短編集 四季恋慕

浅井誠

 星の見える街 三重県四日市市 夏




 僕の幼馴染は、"告白するならロマンチックな場所がいい"と、常々言っていた。



 

 「星?」


 「うん、星。見に行かへん?」


 七月も序盤のある日の夕方。

 学校帰りの近鉄線のホームで、幼馴染からそんな事を言われる。

 僕の幼馴染、京香きょうかはこう言う、突拍子も無い事を言う事がある。


 「ええけど、なんで今日なん?」


 今日は何か特別な日と言う訳でもなく、水曜日と言う、平日のど真ん中だ。

 色々頭の中で考えるが、僕は京香が星を見に行きたいと言う理由が分からなかった。


 「なんでって、見に行きたくなったから」


 しかし返って来たのはその一言だけ。気まぐれな彼女らしい、あっけらかんとしたものだった。


 「まあ、ええけど、どこに見に行くん?」


 僕達の住む三重県で星の見える名所など、あまり聞いた事がない。志摩や熊野など、南の田舎の方へ行けばスポットがあるかも知れないが、僕達の住むこの"四日市"と言う街では、そんな場所なんて思いつかなかった。


 「鈴鹿山脈の方にでも行くんか?」


 高校生で、車の免許も持っていないので遠出する訳にもいかない。なので取り敢えず近場の山を出してみる。

 あそこなら近場で山の麓の湯の山温泉まで電車で行ける筈だし、そこからバスも出てるだろう。


 「ぶぶーっ。残念、違いますー」


 しかし、京香は腕でバッテンを作って小馬鹿にする様にそう言う。

 じゃあ、どこで星なんか見るのだろうか?


 「帰ったら、四日市の駅に18時集合ね」


 「四日市って、どっちの?」


 「JRの方」


 ここでの四日市駅と言うのは、2種類存在する。

 1つは近鉄線の四日市駅。もう一つはJR線の四日市駅だ。同じ駅名だが徒歩で15分も掛かるくらい両駅は離れているので、集合場所を勘違いすると面倒なことになる。

 

 「……分かった、で、結局、どこに見に行くんや?」


 少し話が逸れたが、まだどこに見に行くか知らないので、一応京香に聞いてみる。


 「そりゃ、行くまで内緒。期待しとき?」


 しかし、あからさまにはぐらかされた。

 ……まあ、場所を教えられずに振り回されるのはいつもの事だ。京香なりのサプライズなのだろう。


 「それと、服はちゃんとしたもん着て来てな?」


 すると、京香は続けてそんな事を言ってきた。


 「?、何で?」


 「もー、鈍いやっちゃな。ここまで言ってまだ分からんのか?」


 そして少し膨れっ面になって、京香はそんな事を言う。

 何だ?星を見に行くだけでは無いのか?



 『まもなく、1番乗り場に津新町行き普通、津新町行きの普通列車が3両編成で参ります』



 すると、駅のホームに、自動案内の放送が流れ始めた。どうやら列車が来るらしい。

 駅のベンチに座っていた僕と京香は、列車がホームに入ってくると一緒にベンチを立つ。

 

 「まあええわ。それより遅刻はせんでよ?」


 「う、うん。分かった……」


 そう言い放つ京香から変な圧を感じだ僕は、それだけしか返せない。

 プシューっと、電車のドアが開かれると、僕と京香は一緒にそれに乗り込んだ。



 「……翔太しょうたはさ、その、星を見るの好きなん?」


 電車が動き出すと、京香からそんな事を聞かれた。何処かぎこちない様子で、いつもの飄々とした態度とは違った。


 「……別に、嫌いなわけや無いけど……」


 幼馴染として10年ほど付き合って来たが、ここまでハッキリしない京香も珍しかった。

 なのでどう接していいか戸惑い、自分もぎこちない返事をしてしまう。


 「ほうか、良かった。……じゃあ、アタシが何で誘ったか分かる?」


 「………分からん」


 何かを確かめる様に、何かを期待する様にそう聞いてくる京香だが、分からなかった僕は一言、それだけ返す。

 すると京香はガックシと、大袈裟に肩を落とした。


 「……はぁ、まあ、ある意味分かっとったけど。ここまでとは予想外やったわ」


 「何や?珍しくハッキリせんなあ」


 「うっさい鈍ちん。帰って自分で考えーや」


 そして、何故か拗ねてしまった。と言っても、本気で怒っている訳ではないのは分かったのであまり気にはしてないが。

 その後は、他愛もない話をしながら、四日市の駅まで列車に揺られていった。


 

 ___________________



 

 「あら、翔太、出掛けるん?」


 自宅に帰り、洗面台で外に出るための準備をしてると、母親から声を掛けられた。


 「うん、遅うなるけえ、晩飯はいらんわ」


 「りょーかい。明日も学校なんやから、ちゃんと考えーよ?」


 「分かっとるって」


 相変わらずの小言に、僕はそれだけ返す。


 「あれ?、兄ちゃん、出掛るん?」


 すると、今度は背後から母親では無い別の女性の声がした。

 僕の妹の加奈子かなこだ。


 「うん、京香とちょっと出掛けてくるわ」


 洗面所の鏡で髪をセットしながら僕はそう返す。その様子に、「ふーん」と、意地悪そうな笑みを浮かべているのが、鏡越しに分かった。


 「……なんや?」


 「いや、兄ちゃんが髪をセットして行くなんて珍しいなー思って」


 冷やかしである事は分かった。どうやらデートか何かに行くものだと思っているらしい。実際、僕もそうだとは思うのだが……


 「……それが、よく分からんのよなぁ……」


 「はぁ?いきなり何?」

 

 ため息を吐いてそう言う僕に対し、加奈子は怪訝な顔をしてそう聞いてくる。


 「いや、実は京香に星を見に行こう言われたんやけど……」


 妹には相談してもいいだろうと思い、僕は先程のホームでの一件を加奈子に話した。



 _________


 

 「アホやん、それ」


 話を終えると開口一番、妹から直接的な悪口を言われた。

 

 「アホって、……何が?」


 「まだ気付いてないんがもうアホや。……はぁ、京香姉ぇもこんな激ニブな幼馴染を持って、相当苦労しよるなぁ」


 頭を抱え、呆れた口調でそう言い放つ加奈子。どうやらアホとは、僕の事を指しているらしい。

 状況を説明しただけなのに散々な言われ様だ。


 「ともかく、髪だけやなくて服もバッチリ決めて行き?」


 尚も呆れた顔で、加奈子に続けてそう言われる。


 「……そりゃ、言われたけぇ、そうするけど……」

 

 何だか不服だが、ここで反論しても意味はないので素直に加奈子の指示に従っておく。


 「……はぁ、この調子じゃ、まだ分かっとらんな。……ともかく、京香姉ぇ泣かしたらウチが許さんで?」


 すると、今度は真剣な表情になって加奈子はそんな事を言って来た。


 「……分かっとるって」


 一言、僕はそれだけ返す。泣かすつもりなど毛頭ないのだが……すると、加奈子は満足げな表情に変わった。


 「なら良し!じゃあ、今度は服やな。ウチが選んだるけえ、早よ行くで!」


 そして、そう言われて、僕は自分の部屋まで加奈子に手を引っ張られた。


 

 ____________




 時刻は18時。僕は早めにJRの四日市駅に来ていた。こちらの四日市駅は、失礼ではあるが近鉄の四日市駅に比べてだいぶ寂れている。どうやら客は殆ど並行する近鉄線に持って行かれてしまっている様で、本数も近鉄に比べればだいぶ少ない。


 「あ、おった」


 そんな駅のコンコースに入ると、先に来ていた京香の姿があった。


 「おっす、京香。待った?」


 「全然、今来たところ」


 京香も私服姿で、紺色のトップスと、少し長めの白いスカート、少しヒールの高いサンダルを履いていた。

 いつも目にするのは制服姿なので、あまり見かけない姿に何だか緊張してしまう。


 「……どう?」


 すると、京香は服を見せつける様にしてポーズを取る。

 

 「……あー、その、……なんだ?……いいと思う」


 目の前にいるのは、本当に10年の付き合いがある幼馴染なのだろうか?私服姿の京香は、制服の時よりもずっと大人に見える。

 どう返していいか分からない僕は、恥ずかしさから目を逸らして、そんな事しか言えなかった。


 「ふふっ、何やそれ、まあええわ。じゃあ、行こっか?」


 しかし、そんな反応で充分だったのか、京香は薄く笑って改札に向かいながらそう言う。


 「う、うん」


 そんな、いつもとは違う雰囲気の幼馴染を見て、僕は緊張しっぱなしであった。


 

 ____________



 「着いた。降りるで」


 「え?、もう?」


 列車に乗り、どこの田舎まで行くのかと内心期待していた僕の心は、肩透かしを食らっている。

 何故なら降りた駅は四日市の一つ隣の駅、富田浜と言う駅だったからである。

 駅に着いて列車のドアが開くと、本当に京香は降りて行ったので、僕も困惑しながらその後をついていく。


 「……ホンマにここで合っとるんか?」


 駅のホームに降りてすぐ、僕は京香にそんな事を聞く。

 京香が降りたその駅は、星空とは一番かけ離れていると言ってもいい駅だった。

 と言うのも、富田浜駅の目の前は工業地帯のコンビナート群が鎮座しており、工場特有の無駄に光が強いその照明で、星空の一つも見える筈が無いのだ。


 「合っとるって。何?アタシを疑うんか?」


 「いや、そう言う訳やないけど……」


 星なんて一つも見えない様な場所だ。見えるのは眩しいくらいの工場の照明と、それに照らされた煙突から出る煙。

 

 「取り敢えず、行けば分かるわ。着いて来て」


 「う、うん……」


 デートとしてもあまりに不釣り合いなその場所に、僕は困惑しながら京香について行った。


 ___________



 四日市で星を見るなんて、聞いたこともない。元々公害で有名になってしまうぐらいのこの街は、工業都市という言葉がぴったりの街だ。

 港には中京工業地帯の名に恥じず、オイルタンクや倉庫、石油コンビナートがズラッと建ち並んでいる。

 夜にはどれもこれもうんざりするほどの強い光を放ち、その光が原因で空を見上げても見えるのは極々一部の誰でも知っている様な星しか見えない。


 だからこそ、自分がこうして星を見るためにこの工業地帯を歩いている理由が分からなかった。


 「……ねえ、翔太。アタシが思う理想的な告白って、分かる?」


 「え?」


 そんな僕の疑問を他所に、前を歩く京香が、振り向かずにそんな事を聞いて来た。

 あまりにも唐突だったので、僕は聞き返してしまう。


 「アタシの理想的な告白。何回も話したやろ?」


 「ああ、うん。……確か、"ロマンチックな場所で2人きりが良い"って……」


 登校中、または下校中。はたまた偶然会った昼休みにも同じ様な話をしていたので、よく覚えている。

 だが何故、今そんな事を言うのだろうか?

 それは次に京香が発した言葉で、分かることになる。





 「正解。なら、星を見ながらの告白も、ロマンチックやとは思わん?」





 心臓を鷲掴みにされた様な、衝撃的な発言だった。

 ここまで言われると、流石の僕も察する事が出来た。星を見に行くと言うこのデートは、そう言う事なのだろうと。

 前を歩く京香を見る。空は暗くなり始めていてあまり見えなかったが、長い彼女のロングヘアーから覗いたその耳が、真っ赤に染まっている事は分かった。

 それを見て、僕の顔も急激に熱くなっていった。


 「そ、そ、それって……」


 「まだダメ。もうちょっと待って」


 慌てた僕がそれに言及しようとすると、それを遮る様に京香からストップが掛かる。

 これはもう確定だ。



 京香は、僕に告白しようとしている。


 

 何回も聞いた、彼女の理想的な告白。あれが伏線だとは思わなかった。

 それを理解すると、さらに自分の顔が真っ赤になって行くのが分かった。


 「ほ、星言うても、こんな工業地帯じゃ星空なんて見えんやろ?どうするんや?」


 このまま無言ではどうにかなってしまいそうだったので、僕は苦し紛れにそんな質問をする。

 

 「もう直ぐ答えが出るで。……ほら、着いた」

 

 すると、京香は一つの建物の前で立ち止まった。駅から歩いて15分ほど、かなり近い。

 そして目に入ったのは、大きなビル。"四日市港ポートビル"と呼ばれるその場所は、地元でも有名な観光地だった。

 

 「……なるほど、星ってそう言う……」


 それを見て色々察した僕は、感心した様に笑ってそう言う。


 ここなら確かに、"満天の星"が見れる筈だ。


 「どう?ええやろ?早速中に入ろうや」


 そして、京香は楽しそうに僕の右手を握ってそう言う。

 僕もしっかりと京香の手を握り返し建物の中へと入って行った。

 


 ____________




 「大人2人で600円になります」


 カウンターで受付のお姉さんからチケットを買い、僕と京香はエレベーターに乗る。


 「翔太は、ここ来た事あるんやっけ?」


 「いや、無い。……京香は?」


 「ううん、アタシも無い」


 そんなやり取りをしながら、14階のボタンを押し、扉を閉める。向かうのは、ポートビルの屋上だ。

 エレベーター特有のGを感じて、どんどんと階数を上げて行く。階が一つ上がる度に、緊張感が増して行った。


 これから何をするのか、分かっているからだ。


 京香も同じ気持ちなのか、隣にいた僕の手を、再び握って来た。

 少し震えているのが分かった。いつも飄々としている京香も、この時ばかりは緊張しているのである。

 彼女も自分と同じだと分かると、何故か肩の力が抜けた。しっかりと手を握り返し、エレベーターが最上階に着くのを待つ。

 そしてピンポーンと、到着を知らせるチャイムが鳴ると、扉が開かれた。


 「……わー、綺麗……」


 景色を見て、京香は感嘆の声を漏らす。


 「……おおー、凄いな……」


 その隣で、僕も同じ様な感想を述べる。


 やって来たのは、ポートビルの最上階に位置する展望室。そして、そこから見下ろすのは、工場やコンビナートの照明の光。所謂、"工場夜景"と言うものだった。

 京香はこの光景を、"星"と例えたのである。


 地上14階から見るそれは、正に"星"であった。


 四日市では、星空は見えない。工場やコンビナートの光がそれを邪魔するからだ。

 しかし、夜空から見る四日市の街並みは美しく、それでいて感動的だった。

 右手に街の夜景。左手にそれより明るい工場の夜景。一つ一つのその人工的な灯りは、未知なる"ロマン"を秘めた星空とは違う、そこに人間の生活があると言う、"ドラマ"を感じるものだった。


 地上から見上げても星は見えないこの街は、空から見下ろせば、満天の星空が見えるのだ。

 

 「アタシ達だけやね……」


 そんな景色に見惚れていると、京香からそんな事を言われる。僕は周りを見回してみると、彼女の言う通り、この展望台には2人しかいない様だった。

 ……ああ、なるほど。ド平日の水曜日の今日にここに来ようと言ったのは、これが理由か。


 僕達は高校生。高い金を払って、夜景の見える高級レストランなどに行ける筈もない。

 かと言って、休日にここに来ると人が多くてロマンチックな雰囲気にもなれない。

 

 水曜日と言う平日の誰も来ない時間帯を狙い、京香はこの最高のシチュエーションを作り上げたのだろう。

 今なら、何をやったって周りの目は気にしないで良い。

 京香の欲しがるロマンチックなシチュエーションは完成した。


 後は"本題"だけだ。



 「……なあ、翔太、アタシ達って、ただの幼馴染やと思う?」



 そう切り出したのは、京香の方だった。


 「……どう言う意味?」


 「いつも言うてたやん、クラスで関係を冷やかされたら、"僕らはただの幼馴染や"って」


 ……確かにそんな事を言った。でもそれは……



 「それはな、その場凌ぎの"嘘"や」



 顔が赤くなって行くのが分かる。京香を幼馴染としてではなく異性として認識し始めたのはいつからだろうか?

 まあ、よくある話だ。幼馴染と恋仲なのかと周りから勘繰られ、焦って心にも無い事を言ってしまう。


 自分の中で、ずっと心は決まっているのに。


 「……ホンマ?ウソや無いよね?」


 そう言う京香は、微かに声が震えていた。

 今は2人きり、外野は一人もいない。ここでなら、自分の本心を言える。



 「嘘にウソ重ねてどうすんねや。僕にはもうずっと昔から京香しかおらん」



 やっと、やっと言えた。それはこのシチュエーションのお陰なのだろうか?あまりにも綺麗すぎるこの景色の中なら、何だって言える様な気がしたのだ。

 あまりにも恥ずかしくて、京香の顔を見て言えなかったのは許して欲しい。

 

 「……へへっ、うぇへへへ………」


 隣からは、京香のだらし無い笑い声が聞こえてくる。表情は見えないが、喜んでいるのだろうか?

 だとしたら、僕も嬉しい。


 「………なあ、翔太。こっち向いて?」


 すると、京香から諭す様にそう言われる。どこか艶っぽい、今までに聞いたことのない様な声色だった。

 僕はゆっくりと、彼女の方向へ顔を向ける。

 


 「な、何?……っ!!」



 それは、一瞬だった。僕が京香の顔を確認する前に、唇に柔らかい感触が来る。

 あまりにも突然すぎて僕は京香にされるがままだった。

 

 ファーストキスの味は、衝撃的過ぎてよく分からなかった。



 「……へへっ、どう?ロマンチックやったやろ?」



 唇を離し、顔を少し赤らめて、してやったりと言った風な彼女の表情は、今までの何よりも魅力的に映った。

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