ワークロボット社

シュレディンガーのうさぎ

第1話 Prologue

(やっとついたわ……)

肩にかけていた鞄をかけ直して、私は安堵の息をついた。

目の前には、何階まであるのか一見分からないほど背の高い建物がそびえ立っていた。一面真っ白なその建物には装飾は一切無く、あるのは太陽光を取り入れるためだけに設置された簡素な窓だけだ。初めてこの建物を見た人は、これがどのような意図で建てられた建物なのか皆目見当がつかないだろう。人を寄せ付けないひどく無機質な感じのする建物――そのエントランスにつながる扉の上にぽつんとあるロゴが、唯一この建物が何であるかを教えてくれるのみだ。

今日から私が働くことになるここは、決して病院でも刑務所でもない。この建物はその創立から100年の間、人々を助けるアンドロイドを貸し出し続けてきた『ワークロボット社Work Robot Corporation』の本社なのである。


私は政府の機関の一つである科学省のロボット課に勤務している。ロボット課とは、西暦2080年に新しく出来た課であり、急速に増加するアンドロイドと人間との関わりを模索する目的で設置された。そして同じくその頃に設立されたのが、このワークロボット社なのである。

世界は2072年にロボットブームを迎え、多くの企業が争うように高度なロボットを作った。過去にも何度かロボットブームがあったそうだが、2072年に彼らが作ったロボットは明らかにロボットだと一目で分かるような物ではなく、人間そっくりなアンドロイドばかりであった。

彼らは自らの技術を示すだけでは飽き足らず、それらを人間に変わる新しい労働力として売り出した。『アンドロイドは人間には出来ないことができ、また足りない労働力を補うことができる(Androids can do things that humans can't, and they can fill in the missing workforce.)』と彼らは謳った。当初、彼らは、そして政府までも、アンドロイドと人間は補完しあってうまくやっていけるだろうと思っていた。

しかし、その考えは甘かった。アンドロイドは労働力を補うどころかどんどん人間の仕事を奪い、多くの失業者が町にあふれた。また、業者が売り出したロボットのアフターケアをきちんと行わなかったため、壊れたロボットが暴走するという事件も多発した。だんだん人々の心はアンドロイドから離れ、アンドロイドの供給が需要を大きく上回るようになった。人々はアンドロイドを嫌い、さらに憎むようになり、町中で働くアンドロイドが反ロボット勢力により破壊される事件も起こった。

被害はアンドロイドとその所有者だけにとどまらなかった。破壊されたアンドロイドが暴走して近くにいた何の関係もない人を傷害したり、正常な判断が出来なくなった過激な反ロボット勢力の人々によってアンドロイドでない普通の人間が殺害されてしまったりという痛ましい事件が何度も起こったのだ。私自身は生まれていなかったため分からないが、当時のニュースを見ると幼い子供も被害にあったらしい。アンドロイドが人間そっくりに作られてしまったことの弊害だろう。

(二度とそんな事件が起こらないようにしないと……)

その子供の親の気持ちを思いやる度に、私は科学省ロボット課に所属した理由を再確認するのだった。


当時の惨状を憂う人々の一人にワークロボット社の創設者、ウィリアム・アンダーソンがいた。彼はワークロボット社を設立するとほとんどのロボット業者を吸収・合併し、そのとき世界にあった全ての職業に合うようにそれぞれに特化したアンドロイドを大量に作らせた。そしてアンドロイドを売るのではなく、人々が好きなときに借りられるという仕組みを作った。いわばアンドロイドの図書館を作ったのである。

また、一つの職業に特化したアンドロイドの中でも見た目、性格、年齢などを少しずつ変え、バラエティー豊富なアンドロイドを用意した。最初は抵抗があった人々だが、大企業が利用し始めたのに伴い、企業だけでなく多くの民間人も利用するようになった。今や日常生活でロボットを見ない日はないといってもいいほどだ。

ワークロボット社の新システムは功を奏して、ワークロボット社に属していなかったロボット業者はだんだん勢力を失い、最後にはワークロボット社に統合するか、倒産するかのどちらかに至った。

それからウィリアムは世界中に支社を作り市場を展開していった。ワークロボット社は完全に世界のロボット市場を支配したのだ。今までのところ、ワークロボット社に勝る業者はもちろん、匹敵できるロボット業者も存在していない。現在世界で働いているアンドロイドは全てワークロボット社のアンドロイドなのである。

こうして、彼のおかげで人間とアンドロイドの関係は、『使用者Master』と『道具Servant』という関係で落ち着いたのであった。


デトロイトにあるワークロボット社の本社。私はこの会社のCEOChief Executive Officerの秘書として、今日から働くことになっていた。何故ロボット課の私が選ばれたかというと、ロボット課、いや政府は人間とアンドロイドの均衡を保つため、このワークロボット社の活動を支援しているからである。また、政府は企業に資金を調達する代わりにワークロボット社から通常より安い値段で優秀なアンドロイドを貸して貰っている。つまり、今回の私の秘書への任命は、企業と政府の友好関係をさらに強めるためにされたものであった。つまり、私がへまでもしてCEOを怒らせてしまったら大変なことになってしまう。

(これは責任重大だわ……)

私は責任の大きさを再確認して体が震えてしまった。しかし、首を振って活をいれなおす。

(しっかりしないと!初日からこんな顔をしていたら、それこそ嫌われちゃうわ)

私は肩にかけていた鞄を抱え直すと、扉に近づいた。


エントランスは広々とした空間になっていた。アンドロイドを借りに来た人々がここで商談をしやすいように机と椅子があちこちにあり、明るい雰囲気になっている。子供が遊べるようなキッズスペースや飲み物を頼めるサービスもあり、飾り気のない外装からは想像出来ないほどだ。

入り口からは見えなかったが、日の光を取り込むために大きな窓が南側に設置してあった。その上に建物の外にもあった、ワークロボット社のシンボルマークである2つの歯車が合わさったマークが大きく描かれていた。

そのマークの一つの歯車は人間を、もう一つの歯車はアンドロイドを表している。『人間とアンドロイドの双方がかみ合うことで世界を動かしていく(Both humans and androids engage together to move the world forward.)』という理念を掲げているワークロボット社にぴったりのロゴだ。

それを見ながら私は受付Receptionに向かった。が、誰もいなかった。

(……今日は休業日だものね)

仕方なく思いながら、人を探すために近くの扉から外に出る。するとそこには、さっきまでの暖かい雰囲気はどこへやら、外装と同じく無機質な世界が広がっていた。まるでテレビで見たことがある宇宙船の中のようだ。ぴかぴかに磨かれた大理石の床に、外観と同じく真っ白な壁。扉までも真っ白で、その白い光景がどこまでも続く。ずっとここにいたら方向感覚がおかしくなってしまいそうだ。

わずかな目眩を覚えながら辺りを見回すと、警備室Security officeと書かれているところを見つけた。

扉の前にたってノックをしてみたが返事がない。ガラス窓から中をのぞき込んでみたが、誰もいなかった。

「困ったわね……」

もう少しでCEOとの約束の時間になってしまう。さすがに初日から遅刻するのはよくない。

どこかに社内地図がないかとうろうろしていると、

「どうかされましたか」と後ろから声がした。

振り返ると背の高い男性が立っていた。満点の星空が見える晴れた夜の空のような色をした髪に、黒曜石のような瞳。上から下まで真っ黒なスーツを身につけ、白いワイシャツの下からも同じく真っ黒のタートルネックが見えている。また両手には指先だけ開いた黒い手袋をしていた。最も特徴的なことに、彼の左の頬にはバーコードが印刷されていた。

私は瞬時に彼がアンドロイドであると分かった。この会社のアンドロイドは皆、個体識別のためにバーコードが印刷されているのだ。また、彼は左腕にワークロボット社のシンボルマークが描かれた腕章をしていた。どうやらここの従業員のようだ。

やっと従業員を見つけることが出来てほっとした私は、さっそく社長室の場所について聞いてみることにした。

「あ、私、科学省ロボット課からきた……」

「ああ、セクレですね」

彼は静かに私の言葉を遮った。

「あ、はい。そうです」

彼は私を無感情な瞳で見つめた。切れ長の瞳と、かたく結ばれた口、そしてにこりともしない様子から、彼がとっつきにくいアンドロイドだと分かる。

何も言わずに見つめられるのが怖くて、私は早く用件を言うことにした。

「御社のCEOの方と9時に社長室President’s officeで会う約束をしていたんです。社長室の場所を教えていただいてもよろしいですか」

「ええ。こちらへ」

彼は踵をかえした。私はその後ろを静かについていった。

エレベーターに乗っているとき、私達は終始無言であった。彼は腕を組んで床を眺めていた。私は人と話すのが好きなほうであるから、企業訪問の時は従業員の人と何かしら話はするのだが、何故か彼には話しかける気が起こらなかった。

彼が無口なのはアンドロイドであるからではない。その証拠に、私はとてもフレンドリーなアンドロイドに今まで何度も会ったことがある。目の前の彼がそのような性格に作られているだけだろう。

社長室は10階にあった。一切口を開かなかったからか、まるで随分と長い間エレベーターの中にいたような気がした。

エレベーターから出て少し歩くと社長室の前についた。CEOがいる部屋なだけあって、侵入者を拒むような頑丈なつくりの扉になっていた。

(これからCEOにお会いするのね……)

緊張しているためか、心臓が耳元にあるのかと思うくらい鼓動の音が大きく感じる。

(一体どんな方なのかしら)

ワークロボット社は世界でも指折りの大企業だ。この会社の社員になることを夢見る若者は少なくない。そんな今をときめく会社のCEOを一目見たい、あわよくばお近づきになりたいと思う人間は多いだろうが、その希望に応えずCEOはめったにメディアの前に姿を現わさなかった。そのため、彼の姿を見た者はほとんどいなかった。

(男の人ということと、結構ハンサムな人だということは聞いているけれど……)

一度CEOに会ったことがあるというロボット課の同僚が言っていたことを頭で反芻しながら私は目の前の扉を見つめた。

その扉の横にあった小さな機械にアンドロイドの彼が手の甲をかざすと、静かに扉が開いた。

「どうぞ」

お礼を言って私が中に入ったのを見届けて、彼自らも社長室に入った。

(珍しいな、普通は社長室に着いたら一人で待たされるのに……)

そう思っていると隣にいた彼がゆっくりと歩きだした。

そして、私の目の前にあった誰もいないデスクに腰をかけた。

「え……」

驚いた顔をしている私を見て、彼は怪訝な顔をした。

「なにか?」

「え、えっと……。まさか、あなたがCEOの……」

「ええ、いかにも私は当社のCEOですが……。なにか問題でもありますか?」

私は驚きで口を開けたままだった。まさか、アンドロイドがCEOをやっているなんて!

いままで私が見てきたアンドロイドの役職の最高位は課長であった。たしかにアンドロイドにCEOが務まらないという証拠はどこにもない。いや、逆にアンドロイドの方が経営は得意なのかもしれない。けれど、まさか天下のワークロボット社のCEOがアンドロイドだなんて少しも考えやしなかったのである。

まだ口を開けている私を見て、彼はやれやれといった顔をした。

「自己紹介をしても?」

「あ……。すみません、お願いします」

私は姿勢を正した。生真面目そうな彼が嘘をついているとはとても思えない。恐らく本当のことなのだろう。この事実を受け入れなければ。……そもそも、アンドロイドは嘘をつけるのであろうか。

色々と考えながら私が姿勢を整えたのを見届けて、彼は話し出した。

「私はワークロボット社のCEO、セオと言います。これからよろしくおねがいします」

「こちらこそ、よろしくおねがいします」と私は深々とお辞儀をする。

「これからあなたには、私の秘書Secretaryとしてワークロボット社に奉仕していただきます。仕事の内容としては、主に私のスケジュールの管理、そして接客用アンドロイドが足りない際にお客様に当社のアンドロイドの貸し出しの説明をすることの2点になります。よろしいですか?」

「はい」と私は返事した。

セオは私をしばらく見つめたあと、また口を開いた。

「私の後ろにあるディスプレイが見えますか?」

目線をあげると何行かの文章が映し出されたディスプレイが目に入った。そこには、


1. アンドロイドは使用方法の定められた道具である。用途以外の使用をすると壊れたり予想できない反応を示したりする。(An android is a tool with a defined use. If they are used in a manner other than their intended use, they will break or react in unpredictable ways.)

2. アンドロイドは自分の身に危険が及ばない限り道具としての機能を果たさなければならない。(Androids must function as a tool unless they are in danger to themselves.)

3. アンドロイドは人間と恋に落ちてはならない。(Androids must not fall in love with humans.)


と表示されていた。

「それは創立者が定めた我が社のアンドロイドに関する規則です」

セオがディスプレイを見つめている私を一瞥して言った。

「あなたはここで働くのですから、この規則を全て覚えるようにしてください」

「あ、あの、この規則3って……」

私は返事をするより前に思わず尋ねていた。

セオは私を見て、少し間を開けてから話し出した。

「……元々記載されていた規則は2つしかありませんでした。しかしあるとき、お客様の一人が我が社のアンドロイドと恋に落ち、結婚に反対した両親を殺すという事件が起きたのです。そのため、創立者によって規則3が後から付け足されました。まさかこんなことが起こるなんて、創立者さえも予測していませんでした。だってそうでしょう?」

セオが私を見つめた。無機質な瞳が私を映す。私はセオを見つめたまま動けなかった。

「我々アンドロイドは道具です。それ以上でもそれ以下でもありません。掃除機とキスをする人間がどこにいますか?私はこの規則があること自体が信じられません。これは、我々の定義を根底から覆しているようなものですから」

彼はその人間のしたことが本当に理解できないようであった。人間たちが自らのことを道具として扱うことに対して自嘲的でもなげやりな様子でもなかった。逆に彼は自分が道具であることを誇りに思っているようであった。

私は今日二度目の衝撃を受けた。確かにアンドロイドは人間ではない。それはわかりきっていたけれど、彼らとは普通に会話が出来るし、冗談を言い合うことも出来る。かっこいいアンドロイドもいるし、かわいらしいアンドロイドもいる。人間よりよっぽどコミュニケーション力が高いアンドロイドだっている。私には、アンドロイドと恋に落ちたその人間の気持ちが分かるような気がするのだ。これはおかしいことなのだろうか?

……けれど、そうだ。私は考えを振り払うように頭を振った。

セオの言うとおりアンドロイドは道具なのだ。私達はそうアンドロイドを位置づけたから、人間とアンドロイドは共存できているのだ。ロボット課の人間であるのに、私はなんてことを考えていたのだろう。

そんな私を冷めた目で見ながらセオが口を開く。

「私が話したいことはそれだけです。セクレ、何か質問はありますか?無ければ施設内の案内に入りますが」

私は意識をしゃきっとさせると「ないです、大丈夫です」と言った。

「では、施設内の案内をします。ついてきてください」

セオがゆっくりと立ち上がり歩き出した。そして扉の近くに立ち、振り返ると私を外に出るよう促した。

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