05:秋灯
今日の『潜航』は随分と時間がかかってしまった。Xを『異界』から引き上げた時点で時計を確認した限り、きっと外は既に暗くなり始めているに違いない――そんなことを思っていると、意識せずとも言葉が口をついて出た。
「近頃は、夜が随分長くなってきたわね」
ほとんど独り言に近い呟きだったのだが、寝台の上のXもこくりと頷きを返してきた。少しばかり意外に思ったが、せっかくなのでこのまま話を聞いてみることにした。
「発言を許可するわ。あなたも、日の短さを感じることがあるのね」
「ええ。窓越しに感じる程度ではありますが」
あらかじめ与えられている情報によれば、Xは死刑を言い渡されてから、十年近くを拘置所の独房で過ごしてきたらしい。いつ死刑が執行されてもおかしくないと考えながら、十年だ。その心境を私が理解することはできないが、Xはいつもの通りに淡々としていた。いつだってそう、Xが自らの心境を表現することはめったにない。
それでも……、何となく、Xの話を聞きたいと思ってしまう自分がいる。Xに対するちょっとした興味を抱いてしまう自分が、いる。
「夜が長いと、少しもったいない気分にならない?」
そうですか、とXは少しばかり首を傾げてみせる。私は日が登っている間にできたはずのことができなくなる、ような印象を覚えてしまうけれど、Xはそうではないのだろうか。すると、Xは焦点のずれた目を細めて言うのだ。
「私は、夜も、嫌いではないので」
「そう。……夜、どんな過ごし方をしていたの?」
つい、続けざまに質問を投げかけてしまうが、Xは嫌な顔ひとつせず、別に義務でもなんでもないのに、律儀にも私の問いに答えようとするのだった。
「そうですね。がむしゃらに、何かを学ぶ時間だった、気がします。私は、鈍い性質なので、……人並みに振舞うには、人より学ばないと、追いつかない」
そうかしら、と今度は私の方が首を傾げてしまう。確かにXは茫洋としていて、とらえどころのないところはあるが、時に、妙に鋭い一面を見せる。『異界』における判断力も、決して人より劣るとは思わない。
私が不思議そうにしているのを見て取ったのか、Xはわずかに口の端を歪めてみせる。
「まあ、結果として、こうなった、わけですが」
こう、と言ってXが示すのは両手を繋ぐ手錠だ。手錠に繋がれた手をひらひらとさせながら、彼の言葉はあくまでも淡々としていた。
「別に、後悔は、していません。けれど、もし、私が『人並み』であれば」
そこで一度言葉を切って、Xは視線を落とす。元より低めの声をさらに低くして、ぽつりと言うのだ。
「別のやり方も、あり得たのかと。考えることは、あります」
Xが何故、何人もの人間を手にかけてしまったのか、その背景を私は知らない。Xという生きた探査機を運用する上では、知らなくていいと思っている。思っているけれど、気にならないといえは嘘になるのだ。
ただ、今その詳細をXの口から聞く気にはなれなくて。代わりに別の言葉を投げかける。
「でも、あなたの学びは、別に無駄ではないんじゃないかしら」
「え?」
「私たちの助けになっている。今、間違いなく」
私が見ているXは、生来持ち合わせたものに加えて、おそらくかつての学習の結果としてこの場にあるのだろう。人並みになれなかった、とはいうけれど、私から見れば十二分に役に立ってくれている。もちろん、あくまで異界潜航サンプルとして、ではあるけれど。
それでも、伝えておきたいと思ったのだ。私という個人の、率直な感想として。
Xは目をぱちりと瞬かせて私を見て、それから、ふと息をついて、目を細めた。
「助けになっている、なら」
きっと、Xはそう遠くないうちに、この場からも姿を消すのだろう。
その時のことを、私も、きっとXも考えていないわけではない、けれど。
「……嬉しい、ですね」
Xはまだここにいて、私を見上げている。
まだ。今は。
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