第3話 ハッピーバースデー
僕がやっと英語教師の地獄の補習から解放された時、すっかり空は真っ暗になっていた。僕は奏佑の家へ急いだ。走りながら、奏佑に電話をかける。
「おい、いつまで補習に時間取られてるんだ。遅いぞ、律。早く帰って来いよ」
電話の向こうで、明らかに奏佑は怒っている。
「ごめん! 補習がすっかり長引いちゃって。今、奏佑の家に向かっているから。ちょっとだけ待ってて」
「早くしろよ?」
そう言うと、奏佑はプツッと電話を切った。あーあ。奏佑を怒らせちゃったな。せっかくの誕生日なのに、恋人と喧嘩なんてしたくないよ・・・。
しかも、急いでいる時に限って赤信号に止められる。十六回目の初めて恋人と迎える誕生日はすっかりほろ苦い想い出になりそうだ。木枯らしが吹きすさんで、僕の体温を奪っていく。寒いな。こんな夜に外を歩かなきゃいけないんだったら、もっと厚着してくればよかった。僕は鼻水を啜り上げ、トントン足踏みをしながら赤信号が変わるのを待っていた。
やっと奏佑の家に着いた時には、僕の身も心もすっかり冷え切ってしまっていた。奏佑の家のインターホンを押すが、反応がない。もしかして、完全に奏佑は僕のことを怒っていて、僕に会う気もなくなってしまったのかな? 僕は不安に苛まれながら玄関の扉をそっと引いてみた。不用心なことに、鍵がかかっていない。勝手に上がり込むのはいいことではなさそうだが、僕は思い切って中に入ってみた。奏佑が怒っているのなら、ちゃんと奏佑に会って謝らなきゃいけないからね。
僕はそのまま奏佑の家にそっとお邪魔することにした。だが、玄関から居間に至るまで、奏佑の家は真っ暗だ。奏佑はどこかに出かけてしまったんだろうか? 奏佑の家族もいない。一体、皆、どこに行ってしまったんだろう? でも、津々見家の家族全員が出払っていながら、鍵が開けっ放しっていうのも何だかおかしい。
僕はそれがどうしても気になって、居間の方へ足音を忍ばせながら行ってみることにした。
居間の扉を開けて中に入った瞬間、電気がパッとつき、クラッカーがパーンと弾ける音が鳴った。部屋いっぱいに煌びやかなデコレーションがされており、居間の真ん中に置かれたスタインウェイのピアノで、『ハッピーバースデーの歌』が奏でられ始めた。見ると、奏佑がピアノで『ハッピーバースデーの歌』を弾いている。即興できらめく装飾音をふんだんに使って、まるで『ハッピーバースデーの歌』じゃないような壮麗な曲が鳴り響く。僕は事態がつかめず、その場に唖然として立ち尽くしていた。
「律、十六歳の誕生日、おめでとう!」
そう言うなり、奏佑が僕に駆け寄り、僕をギュッと抱きしめて熱いキスをした。
「そ、奏佑、これ・・・」
「今日は律の誕生日なんだろ?」
「え・・・奏佑、何で・・・? だって、僕、今日が誕生日だなんて一言も・・・」
「そのくらい調べればすぐわかることじゃんか。クラスの名簿にも誕生日が書かれているしな」
クラスの名簿か・・・。そういえば、そんなものもあったな。すっかり僕はその存在を忘れていたのだが。
僕が依然として半分夢見心地でいると、奏佑が奥から大きなホールケーキを持って来た。そのホールケーキの上には何本ものロウソクが並び、その真ん中に「霧島律くん、十六歳の誕生日おめでとう!」というデコレーションが施されてた板チョコが鎮座ましましている。見れば、テーブルの上にも美味しそうな料理がたくさん並んでいるじゃないか。
「律、ロウソク消して!」
奏佑に言われるまま、僕はロウソクを吹き消した。奏佑が拍手をしてくれる。僕はその時やっと奏佑が僕に内緒で誕生日パーティーを計画していてくれたことを認識した。それと同時に、涙がぶわっと溢れ出し、奏佑に抱き着いて泣き出してしまった。
「おいおい、泣くなよ。今日はおめでたい日のはずだろ?」
「だって、だって、誕生日パーティーなんてしてもらうの初めてだったから・・・。初めての誕生日パーティーを奏佑にこんな風にしてもらえるなんて、僕、思ってなくて・・・。誕生日が今日なんだって言うのもなんか恥ずかしかったから、今日まで言えずにいてさ・・・」
「もう、律らしいな。誕生日くらい、祝って欲しいって普通に言えばいいじゃないか。ま、そんなところだろうなとは、思っていたけどさ。一週間前、明らかに様子おかしかったもんな」
やっぱりあの時の僕の様子は相当不自然だったらしい。奏佑には僕の考えていることなど全てお見通しって訳だ。
「でも、そんな律がいじらしくて可愛いよ」
奏佑はそう言って僕の頬にそっとキスをした。
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