文字にまさる人間なんていない

ちびまるフォイ

相視相愛

いつもと違う帰り道でふと本屋のポップが目に入った。


積み重ねられた本の横に添えられているポップには、

その本の面白さを伝えようと手書きの文字で短い言葉がつづられている。


私はそこに書かれている内容よりも、文字に目を奪われて動けなくなった。


「なんて……なんて素敵な文字……!」


その日から私はわざわざ遠周りの道を通っては、

本屋のポップに書かれた文字を見ていくのが日課になった。


それはまるで通学電車で見かけた初恋の人を目で追うようにピュアな感情からくるものだった。

文字に恋愛感情を持っていることは、どんなに親しい友だちにも打ち明けずにただ眺めるだけの日々。


「いつか、あの文字で私の名前を書いてくれないかな……」


募る恋心は徐々に独占したい気持ちを引っ張ってくるようになった。


いっそあの本屋でバイトでも始めようかと考えた日のこと。

夜の食卓の席で父親は思い出したかのように話をはじめた。


「突然で悪いんだが、また転勤が決まった。

 ということで、また引っ越しになる」


「はぁ!? どうして!?」


「おいおいどうしたんだよ。転勤は今に始まったことじゃないだろう。

 それにお前だって引っ越しは慣れっこだろう」


「そういう問題じゃないよ!」


「友達と別れるのは辛いかもしれないがな、父さんだって……」


「友達じゃない!!」


「じゃあ何が不満なんだ」


「お父さんにはわからないよ!!」


引越し先は今からずっと遠い場所だった。

もうあの文字を見ることができないと思うと辛くてたまらない。

友達と別れるよりも、あの文字との日々を失うのが辛かった。


学生の私にどうこうできる権利はなく引っ越しは滞りなく進められた。

私は引越し先の学校でも慣れた自己紹介と社交性を発揮してあっという間に打ち解けた。


それでも、あの文字が見られないのはずっと心の中でモヤモヤしていた。


「……もうだめ。我慢できない!」


私は決意すると、引越し前の駅までの電車にとびのった。

文字を眺める日々に戻れなかったとしても、手元にあの文字を置いておきたい。


本ではなく、ポップを盗むくらいなら問題ないだろう。

それだけの覚悟をして本屋の前にたどり着いた。


けれど、そこにはあれほど求めていたポップがなかった。


「なんで……手書きじゃなくなってる……」


「いらっしゃいお嬢ちゃん」


店の奥からハタキを持ったおじさんが出てきた。


「あ、あの! 前にここのポップを書いていた人は!?

 どうしてパソコンの文字になっているんですか!?」


「ああ、その人なら前にやめちゃったよ。人を探しに行くってね。

 ポップは毎回手書きだと大変だから印刷にしたんだよ。

 これならいくらでもコピーできるし、間違っても書き直す必要もないからね」


「前に文字を書いていた人はどこにいったんですか!?

 引越し先は!? もとの住所は!? 名前は!?」


「ちょっ……君ね、そんな個人情報を教えられるわけないじゃないか」


「もういいです!!」


本屋からはなんの手がかりも得られなかった。

あの文字をまた見たいという渇きはますます強くなる。


私は直近で引っ越しした人の名簿を自分で作り、

それぞれの引越し先を訪ねて回った。


宅配便を装ってサインを書かせては、文字の主を探し続けた。

17軒目の訪ねたときだった。


「宅配便です。サイン、お願いします」


私は自分の素性がばれないように声色を変える。

男は片耳のイヤホンを外した。


「宅配……? そんなの頼んだっけ」


「サインだけお願いできますか。間違っていたら返却してください」


「ああはいはい」


サインを見た瞬間に、背筋にぞくぞくとした電気と寒気が走った。

まちがいない。この文字だ。


「見つけたぁ!!」


私は同年代の男にのしかかると、宅配ダンボールの荷をといた。

中から手錠を取り出すと男の手首にかけた。


この瞬間をどれだけ待ち望んでいたか。

この日のために毎日シミュレーションを続けていた。


「私だけの文字! 私のための文字! やっと見つけた!!」


男は目を白黒させていたが私は自分の興奮を抑えきれなかった。


「このっ、この紙にっ、私の名前を書いて……! いっぱいになるまで!

 いっぱいになったら、次のページにも書いて! 私の名前をずっと書いて!!」


私は男の腕にペンを握らせた。

これから24時間ずっとこの文字だけを見られる。


やっと私は幸せを手に入れることができた。


男を見ると、ポロポロと涙を流している。


「……何泣いているの?」


「ああ……こんな幸運があるのかって思っているんだ。

 君をずっと、ずっと探していた……」


男は片耳のイヤホンをそっと私の耳にあてがった。

イヤホンからは私の声が延々とループして流れていた。


「声の主は君だったんだね……僕は君の声をずっと探していた。

 これからは、僕のためだけにその声を使ってくれるんだね。そうだろう? ね? ねぇ?」


手錠されたままの男は幸せそうな顔をしていた。

気持ち悪いと心から思ったその瞳には、私がうつっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

文字にまさる人間なんていない ちびまるフォイ @firestorage

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ