04:紙飛行機

「魔法では空は飛べないのですか」

 Xの問いかけに、少年は眼鏡越しの三白眼を向ける。

「何を言ってるんだ? 子供でも知ってるぞそんなこと」

「……ええと」

「だが、いくつになってもわからないことをわからないと素直に認めて、質問するというのはいいことだと思う。あのクソ頭の固い大人連中とは大違いだ」

 戸惑いの声を上げるXに対して、少年は早口で言う。「クソ頭の固い大人連中」が誰を指しているのか私には判断できなかったし、Xにも判断できなかったに違いないが、少年は一人で勝手にうんうんと納得しているようだった。

「魔法で空は飛べないのか? 魔法だけでは不可能だ。魔法は大気中のマナを体内マナと反応させて別の力に変化させるわけだが、これでは動力は得られるが揚力は得られないということが研究の結果明らかになっている」

 ぺらぺらと喋りながら、少年は膝の上に広げたノートの切れ端を折り始める。Xの視線は少年の指先に向けられ、その手によって一枚の紙が徐々に立体になっていくのをじっと見つめていた。

 ――魔法。

 どうやらこの『異界』では、魔法という技術が『こちら側』の科学技術と同等くらいの地位を得ているらしかった。

 ひとり『潜航』したXが降り立った街では、どこぞの映画のように長短様々な杖を持った人々が行き交い、その一振りであらゆることをこなしているのが目に入った。

 Xはしばらく街中で色々な人の話を聞いたり、辺りを観察したりしていたが、やがて人波に揉まれているのにも疲れたのか、町外れの丘に足を伸ばして――不意に、視界に紙飛行機が飛び込んできたのだった。

 何もかもが目新しい世界に飛び込んできた、『こちら側』で作られるそれと同じ形の紙飛行機。紙飛行機はXの横をすり抜けていくと、すぐに失速して草の上に落ちた。Xはその紙飛行機を取り上げてみた。翼には『こちら側』のどのような文字とも異なる文字がびっしりと書かれていた。

「おーい」

 すると、声が降ってきた。丘の上から一人の少年が降りてきて、Xに向かって手を振っている。

「こっちに飛ばしてくれ」

 Xはすぐに紙飛行機の胴体部分を指でつまみ、そっと風に乗せるように放った。紙飛行機は真っ直ぐに少年に向かって飛んでいき、少年がそれを中空でキャッチする。少年は「悪いな」と言いながら眼鏡越しの三白眼でXをじろじろ見つめて、それから言ったのだった。

「この辺じゃ見ない顔だが、旅人か?」

 ……そして、今に至る。

 丘の上のベンチに腰掛けた少年は、喋りながらなおも丁寧に紙を組み立てていく。少年の言葉は早口ながらも聞き取りやすいのだが、何しろ話していることが専門的に過ぎた。魔法にできること、できないことの話から始まったはずなのだが、いつの間にか魔法で空を飛ぼうとした歴史と、航空力学の込み入った話、そして現代における工学的アプローチの話へと摩り替わっているようだった。もしかするとこの少年、『こちら側』で言ういわゆる「オタク」というやつであるのかもしれなかった。

 私が、録音していることをいいことに聞くことを放棄しているのだから、Xは尚更まともには聞いていなかっただろう。少年の横で時々相槌を打ちながらも、その意識は完全に少年の指が生み出そうとしているものに向けられているようだったから。

「……そういうわけで、魔法では空は飛べない。だが」

 少年はすっくと立ち上がり、手に出来上がった紙飛行機を持つ。先ほどXが拾ったのものとは少しだけ形が違うようだった。

「魔法だけが技術じゃないからな」

 言って、少年の指先が紙飛行機を放つ。紙飛行機は青い空に向けて真っ直ぐに飛んで行く。もちろんずっと続くわけではなく、必ず落ちてしまうものではあるのだけれども、それでも。

「俺は、誰でも空が飛べる、そんな時代がもうすぐ来ると信じている」

 少年の横顔はどこまでも凛としていて。Xはそんな少年を見上げて……、いつになく穏やかな声で、言った。

「叶いますよ。きっと」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る