トンネルに出口と最期を

桜乃

第1話

 大学が気の遠くなるような長い夏休みに入った隙に、僕は田舎にある実家へと帰った。新幹線と私鉄を乗り継いで、大学からは五時間ほどの所に実家はある。

 僕が、都会の暑さから解放された清々しさを、実家の畳に寝転がりながら堪能していると、数年ぶりとなる姉がトレイをもってきた。結露の貼ったお水と、煎餅が二枚乗っていて、僕はお水をいただいた。

「いいな、大学生かぁ。憧れるわ」

「そんな羨ましがれる程のものでもないと思うよ」

 隣に座る姉をみやって、僕は控え目に言った。

 優しい姉は、決して裕福ではないこの家で、大学進学を志した僕に全力を注いでくれた。自分はいいからと、僕の学費を稼ぐために、高校を出て就職した。

 あらかじめ学業は優秀だった姉に、周りの人間は押し問答したらしいが、これもそれも姉の判断なので、僕は黙って感謝しつつ、周りから目を伏せた。

 まぁ、全ては僕と、馬鹿な両親のせいなのだろうけど。

「そういえば、あんたがここに帰ってくるって珍しいけど、なにかあったの?」

 暑さに耐えかねたらしい姉が、胸元を仰ぎながら、聞いてくる。

 僕は煎餅をとって、口に投げた。懐かしい味がする。

「古町トンネルってあるじゃん」

 僕が近所にあるトンネルの名前をあげると、姉はこくりと頷いた。

「そこに、昔の人が埋めたらしい金銀が埋められてるかもしれないって、土地研の教授が言っていたんだ」

「もしかして、それを探しに来たの?」

 勘のいい姉は、仰ぐのをやめて、僕の方を見た。すこし眉間が歪んでいたので、僕は少し間を取った。文面的にも、物理的にも。

「なにも、金の亡者になるつもりはないよ。両親と同じにはなりたくない。ただ、今度のレポートを書くついでに、話の材料になればいいと思ってるだけだよ」

 宥めながら言ってみたものの、姉の顔色は少し青ざめていた。理由はなんとなく分かっていた。

 古町トンネルには、かつて工事中に死んだ作業員の幽霊がでると、ホラーチックな話がここら辺では有名なのである。もちろんそれを真正面から信じている訳ではないが、姉は「やめておきなさい」と僕を一喝した。

 僕はそれ以上口を開いてはいけないような気がして、水で言葉を流し込んだ。

 金銀という財宝のような言葉に、姉は過剰になる。

「あんたも人間よ。その気がなくても、お金に目が眩むことは誰にだってあること。あの人達もそのせいで消えたんだから」

 姉は言葉にしなかったが、あの人達というのは両親のことだろう。

「じゃあ、僕がギャンブルに堕ちたら、殺してくれ」

 笑いながら、自分を指差して言うと、姉は「ふざけないで!」と怒鳴った。

 言った後、僕は後悔した。学生の分際である僕が、苦労して働いている姉の労いなんて計り知れないものなのだから。あたかも、姉の全てを理解した風なことを言ってしまったことを恥じた。

「もっと自分を大切にして! 簡単に死ぬなんてこと言わないで!」

「ごめん.........」

 予め、予習をせず、何事にも猪突猛進していく僕は、姉への気遣いができないことに項垂れるしかできなかった。

 姉とは三年差しかないというのに、姉をみると全く、別の次元にいる人物に見えた。もちろん、僕が手を伸ばしても届かない所にいる、現実を知っている人間として、だ。

 金に飢えて消えた両親とは大違いだった。

 だからこそ、か。僕は古町トンネルへと足を運びたい感情を抑えれなかった。

「ちょっとだけだよ。もちろん、財宝めいた物があっても拾ってくることもしない。トンネルに行くのは、あくまで、大学のための調査目的だ」

 これ以上、姉に迷惑をかけたくなく、僕は頭を下げる。正直、僕の後頭部を見せたところで、姉の苦労を上回ることなんて無理だろうけど。

 それでも僕は、古町トンネルへ行ってみたかった。

 姉はその場で黙り込んでから、立ち上がって、台所の方へ行ってしまった。そのまま、時計の長針が半周した。

 僕はまた、取り返しのつかないことを言ってしまったのだろうかと、後悔しながら正座をして、同じ場所に留まった。

 足の痺れすら気にならなくなった時、しばらくしてから姉が戻ってきた。

 僕にうんざりして、どこかに去っていってしまったのかと思ったが、戻ってきてくれたことにほっとした。

 やっぱり姉は、僕をみていてくれた。

「どうしても行くというなら、私も一緒にいく」

「え、でも.........」

 自分から危険だと公言している場所に、姉をわざわざ連れて行く必要はないと、躊躇ったが、「だめなら、古町トンネルへは行かせない」と条約を課されたので、僕は渋々「わかった」とだけ返事をした。

 死んだ作業員の幽霊が出るトンネル。僕はその話をほくそ笑んでいたが、姉からすればホラー要素を含む話そのものが、最早僕を心配の的とした。


 結局、次の日には姉の仕事があるということなので、姉と条約を結んだ日の夕方にトンネルへと向かうことにした。

 薄暗いトンネルほど不気味なものはないが、姉の予定を狂わすことはできないので、仕方がなかった。

 肩幅の広い僕の背中にぴったり当てはまったリュックサックには懐中電灯と、実家にあったあらゆるお守りを詰め込んでおいた。もちろん、姉の目論見だ。これで幽霊なんて出てくるもんなら、僕は無神論者の名札を掲げながらヒッチハイクを決めるだろう。

 古町トンネルの入り口にたどり着くと、心臓を突き刺すような冷気が、奈落の奥へと流れ込んでいた。まるで僕らをトンネルへと招待しているみたいに。

「ねえ、やっぱりやめておかない?」

 姉は僕の背中にしがみつきながら、震えていた。僕の事を心配する前に、幽霊が嫌いな性分なのかもしれない。

 猪突猛進の僕は、躊躇わず聞いてみた。

「姉ちゃん、もしかして幽霊嫌いなの?」

「はぁっ!?」

 するとトンネルに響くほどの声で、姉は叫いた。

「な、ななな、なんでそうなるのよ! ゆ、幽霊なんてジェットコースターよりかは怖くないわよ!」

「え、絶叫系も嫌いなの?」

「うっさい!」

 後頭部に華麗なチョップが飛んできた。なぜ唐突に、姉がツンデレを見せつけてくるのか、よく分からなかったが、もしかすると、とっくに姉だけ幽霊に取り憑かれているのかもしれない。

 そう思うと、僕も少しだけ怖くなってきて、古町トンネルを紹介した地理研の教授を八つ当たり気味に呪った。

 決して暇ではないはずの姉にもついてきてもらっておいて、引き返す事を許さなかった僕の矜持が、何事もなかったかのように、僕らをそのままトンネルへと誘わせた。

 懐中電灯で右往左往を照らしながら、道端に生えている雑草に姉が悲鳴をあげたり、上から落下してきた水滴に驚きながら抱きついてくるもんで、僕も気が気ではなかった。

 この心優しい姉と結ばれる方がいるのなら、その人には予め、デートのプランニングに絶叫系がある遊園地は入れないで欲しいものだ。

 古町トンネルは思ったより短かかった。

 結局、何事もなく、数十分歩いたところで、反対側に出てきてしまった。外からは虫の声が響いてきていて、真っ暗だった。

「ふん、大した事なかったわね」

 後ろで胸を張る姉を、僕は白々しい目でみてやった。

「金銀もなかったな。それどころか、落とし物見当たらなかったし」

「そうね。教授に嘘つかれたんじゃないの? あんた、すぐに騙されそうな見た目してるもん」

 姉の戯言を無視しつつ、無いものは無いもので仕方がないので、僕らは帰路についた。

 何事もなく、これ以上、姉に迷惑をかける事なく帰れる。はなから幽霊なんて信じてはいなかったが、僕らは入ってきたトンネルの入り口がみえて、ほっとため息を吐いた。

 そう、何事もなく終わればよかった。

 違った。僕の後ろから、何かが消える音がした。

 リュックサックはちゃんと僕の肩にかかっている。姉の入れたお守りの重みが、ちゃんと残っている。

 数秒、何が無くなったのか考えた。考えてしまったのは、恐らく振り向きたくなかったから。第六感が反応したといえば、それこそ信じられない話と思われるかもしれないが、振り向けば、僕は心臓を抉られる気がした。

 それでも、なんとか首を捻った。

 後ろを見た。

 姉が、うつ伏せの状態で、血まみれになって、倒れていた。

「.........姉、ちゃん?」

 心臓を抉られた気がしたのではない。

 事実、姉の心臓には、スコップが、まるで姉の心臓を抉り取るような形で食い込んでいた。

 僕の靴に、どす黒い姉の血がたどり着くのが、外から僅かに差し込む街頭の明かりで分かった。

 僕が姉に触れようとすると、出口から声が聞こえた。

「残念ね、どうやらお金は持ってなさそうよ」

「そうだね。あの子なら持っていそうだったのだが、期待外れだったらしい」

 鈍い女と、男の声。訳が分からず、声のした方を向く。見たくない顔が暗闇に溶け込んでいた。

 僕らをこの世界へと誘った、憎い親の顔があった。

「一人生きているけど、どうします、あなた」

「誰かに見られてはまずい。やろう。ついでにあのリュックサックの中身もあさっておけ」

「わかったわ」

 女が近寄ってくる。

 僕はこのトンネルに来てしまった理由を、パニックになった頭で思い出す。

 大学のため。レポートのため。

 たしかにそれもあったが、本音は違ったはずだ。

 僕を見てくれている姉と、一緒にいたかった。そんな大好きな姉に、僕は、金で償いたかった。このトンネルに隠されているという、金銀を探して、姉に恩返しがしたかった。

 でも、僕の願いは、この世界では通じないらしい。

「なにこれ、鞄の中にこんなにもお守りが入っているわ。私達がいなくなって、頭がおかしくなってしまったのかしら、この子達」

 僕は、胸元から流れる血を抑えることもできずに、命を重さを計りながら、倒れた。

 いつかきっと、姉と一緒にあの出口から出たいと、思った。

 

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