四_096 神々の黄昏



「私は大丈夫だ」


 そっと首を振って、そして頷く。

 用意してくれた茶の礼に頭を撫でた。


「大聖堂にいなさい。あそこならお前は安全だ」

「でも父様……」


 愛しい我が子には安全な場所にいてほしい。

 ただ一つ、自分が守るべき者。残されたもの。


「……いえ、わかりました」

「人間の魔導師どももほとんど片付いた。各地の古い伝波塔に籠って抵抗している程度だ」


 言葉が足りなかったかと、言い訳のように状況説明を足す。


「今さら何が出来るわけでもない。もうじき片付く。片付けばヘレムも戻ってくるだろう」


 我が子の心を安んじる為に、若年の同胞の名を使うとは。

 父よりもヘレムの方が慕われていた。認めざるを得ない事実。


「ネーグリナティオも心配していた」

「はい、父様」


 嘘に気付いた様子もなく、頷いて大聖堂の入り口から奥に戻っていく小さな背中。

 時折振り向くそれに、小さく頷いてみせて。




「……嘘は駄目だったな」


 普段の自分の言動と今の自分を照らし合わせて溜息をついた。


「禁じていなくて助かった。ヘレムの悪戯の範囲だが、役に立ったか」


 嘘を禁止にしたら自分も不利になると、ヘレムはルールを定めなかった。必要な嘘もあるとかもっともらしくうそぶいていたことを思い出す。


 戦況のことではない。

 凌霄橋の力を盗んで活用した人間の魔導具は破壊し、それらを使っていた魔導師を名乗る連中の一派もほぼ壊滅した。


 人間の中にも色々ある。

 イスヴァラ達と敵対した者ばかりではなく、昔の通り敬意と親しみを示す者も。


 正直に言えば、全て区別なく殺す方が楽だっただろう。かつてこの世界の言語をこちらの都合に合わせて統合させたように、区別なく容赦なく。

 そうした強引な手法を選ばなかったから犠牲を払うことになった。


 後悔はある。

 自責も感じる。

 けれど、ヘレムが望み皆で決めたことだ。


 我々は神ではない。

 この世界に間借りした外来者。危険だからとこの世界の人間を駆除殲滅などしない。


 知性を有する生命体として恥ずかしくない道を。

 そうでなければ、血塗れの手であの子に触れる資格などないと。



 戦わないわけではない。

 敵意を向けてくる者に対しては当然、相応に向き合う。

 地力が違うのだから、真正面からやり合って人間が勝つわけもない。


 なのに。

 最初にノウスドムスが討たれた。

 その後、彼が作っていた土人形がノウスドムス愛用の槌を持って歩き去ったという報告もあるが。


 西大陸に向かったトゥルトゥシノのネーグリナティオが戻らない。

 連絡も取れない。


 クラワーレトが死んだ。彼女は外見的な理由で自室に籠っているのが常で気づくのが遅れた。

 このサナヘレムスでなぜ死んでいたのか。理由がわからない。

 時を同じくしてルドルカヤナとガズァヌ、ヘレムは姿を消した。


 状況から考えればその三名の誰かが、あるいは三名ともが裏切り者。

 いや、やはり裏切り者はアグラトゥか。

 人間に凌霄橋りょしょくきょうの力を与え、かつての仲間を殺す為に動いた。


 アグラトゥの知恵であれば可能なはず。

 他の誰かに出来るわけがない。協力者はいたとしても。



 ポルタポエナ教会の一室で何度も繰り返した思考をまた繰り返す。

 大聖堂への出入りはイスヴァラか中にいる〔あの子〕の許可がなければ誰も入れない。

 イスヴァラは、この後の処理をしなければならない。




「何か食べた方がいいんじゃないかな?」

「プロペロシオか」


 最後に残った仲間が、食事の入った籠を持ってきた。


「食べないと持たないよ」

「君とは違う」


 食事が全く必要ないわけではないが、もともとイスヴァラは食が細い。

 いつも何か食べているプロペロシオとは違う。


「お腹が空いたら食べるのがいいよ」

「そうしよう。感謝する」

「やっぱりさぁ」


 籠を卓に置きながらプロペロシオが息を吐く。


「色々と禁じているの。あれ一度やめにしない」

「……」

「ヘレムとの約束だって言ったって、これじゃ僕らもどうなるか」


 ぶふぅと呻くプロペロシオの気持ちもわからないではない。


「満足にごはんも食べられないよ」

「……すまない」

「ヘレムもいないんだから一時的にでも、さ」



 腹を空かせているのだろう。

 食べ物が喉を通らないという様子はないが、食べても満足を得られない。

 少し前にそんなことを言っていた。


「〔あの子〕だって、こんなの早く終わらせてあげないと」

「……」

「禁止のルールがなくなればボクが全部片づけてあげるのに」

「ああ」


 食べることにしか興味を抱かないプロペロシオでさえ、続く抗争に辟易している。

 自ら抗争を終わらせるなど、日ごろの彼の口から出る言葉ではない。


「しかし……決まりは決まりだ」


 静かに、はっきりと首を振る。

 重い頭を振り、胸に閊える思いを無理やり抑え込んだ。


「私が決まりを破ることはできない」

「それも決まり?」

「皆に上から物を言いながら、自分だけ規則を曲げては道理が通らんだろう。なに、人間との抗争ならじき片付く」


 本当に切迫していたのなら。

 我が子の命の危険を感じたのなら、道理も規則も全て踏み破る。

 今はそういう状況ではない。



 この世界に流れ着いた最初の頃に決めた。皆で。

 旧世界の考え方が染みついた自分たちではなく、最終的な判断はヘレムが望む方向にしようと。

 その時のヘレムはまだ幼かった。幼いがゆえに真っ直ぐだった。


 迷い、悩んだ時には皆で相談して、その上でヘレムがどうしたら良いと感じるかで舵取りを決めた。

 それが公平だと思った。


 イスヴァラは規定を作れる。

 凌霄橋の力で。

 より高次元の力によって、この世界にこれまでにない定義を。法則を。出来ないこともあるけれど。

 性格に起因しているそれぞれの能力の違いの中で、世界のルールを作るイスヴァラの力は反則的だ。


 この力を身勝手に使わないと決めた。

 だから他者の判断でしか使わない。みんなで相談して決めたルールだけを定めようとヘレムが決めたのだから。


 たまに癇癪を起こしたヘレムが危険な巨大滑り台禁止だとかわけのわからないルールを強制してきたこともあったが、禁止しても問題ないだろうと聞き届けたものもある。

 少し我が侭に育ててしまったのは全員の責任で、イスヴァラの責任でもある。



 昔のことを思い出した自分に、ふと疑問を感じた。

 そんな場合ではないだろうに。


「顔色悪いよ、イスヴァラ」

「うん……あぁ、そうか」


 病気など有り得ないが、現状だってあり得ないような事態だ。

 肉体的な疲れとは無縁のはずだが、精神的に参っているのかもしれない。


 椅子に腰かけ、卓に向かってうなだれる。

 先ほどプロペロシオが置いた網籠には、野菜や燻製肉を挟んだパンが入っていた。

 腹は減っていない。むしろ胸がいっぱいで、詰まるよう。


「……?」

「ねえイスヴァラ」


 プロペロシオの声が響く。

 頭の中に、ぐわん、ぐわんと。


「破棄しよう」

「……お前、は」


 先ほど答えたはず。しないと。


「お腹が空いたんだ」


 そうだ。彼はいつも食べることばかり。

 他のことには関心がなく、人間との争いだって食べ物が不十分になるのは嫌だとか、そんなことしか。

 他に何かを企てるようなことは……



「禁止を解いてくれたら、ねえ。ぜぇんぶボクが食べるから」

「た、べ……」

「せっかく増やしたのに、ヘレムったらひどいんだよ」


 増やしたのに。

 何を。

 食べ物を?


「赤い食べ物は禁止だ、って」

「……」


 そんなルールを決めたような記憶もある。また何を言い出すのかと思ったが。

 朱色や橙色は除外。真っ赤な食べ物だけは禁止。

 真紅の食べ物などそう種類あるわけでもなくて、また気が収まれば解除するだろうとヘレムの言い分を聞いたことがある。


「あれさあ、知ってる? 知ってるよねイスヴァラ」

「なに、を……」


 眩暈がする。激しい吐き気に襲われて立ち上がれない。


「人間ってさ、中を開けると真っ赤なんだよねぇ」


 知っている。

 争いの中で見て来たのだから知っている。


「赤いってボクが思っちゃうと、駄目なんだね。そういうルールなんだ」

「おまえ……は」

「だから最初の一個しか食べられなくて、赤い食べ物を食べたって自分で思ったらもう死ぬほど苦しいの。痛いの。元理属じゃなきゃ死んでたんだよ」


 ルールを破った。

 ルールを破って人間を食べた。

 ルールを破棄して、増えた人間を全部食べようと言う。


「お前が……裏切り、もの……っ!」


 立ち上がろうとして、立ち上がれずに倒れた。


「無理だよイスヴァラ、それ。滅茶苦茶辛いでしょう?」

「く、なぜ……」

「ルールを破ったからさ、ボクと同じ」


 立っていられないほどの倦怠感と全身を襲う苦痛。

 ルールを破ったと。イスヴァラが。



「〔あの子〕から、お茶をもらったかな?」

「……」

「元気が出るように、薬をね。真っ赤な花弁を擂り潰してみたんだ」

「きさま……」


 毒ならばイスヴァラに効果はない。

 そんなもの分解して排出してしまえる。

 けれどルールは違う。イスヴァラが定めたルールは元理属には厳格に適用される。そう定めたのも自分だ。


「〔あの子〕は、ボクらとは違うんだよねえ」


 プロペロシオの巨体が揺れているのか、イスヴァラの視界が歪んでいるのか。


「あの子は僕ら向けのルールの外なんだ。この世界の人間とおんなじ」

「ぐ、ぶ……」


 腹から込み上げるものを吐きだす。先ほどの茶だが、それでも不調は消えない。


「早くしないとさあ、イスヴァラ。本当に死んじゃうよ」


 だって君、と。

 ただでさえ大きなプロペロシオの指が、歪む視界でさらに大きく見える。


「君がルールを破った時は一番大きな罰って、そんなルールも決めてたでしょ」

「が、はぁっ……ぜへぇ、ふぁ……」

「はやく解除しよう。でないとほら、君が死んだら〔あの子〕が悲しむじゃないか」


 自分で仕組んでおいて今さら。


「はやくしようよぉ」


 プロペロシオが悪事を働くと考えていなかった。

 彼の食に対する執着が常軌を逸していることは知っていたが、だからと言って仲間を犠牲にするほどとは。

 人間を、食べ物と見ていたなど。



 言う通り、このままでは生命活動も維持できない。

 ここまでの心労や疲労も重なり、思考がまとまらない。


 死ぬわけにはいかない。

 自分が死んだら誰が〔あの子〕を守れるのか。

 ルールを破ることは自らに禁じたこと。この世界の一員として生きる為に。


 この世界の一員として。

 〔あの子〕が生きるこの世界を、自分の勝手で捻じ曲げたくないと。

 しかし、それもこれも全て〔あの子〕の為だ。今自分がここで死んでは、〔あの子〕を守れない。



「……」


 腹を据えると荒立っていた気持ちが静まり、ちぐはぐだった思考も一本の筋に戻ってくる


「ふ……そう、だな……」


 笑う。

 己の滑稽さに。愚かさに笑いが漏れる。


「イスヴァラ、大丈夫?」

「ああ……」


 弱々しく笑って、頷いてみせる。


「もう平気だ」


 床にうずくまっていた姿勢から体を起こし、壁を背にして。


「ルールは破却した……あぁ」


 息を吐き、首を振る。


「全て、〔あの子〕の……〔あの子〕を守るためのルールだ……」

「わかってくれてよかったなぁ」


 プロペロシオも、安堵の息を漏らして、丸い頬をにいと歪めた。



「ルールがあったから、クラワーレトは食べられなかったんだもの」


 このサナヘレムスで死んだ仲間を。

 殺されたクラワーレト。

 それもプロペロシオが……?


「だから、僕も初めてなんだよ」


 意地汚い口を開いて。


「元理属は」



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