羽月湊編

第6話 一時の感情


「およよ~湊」

「おはよう」

「会長おはよう」

「おはよう」


 朝の教室。


 私はクラスメイトのみんなと挨拶を交わし、自分の席に着いた。


 それは何の変哲もないいつもの通りの朝。


 こうして、私にとって人生の大きな分かれ目となった日は、これまでの日常と何ら変わりなく始まった。



 授業中のこと。少し集中力が切れた私は気分天下に窓の外に視線を向けた。


 今日は快晴だった。まるで綺麗に掃除されたかのような青空には雲一つない。


 考え事でごちゃごちゃしている私の心とは真逆のようだと思った。


 どうにも最近は集中力がない。


 その原因ははっきりと分かっていて、何をしていてもそのことが私の思考のほとんどを占めていた。


 一つはいい意味で気になることで、もう一つは悪い意味で気になること。


 もともと真面目で面白みのない性格だった私は、小さい頃はあまり目立つような存在じゃなかった。


 それでも小さい頃から先生たちからの受けはよく、中学生になるとクラス委員や、生徒会の役員などを自然とするようになった。


 幸いにも勉強も得意だったから、そういう役職に就くことは誰も反対せず、真面目だからと皆から賛成された。


 別に嫌ではなかった私は生徒会に入り、そこでも変わらずに役割をこなした。


 いつしか生徒会の会長まで務める事になり、そのおかげで学校では目立つ存在になっていった。


 けれど面白みのない性格は変わらず、見た目も普通に地味な眼鏡女子だ。


 生徒会長としての知名度もあり、皆が友好的に接してくれるけれど、異性的からの恋愛的な人気なんてまったくなかったし、自分からも別に求めるようなことは必要ないと思っていた。


 そう思っていたのだけど、最近はそんな私にも気になる異性がいた。



 後輩の小清水和泉。


 小柄で柔和な表情をしている彼とは、中学生の時からの付き合いだった。


 和泉はなんの面白みもないであろう私を慕ってくれ、一生懸命に生徒会の仕事をしてくれた。


 そんな彼の姿勢は高校の今も変わらず、また生徒会の役員として頑張ってくれている。


 私と一緒にいる時の和泉はいつも楽しそうで、初めはなんでなのかまったくわからなかったけれど、最近はそんな和泉の様子に少し思うところがあった。


 自分の自惚れの可能性もないではない。けれど和泉のあの様子を見ていると、どうしても私のことをとても慕っている……というか、好き、なのではないかとそう考えてしまう。


 なんて自意識過剰なのだろうと自分でも思うけど、最近の和泉を見ていると本当にそうとしか思えなくなって私は困っていた。


 でもそれは別に悪いことではなく、というか、かわいい後輩が慕っていてくれると思うと普通に嬉しかった。


 素直にそう思ってからは次第に私も和泉を意識してしまい、なにかあるたびに和泉のことを考えるようになってしまっていた。


 休み時間に友達と話している時。


 授業中に大事なところをまとめている時。


 家でお風呂に入っている時も、ふと和泉の事を考えてしまう。


 一緒にいる時はいつも私に笑いかけてくれる和泉。傍にいない時は何をしているのか気になって仕方ない。


 今は一人なのだろうか。それとも友達と一緒だろうか……その友達は男だろうか、それとも……。


 私は一日中そんな事を考えてしまうようになっていて、そのせいで今も授業にも集中できない。まともに聞けていない授業の内容は、後でしっかりと復讐しなければならないだろう。


 余計な手間が増えた。それでも私は、和泉のことを考えると何故だが心が温かくなるようで、今の自分の体たらくが悪い事だとは思わなかった。



 けれど、もう一つ、私には悪い意味で気になっていることがある。


 和泉の様子は他から見てもどうやら私が考えているように見えるようで、最近はいろんな人から私と和泉の関係を聞かれるようになってしまっていた。


 始めの頃は中学からの後輩で、いい子だと聞かれるたびに答えていたけれど、そのうちに質問も過激になってきて、もう付き合ってるのか、キスはしたのか、どっちから告白したのかとただの憶測で話をしてくる人が増えた。


 さらに悪いことに、私と和泉の仲を揶揄うような聞き方をしてくる幼稚な男子生徒もでてきた。


 私は今までこういう話題とは無縁の生活を送って来た。


 だから実際に恋愛関係で揶揄われることは初めてだったけれど、自分でも驚くほどに恥ずかしくて、嫌な気持ちになったし、イライラもした。まさか高校生にもなってそんな精神年齢が幼稚な人がいるとは思ってもいなかったのだ。


 関係のない他人の事を聞き出して、勝手に下劣な想像をして何が楽しいのだろうか。


 ニヤニヤした顔でそんな事を聞いてくる人達は、いったい何が楽しいのか分からない。


 まるで小学生のように幼稚なその男子を罵倒しそうになったが、その時はなんとか自制して軽くあしらうことができた。


 私は自分でも思っている以上に沸点が低いのかもしれない。


 最近は和泉のことばかり聞かれることが増えて、もうウンザリしていた。私と和泉のことなのだから、正直他人が首を突っ込んでほしくなかった。


 私は日に日にイライラする事が増えていた。


 昨日もせっかく和泉と二人で帰れるかもしれなかったのに、運悪く二人でいるところを私を揶揄ってきた男子生徒たちに見られてしまった。


 ニヤニヤしながらこちらを見て何か話をしている男子生徒たち、私は恥ずかしくなって誤魔化すように和泉から距離をとって一人で帰宅した。


 本当ならもう少し和泉と二人きりでいられたのに……。


 あの時、和泉はとても残念そうにしながらも笑顔で私を見送ってくれた。


 その健気さに私は少し胸が痛くなった。けど、和泉も和泉だ。


 あんなに何か言われていたのに気が付かないようで、まったく気にせず一緒に帰ろうと大き目の声で誘ってくるなんて……。


 もっと上手く目立たないようにすれば、あの時一緒に帰れたかもしれないのに。


 周りの目を気にしない和泉の行動には、私は何度かハラハラさせられていた。


 いや、やめよう。和泉は何も悪くない。悪いのは幼稚な男子生徒たちだ。


 あんな人達いなければよかったのに、そしたら私はあの時、和泉と二人で……。


 せっかくの機会が無駄になったことで、昨日一人で帰っている間はイライラが募るばかりだった。



「それじゃ今日はここまで」


 先生の声が聞こえてハッとすると、授業はもう終わってしまっていて昼休みになっていた。


 また考え事をしているうちに時間がすぎてしまっていたらしい。


 辺りは学食に行くクラスメイトや、お弁当を持ち寄る人達ですでに賑やかになり始めている。


 私はいつも生徒会室で副会長の姫野とお弁当を食べていて、今日ももちろんその予定だったけど、お弁当を探している時、鞄の中の違和感に気が付いた。


 最近は考え事が増えたせいで本当に抜けているらしい。どうやらお弁当を忘れてしまったようだった。


 あり得ないようなミスに少しへこみそうになるけれど、忘れてしまったものは仕方ない。


 姫野に今日は行けない旨をメッセージで送り、切り替えて学食に向かった。




「湊先輩! 学食にいるの珍しいですね!」


 和泉のことばかり考えていたからか、学食でウロウロしていると本人が登場した。


 会えたのは素直に嬉しいけれど、予想もしていなかった展開に少し焦る。


 私の手元にあるのは先ほど注文したカレーラーメンだからだ。


 こんな事ならもう少し、女子らしいメニューを頼めばよかったと今更ながらに後悔する。


 もし和泉にガッカリされたらと思うと気が気じゃなかった。


「あ、和泉。今日はお弁当忘れちゃって」

「そうだったんですね。よかったら一緒にいいですか?」

「もちろん。いつも食べてる友達は教室で、一人だったから」

「ありがとうございます!」


 だが、当の和泉は私のメニューがなんだろうとまるで気にしていないようで、ただただ嬉しそうにしていた。


 向かい合って座った和泉とそのまま何気ない会話をしながら二人で昼食を食べる。


 その間も和泉はずっとニコニコしていて、満面の笑みを浮かべていた。


 自意識過剰も甚だしいけれど、そんなに可愛らしい笑顔を向けられていると、私の予想も本当に間違ってはいないのではと思えてくる。


「和泉、なんか機嫌よさそう」

「へ?」

「ずっとニコニコしてるから、いい事でもあったの?」

「その、湊先輩と一緒にご飯食べれるのが嬉しくて」

「え⁉」


 自分の顔がとても熱い。


 私の後輩はいきなりなんて事を言うのだろうか。


 頬を染めて真っすぐに私に気持ちを伝えてくる和泉の言葉は、本心から私といることを嬉しく思ってくれているのだとしか思えなかった。


「えっと、別に私と一緒にいても面白くないでしょ」

「そんなことないですよ。僕、先輩と一緒にいるの好きです!」


 照れ隠しで言った私の言葉も意味をなさず、和泉のストレートな言葉でさらに恥ずかしくなってくる。


「だって、私そんなに話さないし、話しても生徒会のことばかりだし」

「それでも、僕は湊先輩と一緒にいる時間がすっごい好きです! もっと先輩と一緒にいたいです」

「ぅ、そうなんだ、ありがと……」


 和泉の純粋な瞳に見つめられて、私はもう短く返事を返すだけでも精一杯だった。


 それから、その後はふたりで黙々とご飯を食べた。


 食べている間も私の頭には和泉に言われた「好き」という言葉がリピートされている。


 あれじゃまるで告白みたいで、そんな事を考えてしまった私はもう何も言えなかったのだ。


 少しだけ顔を上げると、こちらを見ている和泉と目が合った。


 私と目が合った瞬間、嬉しそうに微笑む和泉。


 見ているだけで心が温かくなるような笑顔で、私はしばらく目を離せなかった。


 胸が高鳴り、変な緊張でもう喋る事もできない。


 それでも、無言のこの時間も居心地は悪くなかった。




「湊、今日はもう帰る?」

「いや、やり残してたことがあるから生徒会室に行くかな」

「なら私も手伝うよ」


 放課後。


 一人で生徒会室に行こうとしている私の元に隣のクラスから姫野がやってきた。


 副会長の姫野は私とは違って女の子らしく、明るくて可愛い。


 私とは全然タイプが違うのに、会長と副会長という関係だからか、よく私に会いに来る。


 女性として私にはない物をたくさん持っている姫野に、少しコンプレックスを感じたこともあったけど、いつも嫌な顔もせずに仕事に付き合ってくれて、なんだかんだ気の合う姫野の事はいい友達だと思っていた。



 だからだろうか。


 そんな彼女に揶揄われたことは、


 今までで一番、頭にきた。



「んで~どうなの湊?」

「何が?」

「決まってんじゃん! 和泉のこと!」


 それは、姫野としては単なる普通の話題だったのかもしれない。


 けれど最近揶揄われることが多かった私にとっては最悪の話題だった。


 にやけた表情の姫野。


 その顔を見た時、私は一番の友達に裏切られたような気がして、段々と自分の感情を抑えられなくなっていた。


「……和泉がなに?」

「だから、もう付き合ってるのかってこと!」

「付き合ってないよ」

「うっそだ~、あんなに和泉グイグイ来てるのに」

「嘘じゃないよ」

「ホントは? ホントのところどうなの?」

「だから、付き合ってないって」

「和泉ってほとんとわかりやすいよね、湊が好きって感じがにじみ出てるもん」

「……そうかな」

「結構噂になってるよ湊、今日も学食で一緒にいたんだって? お暑いですなぁ」

「……たまたまだけど」

「羨ましいなぁ彼氏。和泉ってちゃんと尽くしてくれそうだし、しかも年下の男の子なんて、ホントいい相手見つけたよね! あ、もうキスとかしてたり?」

「……だから」

「先輩と後輩の恋愛! いいなぁ、普段真面目な湊が年下に手を出してたなんてね!」


 そこで私の我慢は限界に達した。


「だから!! 付き合ってなんかないって言ってるでしょ!!」


 気が付いた時には大声を出していた。


 自分でも驚くような大きな声。


 目の前にいる姫野は目を見開いて固まっている。


 よほど驚いたのだろうか。間抜けなその顔は見ていて滑稽だった。


 まるで私の話しを聞かず、好き勝手な事ばかり言う姫野が、以前和泉との仲を揶揄ってきた男子と重なったその瞬間、私の中では、面白おかしく無遠慮に質問してくる姫野はもう疎むべき存在に変わり果てた。


 何よりも気に入らなかったのは、姫野に言われた『年下に手を出してた』という言葉。


 私は何もしていないのに、そんなふうに馬鹿にされる筋合いはない。


 一度叫んだだけでは気持ちがおさまらなかった私は、自分でも何を言っているのか分からぬまま、感情に任せて怒鳴り散らした。


「さっきから五月蠅いんだって! 付き合ってないって何度言えばわかるの!? だいたい、なんで私と和泉が付き合ってるって思われなきゃいけないの!? いつもいつも向こうから寄って来るだけで、私は何もしてないでしょ! 年下に手を出してるとか変な事言わないでよ! そうやっていろんな所で噂されて! もうほんっと迷惑だからやめてくんない! 勝手に寄って来る和泉も! そうやって無責任に噂するあんたも! 私にはどっちも迷惑なのよ!!」


 これまで生きて来た人生の中で、こんなにも叫んだのは初めてかもしれない。


 流石に息切れして一息ついた時、姫野の顔はさっきまでのにやけたものから一変していた。


「ハァ、ハァ……わかったらもう止めてくれない」


 姫野は本当に申し訳なさそうな顔をしていて、それでも私は姫野に対するイライラがおさまらない。


 そんな顔をするなら初めから揶揄うなと言ってやりたかった。


「ご、ごめん湊。揶揄うつもりはなかったんだ。和泉とのこと、私は応援したくて……」

「…別にいいよ」


 もう聞く気にもなれなかった私は、ぶっきらぼうに会話を終わらせた。


 私は今まで恋愛とは無縁で生きてきた。


 友達とそういう話をするだけでも気恥ずかしさを感じて、自分のことははぐらかしてしまう。それなのに、姫野はそんな私を揶揄ってきた。


 姫野はどうせ、恋愛の話をするくらい別に恥ずかしくもなんともないのだろう。


 私と違って活発で、可愛くて、女の子らしくて、だから私の気持ちなんて姫野にはわかるはずない。


 元から分かっていた事だけど、私はやっとそれを実感していた。きっともう、以前のようには姫野の事を見れないと思った。



 それから、その後はお互いに無言で作業をした。


 昼休みとは違って最悪なほど居心地の悪い空間だったけれど、私はそれ以上にイライラしていたからまったく気にすることはなかった。


 そのイライラにまかせて自分が何を言ってしまったのか、それすらも深く考えようともしなかった。

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