向日葵ノ風

桃白

第0話 待ちくたびれた者たち

 濃密な霧が夜明けの空にただよう。山の頂上がふうわりと白み、ゆっくりと太陽が顔を出した。


 朝もやの中、そびえ立つ大きな屋敷を背に、一人の少年がじっとぼやけた太陽をながめていた。


 彼の髪は、まるで赤ぶどうのような不思議な色をしていた。肩口を通りすぎるほどまである髪がさらさらと風になびく。さらに瞳は、勿忘わすれな草のような爽やかな青色だった。


 整った顔立ちとあいまって、少年の姿はどこか浮き世離れしていた。


 朝日を見つめる澄んだ瞳が、ふと苦悩の光をかすかに浮かべる。


「──こっちに来てから、いったい何年が経つんだろう」


 少年には、こちらの世界に来る前の記憶がなかった。いつこの世界に迷いこんだのかすら、あいまいで不確かだ。


 原因はわからなかった。拾われたとき、彼はすでに何も覚えておらず、まわりの人

に頼ることもできなかったのだ。



 ──あの時、少しでも周りを信じられれば良かったのだろうか。



 わからない。片手を日にかざし、少年は目を閉じた。


 その時、砂利を踏む音がうしろから聞こえ、少年はふりむいた。


「おはよう、アオイ。今日も早いねえ」


 ふわああ、と大きなあくびをしながら歩いてきたのは、栗色の髪を後ろで結わえた若い女性だった。寝巻き用の浴衣を着崩していて、明らかに寝起きのまま外に出ている。


「おはようございます。サクさん」


 サクと呼ばれた彼女は、目をこすりこすりやってきて少年──アオイの隣に並んだ。


「まだ朝早く起きる習慣が抜けないの?」

「体が覚えているみたいです。わたしは一人部屋なので、朝早く起きても、迷惑はかかりませんし」

「うらやましいねえ」


 サクは背後の建物をあおぎ、ついで朝日をまぶしそうに見てため息をついた。

 

「そろそろきてくれないかなあ、新しいのは。アオイ以来、音さたなしだよ」


 サクは肩をすくめた。


「あっちの世界の人は、私たちよりすぐれているから、少しでも多く来てほしいんだけどね……」

「……そうですね」


 アオイは顔に浮かんだ不快感を見せないようにうつむいた。


 この世界は、不定期に別の世界から人がやってきていた。アオイもそうである。彼らはこちらに元々住む人々よりも身体能力などがすぐれていて、怨霊の跋扈ばっこするこの世界では、宝物のごとく重用されていた。

 


 ──今の陰陽師の世界には、一人でも多くの有能な人材が必要。わがままを言っている場合じゃない。



 そう言い聞かせても消えない嫌悪を、アオイは軽く目をつぶってうち消した。


「もうそろそろ起床の鐘がなるね。私も部屋に戻って、ねぼすけを起こしてこないと。あの人がいつまでも寝てると、ちっとも部屋が片付かない」


 あいつとは多分、相部屋の陰陽師のことだろう。早起きのサクは悪態をつきながら部屋へ戻っていった。

 

 

 アオイは部屋には戻らず、鳥居のもとへ向かった。あちらの世界から来た者たちは必ず、この屋敷の敷地内にある鳥居をくぐってくる。


 鮮やかな朱色で塗られた鳥居の前に立つ。


 もしかしたら、人がこちらに来るかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられないのだ。サクは人がこちらの世界に来ることを懇願していたが、アオイは彼らを送り返す気持ちでいた。


 これ以上、自分と同じように悲しい思いを誰かにしてほしくなかった。


「たのむから、来るな」


 祈るようにつぶやく。だが、その言葉が何の意味も持たなかったことを、アオイはまだ、知らない。

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