15:おやつ

 その家は、森の中にぽつんと建っていた。Xが恐る恐るといった様子で近づいていくと、扉が開き、女が顔を出した。Xと同じくらいかもう少し年上と思われる女は、Xを見てにっこりと笑って手招くのだった。

「旅人さんかい? いいところに来たね。ちょうど林檎のパイが焼けたんだ、食べていかないかい?」

「林檎のパイ、ですか?」

「林檎は苦手かな? ならチョコレートムースに苺のケーキ、ワッフルにカップケーキにシュークリームだってあるよ」

「何でもあるんですね」

 淡々としたXの声に、女は「そりゃそうさ」と胸を張る。

「見ての通りの『お菓子の家』だからね」

 そう、その家は、屋根から壁、窓に至るまで全てが菓子でできた、まさしくおとぎ話そのままの『お菓子の家』だった。

 

 

「いい食べっぷりだねえ」

 女が感心の声を上げながら、空になったXの皿に次の菓子を載せていく。外から見ればお菓子そのものを組み合わせた『お菓子の家』だが、中も当然とばかりにお菓子に満ち溢れていた。そんな異様な空間において、しかしXはマイペースに女の出す菓子を食べ続けるのだった。

 Xの『異界』への適応力は『潜航』において極めて重要な素養だが、ここまで落ち着き払っているのも、ちょっと見ているこちらが不安になる。

「美味しいかい?」

「はい、とても」

 Xは頷いてみせてから、ぽつりと付け加える。

「こういう形で、お菓子を食べるのも久しぶりです」

 拘置所の、今は研究所に特別に作られた独房で暮らすXが食べているものが何なのか、私はその詳細は知らない。ただ、菓子などの嗜好品を満足に食べられる環境ではない、ということだけは私にもわかる。

「おや。それなら満足いくまで食べるといいよ」

「よろしいのですか?」

「もちろんさ。その代わり……」

 言葉を切った女に対し、「その代わり?」とXがわずかに怪訝そうな響きを混ぜる。

 Xも、流石にかのおとぎ話を知らない、というわけではなかったらしい。つやつやとしたエクレアに向けて上げかけたフォークを一旦下げて、微笑む女に視線を向ける。

「例えば、今度は私が食べられる番になる、とかでしょうか」

 そう、それは童話『ヘンゼルとグレーテル』の筋書きだ。

 親に捨てられ、森を彷徨う兄妹がたどり着いたのはお菓子の家。そこに住む女に歓待される二人だったが、実はその女は人食いの魔女で、二人は魔女に食べられてしまいそうになる、という物語。

 何も言わずに微笑を浮かべ続ける女に、Xは少しばかり困ったような声を上げる。

「きっと、筋張っていておいしくないですよ」

 筋張っている。なるほどそうかもしれないが、その前にこの場を逃れる算段を立てたらどうだろうか。そんな私の思いなど知らぬXは、エクレアと女とを見比べている。もしかすると菓子につられて判断が鈍ってでもいるのだろうか。

 すると、一拍の後に女がけらけらと声を上げて笑い出した。

「なんだい、旅人さんまで知ってるのかい。やだねえ、ほんとに有名になっちまったもんだよ。その様子じゃ、あたしが間抜けなことにかまどで焼かれたことも知ってるんだろう?」

 そう、『ヘンゼルとグレーテル』では、魔女は妹のグレーテルをかまどで焼いて食べようと試みるが、それを知ったグレーテルは機転を利かせて魔女にかまどを覗き込ませ、そのまま魔女をかまどに押し込んでしまうのだった。そうして、魔女は焼け死に、兄妹は魔女の家を脱出するのだ。

 あっけらかんとした女の言葉に、Xは「あらすじだけですが」と答えた後に、不思議そうに言った。

「かまどで焼かれて、死んだんじゃないんですか」

「魔女はその程度じゃ滅びないよ。魔女が死ぬときは、世界に忘れ去られたときだけさ」

「世界、に……」

「まあ、でも二度も三度も焼かれるのは嫌だし、そうでなくても、あんたは筋張ってておいしくなさそうだからね」

 先ほどのXの言葉をわざとらしく繰り返して、女はXの正面に置かれたクッキーの椅子に腰掛けて、人のよさそうな笑みを浮かべるのだ。

「あんたの話を聞かせてくれよ。旅の話を聞くのが、好きなのさ」

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