21:缶詰
「最近、お姉ちゃん、何か元気だよね」
「そう?」
買っておいたコンビーフの缶詰を開ける。そのまま摘まむもよし、何かに混ぜてもよし、おつまみの万能選手。なお、箸でほぐしながら食べるのが私の好きな食べ方だ。
妹も積んであるおつまみ缶詰の一つに手を伸ばしながら、言葉を続ける。
「何か顔色がいいっていうか、肌つやがよくなったっていうか」
「……そういうもの、かしら。自分じゃよくわからないけど」
仕事の話をするならば、忙しさを増していると言わざるを得ない。Xの『潜航』が順調に進んでいるだけに、そのデータの解析に時間を取られている。家に帰れない日も時々あるくらいだ。
だから、最近はむしろ自分のことに気を遣えなくなってきていると思っていただけに、妹のその言葉には首を傾げざるを得なかった。
妹が開けたのは焼き鳥缶だった。焼き鳥もいいな、と思いながらビールを一口。すると、妹がこちらの顔を覗き込んでくる。
「何か、いいことあった?」
「いいこと、ねえ。仕事が充実してるのはいいことだと思うけど」
「お姉ちゃん、仕事の鬼だもんね」
「もうちょっといい言い方があると思わない?」
仕事が生活のほぼ全てであることを否定はできない。
妹とこうして向かい合っている時間も大切なものであるとは思うが、その一方で「何かを欠いている」感覚が常に付きまとっている。それは、きっと、あの日失ったきりの片割れのこと。夕焼けの空に飲み込まれて消えた、あの子のこと。
仕事をしている間は、そのことをことさら考えなくとも済む。私の仕事それ自体が、あの日にいつか繋がるものだと信じているから。そして、『異界』への『潜航』が可能になった今、確かに近づいているのだという手ごたえがあるから。
――と言っても、妹にそれを語ることはできない。
我々のプロジェクトは、秘密裏に行われているものだ。『異界』の存在を知らない人間が大部分を占めるこの国において、我々の研究は狂人のたわごと同然だ。そんなものに国の金を使っている、と知れたらどうなるかなど、考えるまでもない。
そういう事情で身内にすら何も語らずに来ているが、幸い、妹は、私の研究にほとんど興味を持たないでいてくれていた。元より、お互いにそこまで干渉しない関係性ではあったのだが。
コンビーフをつまみ、口に運ぶ。いつもより少しお高いコンビーフは、スパイスがよく効いていてビールが進む。これはもっと買い溜めておいた方がいいかもしれない。
妹も焼き鳥を咀嚼して、飲み込んで。それから、改めて口を開くのだ。
「ただ、そう、お姉ちゃんの仕事が充実してるのはいつものことじゃん」
「それもそうね」
「だから……、仕事場で、いい人でも見つけたのかなって」
「はあ?」
思わず変な声が出てしまった。
言われた意味がわからないわけではない。わからないわけではないが、私という人間からは完全に縁遠い概念であるということも、わかる。
「ないない。それはない」
「そうなの? でも、仕事場で気になる人とかいるんじゃないかなって思ってさ。ほら、見られ意識っていうの?」
見られ意識。誰かから見られていることを、ことさら意識しているということ。顔色がよくなったのも、肌つやがよくなったのも、私自身が誰かの視線を意識しているということの表れである、とするならば――。
脳裏によぎるのは、少しだけ焦点のずれた、けれど酷く真っ直ぐな目。同じ視点を共有しながら、何一つ私に理解させようとしない……、Xのこと。
「いや、それは、ないわね……」
気になるか気にならないか、と言われたら気になる。それはもう、気になるに決まっている。だが、その「気になる」という言葉が妹の言うような意味でないことも、明らかだ。
Xは結局のところ私にとっての異界潜航サンプルであり、それ以上でも以下でもない。そもそも人間扱いすらしていない相手を、ことさら意識する理由がない。
彼に興味がないといえば嘘になるけれど、だからといってその仔細までを知りたいと思うわけではない。……そのはずだ。
妹も、それ以上追及をしてくる気はなかったらしく、座椅子の背もたれによりかかって、「ないかー」と声を上げる。
「残念だな。お姉ちゃんにもついに人生の春が来たかと思ったのに」
「大げさな。そういうあなたはどうなの?」
「見ればわかるでしょ、見れば」
うえーい、と妹はビールのグラスを持ち上げる。まあつまり、私と妹がこうして部屋で二人きり、つつましく酒盛りをしているという時点で、そういうことなのだろう。
私もビールのグラスを持ち上げて、グラス同士を触れ合わせる。
まだ、私たちの夜は始まったばかりだ。
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