ふっこう!

@samayouyoroi

第1話 神託

サン・リギユ大聖堂の礼拝堂は巨大で荘厳である。その天井は普通の建物で言えば3階分程の高さがあり、その左右の壁には比較的新しいステンドグラスがはめ込まれている。そのステンドグラスにも大天使や聖女が比較的新しい画法で描かれており、祭壇にはその創始者であるサン・リギユが民衆を癒やす巨大なモニュメントを中心に、円柱や各種の神聖な装飾が施され権威を弥増していた。


本来ならばこの礼拝堂は数百人の信徒の礼拝の場として使われる。しかし今、その巨大な礼拝堂には二人の人物しか居なかった。


白い法服を来た男は跪いて黙って礼拝をしていた。もう一人の人物が近づいてくる気配を感じると、円字を切って静かに立ち上がり振り向いた。


「ようこそ、聖女アナスタシア」

白い法服を来た男がそう言うと、その尼僧姿の女性は無言で跪いた。


「神託が下りました」

白い法服が厳かにそう言ったが、その返答は散文的だった。


「で?」

尼僧姿の女性──聖女アナスタシアは全く敬意を込めていない口調でそう言った。


その反応が予想通りだったのか、白い法服を着た男は小さく咳をすると、目だけを動かして左右を確認し、誰も居ない事を確認すると聖女アナスタシアに近寄った。


「…頼むよ、もう。判ってるだろう?」

白い法服の男はわりと馴れ馴れしく、しかも懇願するような口調でそう言った。


「…君しかいないんだからさあ」

白い法服の男はわりと若い。30代半ばというところだろうか。しかしそれでも聖女アナスタシアからすればおっさんである。


「私が言ったのは受ける受けないの話じゃない」

聖女アナスタシアは視線を上げてその男、イジ・ノシオ大司教を見た。睨みつけたと言う方がより適切である。


ウィンブルで髪が隠れているが、聖女アナスタシアは美しい女性だった。造形も整っているが、尼僧とは思えないほどの強い自我を感じさせる黒い瞳が非常に特徴的で、しかもそこには戒律以上の価値観が宿っている。つまり清楚さはあまり感じない。


「何の鍵をくれるの?って話」

聖女アナスタシアがそう言うとノシオ大司教は眉根を寄せて眉尾を下げた。


「…この前聖オジロ法典の鍵を渡しただろ…」

ノシオ大司教は困ったようにそう言った、が。


「…あんた、知ってたでしょあれ?」

ついに聖女アナスタシアはノシオ大司教をあんた呼ばわりした。


「何が聖オジロ法典よ!ほとんど聖カリスト法典の則本じゃないあれ!」

聖女アナスタシアは思わず、というか全く頓着せずに大声でそう言った。


「しー!…声が大きい、静かに、落ち着いて…」

ノシオ大司教は左右と背後と正面の扉を見て誰も居ない事を確認した。


「聖ジョージ」

聖女アナスタシアはただそれだけを言った。ノシオ大司教の顔が引きつる。


「聖ジョージ法典じゃなきゃやんない」

まるで駄々をこねているだけのようだが、その言葉の意味は非常に恐ろしい。単に彼女が拒否した、だけでは済まないのだ。


「…無理に決まってるだろ…!」

ノシオ大司教は声を押し殺して、しかし許される限りの声を絞り出した。十二法典のひとつである聖ジョージ法典なんてノシオですら見た事がないのだ。


「悲しい事ですね」

聖女アナスタシアは急に言葉を改めて、悲しそうな顔を作ってそう言った。


「精霊の交流者との誉れも高いイジ・ノシオ大司教が破戒だなんて」

聖女アナスタシアは袖で顔を覆いながら泣くような素振りを見せた。


──主よ、我に神罰を執行する権能を与え給え──


しかし主はその祈りには応えてくれなかったので、ノシオ大司教は現実の交渉を続けなくてはならなかった。


「…ジョージ法典ならなんとかなる…」

それはノシオ大司教の切り札のひとつだった。勿論まだもう少し切り札はあるのだが、この眼前のやたら「勤勉」な聖女の学習力能力は凄まじく、彼の切り札はもう残りが少ない。この切り札はエースではないがクィーンくらいの価値はある。


う?」

聖女アナスタシアは微妙な表情をした。これまた微妙なカードが切られたのだ。


「あともうひとつ、これは単なる事前情報だが」

ノシオ大司教は早口に言葉を続けた。


「今度の探索先は東側の3階、つまり旧王族の居室付近だ」

勿論それが何を意味するのかは全くの不明である。ノシオ大司教はあくまで目的地を伝えただけであり、まさか聖職者の彼が金品の強奪を示唆する筈がないのである。


「……」

聖女アナスタシアは礼拝するように俯いて考えを巡らせた。聖ジョージの列福から列聖までってどれくらい期間があったっけ?まさか聖ジョージの時代に審査用の副研究なんてする訳ないから一応はお目当てに近いんだろうけど…あと宝石かあ。うーん、まあしょうがないかな。そろそろこのおっさんもネタ切れだろうし。


「かしこまりました」

聖女アナスタシアは美しく正しい発音で礼儀正しくそう言った。


「神託に従い、迷える魂の浄化を行います」

恭しくそう申し述べる聖女アナスタシアであった。


「汝に主の加護があらんことを」

ノシオ大司教は厳かにそう言葉をかけた。加護どころか神罰にでも当たってしまえ、などとは決して思ってはいない。決して。

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