第5話 告白


 あの後、気が付くと僕は自分の部屋でベッドに寝転がっていた。


 湊先輩の怒鳴り声を聞いて、頭の中が真っ白になった時、それでもあそこに居てはいけないと思い、とりあえず帰ろうとしたことは覚えている。


 あとはずっと先輩の言葉だけが僕の脳内を駆け巡り、何も考えられなかった。


 部屋は真っ暗だ。スマホを手に取って確認すると時間は午前一時。もう日付も変わっていた。


 身体を起こすと制服のままだったことに気が付く、もう遅いかもしれないけれど、しわになってしまうからとりあえず制服は脱いだ。


 明日も学校だ。ご飯も食べていないし、ちゃんと寝ないと疲れもとれない。


 でも、いいか……。


 もはや学校に行く意味もないとすら思えてしまう。


 僕は本当に湊先輩が好きで、湊先輩に会うことだけが、毎日の活力だったんだと、はっきりと自覚した。


 その先輩に拒絶された今、僕には何もない。


 ご飯を食べる意味も、ちゃんと寝る意味も、学校に行く意味も、何も、何もない。




 結局、僕は学校を休んていた。


 誰かと話をすることさえも嫌で、親には体調が悪いとだけ伝えて、すぐにベッドに横になった。


 両親は仕事に行き、家には僕一人。


 時計の針が進む音だけが聞こえる静かな空間で、何をするでもなく横になって過ごす。


 頭の中には未だに湊先輩の怒声が響いていて眠ることもできず、僕は必死に目をつぶって無心になろうとした。


 それでも変わらず頭の中は先輩の拒絶の言葉で満たされ、何も考える気にはなれない。


 そんな時間をどれほどすごしただろうか……。


 唐突に家のチャイムが鳴る音が聞こえた。


 出なければと考えたのは一瞬で、身体をほんの少し動かしただけで僕はそれ以上動くことを止めてしまった。どうせ体調不良で休んでいるのだから、親にも起きれなかったと言えばいいと思ったのだ。


 そうこうしているうちにチャイムがもう一度鳴らされた。


 玄関に行くことすらもおっくうになっていた僕は、そのまま居留守でやり過ごそうと動くつもりもない。


 誰が来たかは知らないけど、誰もいないとわかればそのうちすぐに帰って行くだろう。


 チャイムはもう一度押されたが、目論見通りに諦めてくれたようでその後は静かになった。


 ようやく静かになったかと思った時――



トントン


――っと部屋の窓を叩く音がした。


 さすがに気になって身体を起こす。


 カーテンを閉め切っていて窓の外は見えないが、そこに誰かいるのが影で見えた。


 今の音は間違いなく、人がノックした音だ。


 そして、それはおそらく先ほどまでチャイムを鳴らしていた人物だろう。


 こんなことまでしてくるとは、余程重要な用事があるのか、もしくは不審者か。それとも早めに帰ってきた親がカギを忘れていたのだろうか。


 いろいろなパターンを考えた結果、最後が一番あり得そうだと思った僕は、面倒だったが深く考えずにカーテンを開けた。




「開けて、お見舞いにきた」

「…え?」


 窓の外には、まったく予想もしなかった人物がいた。


「え、あ、梓沢さん? なんで?」

「だからお見舞い、体調悪いんでしょ」


 窓の外にいたのは、僕のことが嫌いな梓沢さんで、彼女は何故かお見舞いだなどと言っている。


 確かに学校には体調不良と連絡がいっていると思うけれど、僕が聞きたいのはそういうことではなかった。


「とりあえず、入れて欲しいんだけど」

「あ、ごめ、今玄関開けに行くから」


 いろいろと聞きたい事はあったけれど、混乱していた僕は状況に流され、訳も分からぬままに玄関に急いだのだった。




 なんとも言えない微妙な空気が部屋の中に漂っている。


 今、部屋には僕と梓沢さんの二人だけ。


 自分の部屋に同級生の女の子が来ているという非現実的なシチュエーション。


 普通なら緊張して胸が高鳴るような状況におかれた僕は……そんな甘酸っぱい感情とは違う意味で緊張し身体を固くしていた。


 あの梓沢さんがお見舞いに来るだなんて、どう考えてもあり得ない事だから。


 普段からまったく話なんてしないし、昔にあった出来事のせいで梓沢さんには嫌われている。


 だから彼女がお見舞いに来る理由なんて、僕にはまったく考えつかない。


 けれど現に今、梓沢さんは僕の目の前にいる。


 幻とかではなく、本当に僕の部屋にいて、こうして向かい合って座っている。


 それは紛れもない事実で、だからこそ僕は困惑していた。


 まず僕を嫌っているはずの人と二人だけの空間はとても居心地が悪いし、お見舞いという建前でどんな裏があるのかと嫌な考えが止まらない。


 僕が内心焦っている間、梓沢さんはというと部屋を興味深そうに見渡してキョロキョロしていた。


 様子を見ているかぎり落ち着かないわけでもなさそうだ。


 梓沢さんの目は何となく嬉しそうに見えて、それがますます僕の混乱に拍車をかける。


 居ても立っても居られなくなった僕は、意を決して自分から問いかけてみる事にした。


「あの、梓沢さん? 今日はどうしてここに?」

「何度も言うけどお見舞い。体調大丈夫?」

「大丈夫です。ありがとう……ってそ、それだけ? なんか窓まで叩いて重要なことでもあった?」

「別に。昔来てたし部屋の位置知ってたから、窓叩けば気付くかなと思っただけ。体調辛いのに起こしてごめん」

「あ、いや、気にしないで、むしろよく覚えてたね……昔の事なのに」


 あんな出来事が起きる前、梓沢さんとはとても仲良くしていて、お互いの家で遊んだ事も何度もあった。


 僕の部屋にだって何度も来てくれていたけれど、拒絶されてからもう何年も経っている。


 今日まで梓沢さんとはほとんど関りもなくなっていたのに、それでも彼女が覚えているなんて思ってもみなかった。


 僕の言葉に梓沢さんは黙って俯いた。


 髪の毛で表情が見えなく、黙っている彼女が何を考えているのか僕にはまったくわからなかった。



「あの? 梓沢さん?」

「覚えてるに決まってるじゃん」

「え?」


 その答えには、いったいどんな感情がつまっていたのだろうか。


「忘れたことなんてないよ。キミのこと、一緒に遊んだこと、この家のこと、あの頃の日々全部!」

「梓沢さん⁉」


 急に顔を上げた梓沢さんに、肩を強く掴まれる。


 驚いたのも束の間、梓沢さんの綺麗な顔がすぐ目の前にあって、僕はそのまま固まってしまった。


 梓沢さんは何故か泣きそうで、それでも泣かないように歯を食いしばっていて、僕の肩を掴んだまま、まっすぐに目を見て言葉を紡ぐ。


「今日はね、お見舞いとキミに伝えたいことがあって来たの」

「つたえたい、こと?」

「そう、小学校の頃、よく一緒に遊んだあの頃のこと、キミは覚えてる? キミと私が友達じゃなくなった、あの日の事も……」

「そ、それは……」


もちろん覚えている。


 忘れるはずもない楽しかった日々。それを失ってしまった悲しい出来事も全部。全部僕の心に深く刻み込まれているのだから。


「覚えてるよ」

「そっか、ならこのまま伝えるよ……」


 そう言って梓沢さんは大きく一度息を吸った。


 その動作はまるで、自分を落ち着けるように、覚悟を決めるかのように見えた。




「あの時は!キミを拒絶してごめんなさい‼」


 思わず耳を塞いでしまいそうになる大きな声がした瞬間、梓沢さんは思いっきり僕の前に土下座していた。


「ちょ、ちょっと梓沢さん!? いきなりどうしたの!? 顔を上げてよ!」

「嫌だ、上げない! ずっと、ずっとずっとずっと後悔してた! あの時キミを拒絶しちゃったときのこと、小さい頃の私は弱くて、周りに何を言われるか、そればっかりを気にして、私を助けてくれた一番の友達だったキミを拒絶した」


 咄嗟に起こそうとしても無駄だった。梓沢さんは頑なに身体を起こそうとはせず、額を床にこすりつけて顔を上げない。


 恥も外聞もないその姿は、凛として明るい普段の彼女を見ている人にはとても信じられない光景だろう。


 梓沢さんの必死さに気圧された僕は、土下座する彼女の姿を呆然と見ている事しかできなかった。


「あの時だけの、一時の恥ずかしいって感情で私は取り返しのつかないことをしてしまったの。あとで冷静になったらバカな私でもそれくらいわかったよ。一番の友達のキミを、もっと大切にすればよかったのにって! だから、すぐに謝ってまたキミと一緒に遊びたかったけど、キミを傷つけておいてそんな都合のいいことはできなかった」

「……そ、そんなこと考えてくれていたの?」


 僕は梓沢さんの言っている事を咄嗟には理解できなかった。


 だってそうだろう。ずっと嫌われていると思っていた相手から、こんな事を言われるだなんて思ってもいなかった。


 唖然としたまま問いかけると、梓沢さんはそこでようやく顔を上げてくれた。


 彼女の顔を見て、僕はまた驚く事になる。


 梓沢さんの目からは耐えきれなくなった涙がボロボロと流れだしていて、普段の澄ましている顔は見る影もなくグチャグチャだった。


 それでも彼女は話すのを止めようとしない。


「本当は一生、私にはキミに謝る権利なんてないと思ってた。もう二度とキミと仲良くする資格なんてないって、だけど、そう簡単には割り切れなくて、このまま離れたくなくてずっとキミを見てた! けど今まで何もできなくて、そしたら昨日、ふらふらになって学校から出ていくキミを見て! 心配で、我慢して、だけど! キミは今日学校を休んで! 居ても立っても居られなくて‼」


 それは本当に心からそのままあふれ出したような叫びだった。


 まともに文にもなっていない梓沢さんの叫びは、想いをそのまま言葉にしているようで、それが彼女の本心なんだと僕は自然と感じることができた。


「それで、わざわざ心配してきてくれたの?」

「……」


 涙で顔をグチャグチャにしたまま無言で頷く梓沢さん。


「私にはそんな資格ないのかもしれないけど、それでも昨日のキミを見たら何か力になりたいと思ったの。小さい頃、怪我をした私を助けてくれたキミのように、今度は私がキミを助けたいと思った」

「……」

「都合のいいことを言っている自覚はあるし、キミに拒絶されても構わない。だけど、私はキミと仲直りがしたい!またキミと一緒に遊んで、一緒に過ごして、今みたいにキミが辛い時、助けてあげることができる存在になりたいの、だから……」




「だから、あの時はごめんなさい! また私と友達になってください! お願いします!」


 床に額を打ち付けるかのように、勢いよく頭を下げる梓沢さん。


 目の前で起きている光景を眺めながら、僕は正直状況にまだ付いていけていなかった。


 小さい頃拒絶されて、それ以来ずっと嫌われていると思っていた。


 けれど実はその人がずっとあの時のことを気にしていて、ずっと僕のことを考えていてくれて、こんなにも真剣に想いを告白してくれた。


 信じられないような事を言われているけれど、それも梓沢さんの姿を見ていれば素直に信じる事ができた。


 だから、僕はその思いに答えたいと思った。


「僕の方こそ、ごめんね。あの時は何もできなくて、だから、お互い様ってことで、また友達になりたいです。よろしくお願いします」

「い、いいんだよ。キミが、謝る必要ないよ、わ、わたしが悪いっ、悪いんだから!」

「そんな事ないよ。あの時は僕も恥ずかしかったんだ。もっと僕が強ければ、黙ってないですぐに梓沢さんを守ってあげれたかもしれないし、情けなかったよね」

「そんなことない、そんなことないよ! 恥ずかしさに負けた情けないのは私の方だから!」

「じゃあお互い様だね。あれから成長できたか分からないけど、またやり直せたら嬉しいな」

「っぅ、いいの? ホントにいいの?」

「もちろん。むしろこっちからもお願いします」

「…っ、ありがとう、本当にありがとう!」

「ぅ、こ、こちらこそ、ありがとうね」


 僕たちは泣いた。お互いを癒すように、抱き合って泣いた。


 もう高校生にもなって同級生の前でこんなに泣くとは思っていなかったけど、そんなことも気にせずにお互い泣いた。


 なんだかそれがとても気持ちよくて、抱き合ってたことも恥ずかしくなくて、すっかり泣きはらした頃には、とても清々しい気分だった。


 湊先輩の事で落ち込んでいた悲しい感情を、涙が全部流してくれたみたいだと思った。




 疲れるまで泣いてすっかり落ち着いた後、僕は梓沢さんに昨日の出来事を聞いてもらった。


 優しい憧れの先輩に告白しようと決めたこと。


 けど、その先輩は実は僕のことを迷惑がっていたこと。


 先輩の本音を聞いてしまって、生徒会に行くことが、先輩に会うことが怖くなってしまったこと。


 梓沢さんは僕の話すことを一つ一つ真剣に聞いてくれて、どうしたらいいのかまで一緒に考えてくれた。


 二人で過ごし話を聞いてもらううちに、僕はだいぶ気持ちを切り替えることができた。


 僕は昨日大きなものを失ったけれど、失くしていたと思っていたものを見つける事ができたのだから。



「そういえば、ごめんね。いきなり押しかけて」

「気にしないで、僕は嬉しいよ! また梓沢さんと話ができて」

「ありがとう。これからはまた昔みたいにね、遠慮しないでよ」

「はは、お手柔らかにね」

「そ、そうだ、呼び方も思い切って昔みたいにしない?」

「呼び方?」

「うん、えっと、和泉!」

「わぁ、そうだったね! 昔は名前で呼んでたね!」

「うん、だから私のこともね、梓沢さんって他人行儀感が凄くて、ずっと辛かったんだ」

「えっと、じゃあ……」




「しほちゃん!」

「っ!?」

「あれ? 違ったっけ?」

「いや、あってる! それであってるんだけど!」


 ちゃん付けで呼ぶ度に悶えていたので、結局はさん付けで落ち着いた。

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