第6話


 女の子たちに周りを囲まれて逃げ場がない。


「真、なんでこんな事になってるか、当然分かってるでしょ?」

「……」

「アンタ、私が頼んでたのどうなってんの? いい加減にしてほしいんだけど」

「……」

「黙ってないで何とか言いなよ」


 こんな状況でも僕が栞を無視していられたのは、なっちゃんとの約束があったからというより、正直この状況が怖くて口を開けないだけだった。


 睨みつけて来る栞は普通に怖いし、周りで囲んでいる女の子たちも普段僕なんかが相手にもされないようなカースト上位の人達ばかりで委縮してしまう。


 情けないけれど本当はすぐにでも謝ってしまいたかった。


 けれどそれすらも出来ない程怯えていた僕は喋ろうにも言葉が出なという、もっと情けない姿をさらしていた。


 けれど、そんな僕の心情など栞には伝わらない。結果的には栞を無視する事になり、栞の怒りゲージはさらに上がっていくという悪循環。


「まだ無視するわけ? いいわよ、それならこっちにも考えがあるから、このまま無視するっていうなら、友達辞めてやろうかなぁ?」


 意地の悪い笑みを浮かべる栞。


 僕は思わず身体が震えてしまった。一番恐れていた事を言われてしまったからだ。


 このまま無視を続ければ、栞は間違いなく僕を切り捨てるだろう。


 そんな事はこれまでの関係を考えれば、ただの脅しなんかじゃない事はすぐに分かる。


 それだけは嫌だ。


 けれど、ここで栞と口をきいてしまえば、なっちゃんとの約束を破る事になる。


 なっちゃんから親に言いつけられてしまえば、栞との関係はどのみちそこで終わってしまう可能性もある。


「どうするの真? 私が離れちゃっても本当にいいわけ? 真は私の事が好きなんでしょ? もう一生会話もできないかもしれないのに、そんなの耐えられるの?」


 ニヤニヤと笑っている栞に詰め寄られ、じりじりと下がった僕は壁際に追い詰められた。


 もう逃げ場はない。僕は、いったいどうすればいいのだろう……。




「ずいぶん前から友達なんて呼べる関係じゃないでしょ、栞」


 どうすることも出来ず俯いていた僕は、聞こえてきた声に顔を上げた。


 栞も、周りを囲んでいた女の子たちも、皆が声のした方を見ていた。


「……なっちゃん」

「探したよ真。今日は一緒にお昼たべようって誘いにきたの」


 そう言ったなっちゃんはお弁当を掲げて笑った。


 その後ろにはなっちゃんのお友達だろうか、女性の先輩たちが沢山いて、栞たちは少し引き気味だ。


 なっちゃんは栞たちには目もくれず、僕の包囲からいとも簡単に引っ張り出してくれた。


「ちょっと奈緒! 真は今私たちが――」

「前も言ったでしょ、欲しいものくらい自分で買えって、そんなだから真に嫌われちゃうんだよ。無視までされてもまだ気が付かないの?」


 なっちゃんの言葉に僕は驚いた。


 咄嗟にそんな事は言っていないと口を開きかけた時、なっちゃんに力強く引っ張られる。


 急な事に対応できなかった僕は体制を崩してしまい、引っ張られるがまま気が付けばなっちゃんに抱きしめられていた。


 真正面からなっちゃんの胸にきつく抱き留められて何も言えない。


 抜け出そうとすれば出来たのかもしれない。


 けれど僕はゼロ距離からする女性の身体の香りと、その柔らかな感触のせいで身体が動かせなかった。


 なっちゃんの、年上のお姉さんの身体。


 一つしか変わらないというのに、なっちゃんの身体はすっかりと大人の女性で、こんな時だというのに僕は一瞬で他の事が考えられなくなっていた。


 その間にも、余裕があるなっちゃんと何故か焦ったような栞の会話が続いていってしまう。


「な、何言ってんの、真が私の事嫌いって、そんな事あるわけ」

「真ね、私に相談してきたよ。もう栞とは関わりたくないって、まぁ当然だよね。無理やりいろんな物を買わされたら、誰だって嫌いになっちゃうもの」

「え? ちょ、ちょっと、待ってよ、真がそんな事言うわけないでしょ。嘘をつくならもっとまともな事にしなよ」

「嘘だと思うなら自分の行いを考えて見なさいよ。真を都合のいい財布にしてたくせに、それで嫌われてないなんてよく思えるわね」

「いやそんなわけ、だって真は昔からずっと私の事が好きなんだよ、だから私が欲しいものは喜んで買ってくれてたんだから」

「……馬鹿だね栞。逆の立場になって考えて見な、あんたに好きな人がいたとして、その相手からアンタが真にしてたように扱われたらどう思う? 恋も冷めるわよ」


 なっちゃんにそこまで言われた栞は、唖然としたように口を開けたまま固まってしまった。


 流石にフォローしようとした時、なっちゃんと目が合った。


 アイコンタクトというより、なっちゃんから強くて重い視線を向けられた僕は、その威圧感に負けて黙って口を閉じた。


「真は優しいから直接言えないけど、代わりに私から伝えてあげたから、分かったら栞はもう真に近寄らないでよね」


 どことなく勝ち誇ったような顔でそう告げて、僕の手を引いて歩き出すなっちゃん。


 引っ張られるままに僕も栞に背をむけたけれど、後ろから反対の腕を掴まれた。


「待って真! どうせ嘘なんでしょ? 奈緒にそそのかされてるだけなんでしょ?」


 栞につかまれている腕が痛む。その細腕のどこにそんな力があるのかと思うくらいの強さだった。


 振りほどけないでいる僕に代わって、すぐに栞を引き離すしたなっちゃんは、今度は僕を庇うように立ちはだかる。


「ふざけないでよ真! 何とか言いなさいよ!」


 それでも栞はまるで僕しか目に入っていないかのようについてくる。


 流石に大事になってしまったかと思った僕はもう謝りたかった。けれど、すぐ隣にいるなっちゃんに睨まれて何も言えない。


「真のくせに私を無視してんじゃないわよ!」

「……」

「奈緒に脅されでもしてるわけ? そうじゃなきゃマジで許さないからね!」

「……」

「……いい加減何か言ってよ」


 かたくなに無視を続けていると、遂に栞の足が止まって、もう追いかけては来なくなった。


 ずっと怒りに満ちていた栞の最後の声、それだけは、隠しようもない寂しさが混じっているように聞こえた。




 栞とその友達に囲まれた日から、栞と僕が接触しないように、なっちゃんが前よりも僕の周りにいてくれるようになった。


 栞は鞄が諦めきれないからなのか、それでも僕に接触をしようとして来ていたけれど、その全てをなっちゃんが防いでいた。


 だからあの日以来、僕は栞と本当に一言も話しをしていない。


 無視を続ける程に不安が大きくなって、心が痛みを訴えてくる。


 このまま僕たちの関係が取り返しのつかないものになってしまいそうで、もう止めてしまいたかった。


 それでも無視を続けたのは、なっちゃんから「大丈夫だから信じて」と言われたから。


 きっと栞は反省するからもう少し頑張ろう。そんなふうに言われるとやっぱり期待してしまった僕は無視を続けた。



 そんな日々が続いていたある日、僕はなっちゃんと約束していた部活の見学に来ていた。


 いくら誘ってもらったからとは言え、部外者である以上は悪目立ちしてしまいそうで怖かったけれど、調理部の人たちは案外普通に迎え入れてくれた。


 なっちゃんの人望が大きいのかもしれない。調理中の様子を見ていても、よく他の部員から頼られている。


 小さい時からよく僕と栞の面倒を見てくれていたから、今でも頼られていて人望があるのは納得だったけれど、僕には少しだけ気になっている事があった。


 ぼーっと考え事をしていたら、なっちゃんが出来たてのクッキーを持ってきてくれた。


 勧められるがままに口を開けると、なっちゃんがクッキーを食べさせてくれた。


 周りからはやし立てるような声が上がっているのに、それすらもまんざらでもなさそうにして、なっちゃんは笑っている。


 やっぱり不思議だ。


 どうしてなっちゃんは、僕にこんなにも構ってくれるのだろう。


 ただの昔からの知り合いというだけで、高校生になっても変わらずに気にかけてくれるものなのだろうか。


 人は、成長すると変わるものだと思う。


 新しい環境になじむために、新しい人間関係に影響を受けて、いろいろな要素が取り込まれて、人は成長し、前の自分とは違った自分になっていく。


 それが当然で、だからこそ、栞は変わってしまった。


 だというのに、どうしてなっちゃんは変わらず僕に構ってくれるのだろうか。

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