが必要ない人にも「どうですか?」とオススメするような豪胆さが無いと難しいし、「仕事だから切り替える」程度のコミュ力では無理というか……、根っからでないと無理なくらいの「軽さ」が必要。

 なのに、覚えなくてはいけない商品の特徴や契約のルールは日々変わるし勉強する事も多い。なかなか適性が難しい職種だと思う。


 職人気質が問われる仕事、コミュニケーション能力が必要な仕事、慎重さが必要な仕事、カリスマ性が無いと伸びない仕事、手先の器用さ、機転が利かないと出来ない仕事、忍耐力勝負の仕事、小売りのはずなのにサービスメインになる仕事……まぁ、色々ありますよね。


 どれがマッチするか、許容できるかっていうので、やっぱり性質が似て来る気がします。

 どうでもいいかもしれませんが……、私の職場はオタクが多かったです。全員じゃないですけどね。


 かといって、同じ人種ばかりでは何も変わらないわけで。

 その中で、時々新しい風を入れる人がいて、いろんな業界は発展していくんだろうなぁと。



 話は逸れるのですが、伝統工芸の仕事に興味があり……というか、最初は和装に興味があり染色の工場にお邪魔した時の事です。


 職人さんが弟子をとると、とりあえず一年以上は暑い日も寒い日も樽の洗浄をさせる、と言っていました。ピカピカになるまで。

 若い人はそれが嫌でやめていくと。


 でもそれには訳があって、私が見学したのは一反分の正絹の布を広げ、そこに刷毛はけで色を入れていくのですが、最初から最後まで同じ色で仕上げないといけない。ムラがあってはいけない。

 またはグラデーションやぼかし柄だと、同じリズムで、どこをとっても同じように仕上がっていないといけない。


 刷毛を動かす速さや角度、刷毛にとる染料の量、全てが均一でないと出来ないそうで、それは心が動揺すると出来ないのだそう。

 暑くても、寒くても、納期が迫っていても、お腹が減っていても、眠くても、疲れていても、子供が生まれる日でも、究極親が亡くなっても、同じ精神状態を保たないといけない。

 そのための第一ステップがそれなんだそう。


 確かに今は「見て盗め」の時代ではなく、職人の動きをデータ化して教える時代なのかもしれないですが、心を強くする方法はデータでは教えられないですからね。


 意味が無いように見えて、意味があるのだなと。

 芸術家ではなく職人というのは、修行僧のような一面があるんだなぁと。


 私が沖縄に行ったらお邪魔している銀細工の職人の又吉さんも「芸術家ではないから、何十年も前の人が作ったものと同じものを作ることが大切」だとおっしゃっていた。


 一日にたくさん作れたとしても作らない。

 生産性を上げようと思うと、そのうちどこかがおろそかになって歴史を繋ぐための「形」が変わってしまうかもしれないから、それもしないと。

 いつも同じ心で、父親や、もっと昔からの職人さんが作ったものと寸分違わないように。先の未来に、受け継いだ職人がお手本にしてくれる形を作る。

 自分は、面々と続く歴史の中の一つだと。


 ちょっとでも、自分のオリジナルな部分を入れてしまうと、それは伝統ではなく芸術家だと言っていた。


 人は飽きてしまうし、考えるあしだから、揺らぎながら考え、工夫もしたくなる。

 それが普通。

 でも、それをしないで伝統を未来永劫繋ぐという信念と精神力と覚悟は、本当にすごいと思った。


 私にそれが出来るだろうか……

 きっと出来ないなぁ。

 きっと工夫をしてしまう。生産性を上げる工夫だったり「今」望まれているものの模索。マーケティングと言ったらいいんだろうか。


 もちろん、それは悪い事じゃない。

 一般的な美術品なら。

 そして、工夫を取り入れる余地のある伝統工芸なら。(もちろんそういう伝統工芸も有りだと思う)


 あのご年齢で(おじいちゃんです)一方的に話さず、私たちの話をじっくり聞いて的確な返答と、心を震わすお話をして、にこやかで穏やかで素敵なお爺ちゃんはなかなかいないと思うのです。

 修行僧を超えた聖人の域に入る方なんだろうなぁと。


 

 と、話はそれましたが……、


 何か発信したり制作したりする側というのは、そうやって少なからず「心」とか「崩してはいけない何か」みたいなものがあると思うんですよね。

 普遍的な何か。


 音楽イベントに戻りますが、きっと、あのジャンルにもあるんだと思うんです。

 音楽業界で食べている人……、イベントの企画、施設運営、照明、音響、舞台美術、宣伝。もちろん演者も。

 みんなそれぞれが矜持を持っているはず。

 

 なのに、楽しさとか逆張りがかっこいいという思いが勝ってしまったのでしょうか……


 あのイベントは、やってしまったなぁと思った。

 そういう業界のプライドを持って「愛している文化を育てたい」と思っている人が持っているはずの「貫かないといけない事」を破ってしまったんだなぁと。

 

 やっとあの音楽ジャンルをお茶の間で流せる時代に先人がしてくれたのに、壊してしまったと呟いている人がいて、愛している人はそう思うよねと同情した。


 前も書いたように、一部の人がやらかしてしまうと、カテゴリ全員がそうだとみられてしまう。

 あの場に居ても、引いていた人もいるだろうし、同じ音楽やアーティストが好きでも違う考えの人はもちろんいるはず。

 でも、世間はそう見てくれない。


 例えば、仕事や学校以外の時間はラノベを書いている人が大きな犯罪を犯したら、このコンテンツの利用者自体が同じような目で見られかねない。

 まぁ、これは飛躍しすぎかもしれないけれど、シンプルに言うとそういう事だ。


 でも悲しいかな、最初に書いたように、やはり同ジャンルの人はベクトルが同じ方向を向いている傾向はあるのです。

 あの会場において、数人が羽目を外してしまったが為に、羽目を外すスイッチが簡単にオンになってしまう連鎖が起きたのでしょう。

 きっと、そんなつもりで行っていない人もいたはずなのに。

 

 いつも「自分が持つべきプライドは何であるか」という事を、しっかり手綱を握らないといけない。

 

 何をするにも市民権を得るには積み重ねの信頼なんだけど、壊れるのは一瞬。

 今回は、そういう事例だったけど、なんにでも当てはまるから、みんなちゃんとしよう?と思うわけです。

 コロナだから言うわけじゃないですよ。

 ごみ問題、騒音問題、最低限のお行儀の問題、全てです。

 自分が属している団体、コミュニティー、趣味、推し……全てやり玉にあがる可能性がある。



 とりあえず、私は次沖縄に行けたら、又吉さんのジーファー(かんざし)が欲しいです。(全然関係ないな ←)

 本当に、早くパンデミックが終息して、遊びに行きたいなぁ。

 沖縄。 


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