第3話 泣く場所

 前述したように、ニュースで報じられるような陰惨ないじめを受けたわけではありません。それでも、わたしにとっては充分な衝撃でした。

 衝撃であり、悲しい時間でした。


 前回、他のクラスの子と仲良くなったと書きました。しかしすぐにというわけでは勿論なく、最初は一人で過ごすことが多かったように記憶しています。


 教室にいづらくなってからは、女子トイレの個室で食事後過ごしたこともありました。その度に「何でこんなところにいるんだろう」と涙が出そうになっていました。

 前の中学校は小学校時の友人も多くて楽しく、こんな思いをすることもありませんでしたから。ギャップが大き過ぎて、心がついて行かなかったのかもしれません。


 トイレで泣きそうになる度に、自分自身に言い聞かせていた言葉があります。


「大丈夫。向こう(前の学校)には友だちがいる。自分は独りじゃない」


 そう言い聞かせ、深呼吸して教室に戻っていました。

 何度か寂しさと悲しさに耐え兼ね「死にたい」とまで考えましたが、前の学校の存在が、そこにいるはずの友人たちの存在が、わたしを繋ぎ止めました。


 前の学校の友人に、いじめに近い状況にいることも報告し相談していました。2人だけ、当時の状況を話した人がいます。

 寂しくなるとメールをして(当時はまだ、LINEはありませんでした)、励まされていました。


 何度も励まされ、深呼吸を繰り返して涙を止めていました。誰にも泣いている所を見られてはいけない、と固く決意していたのです。


 ……まあ、転校した友だちなんて、すぐに忘れられてしまうんですけどね。一部の友だちを除き、すぐにわたしの存在は忘れられたようですよ。

 手紙を書いてねと住所を教えてくれた子に約一年後に手紙を送ったら、何も返って来ませんでした。まあ、一年後っていう長期間をおいたわたしが悪いんですが(笑)遅すぎるって話ですよね。

 LINEを使えるようになってから同級生LINEに参加して当時仲の良かった友だちにLINEしたら、既読すらつきませんでしたし。


 まあ、そんなことは置いておきましょう。


 ともかく泣く場所は、いつも学校のトイレでした。


 どうして「人前で泣かない」と決意したのか。きっと、負けず嫌いなわたしの性格に起因しているのだと思います。それとも、母親が怒り出すとヒステリックに泣き喚く姿を幼い頃から見てきたからでしょうか。

 涙は女の武器などと言いますが、泣いて許されることなんて何もありません。せいぜい、年端もいかない子どもが自我を通すことが出来るくらい。お菓子買ってと泣き喚き、辟易した親が買い与えるくらいのこと。

 泣いても、話を聞いてもらえるわけでも共感してもらえるわけでもない。そう悟ったのも中学生の頃でした。この話は、次回に。


 そしてわたしのそんな曖昧ないじめ経験は、クラス替えが行われる新年度まで続きました。


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