三_25 望まれぬ邂逅



「フィフジャさーん!」


 海都ウェネムの港に、やや高く透き通るような声が突き抜ける。

 港の喧騒などまるでないように、真っ直ぐに。


「やっぱり、フィフジャさんだ!」


 港に降りた直後に知り合いに見つかるというのは、よほどフィフジャの顔が広いからなのだろうか。

 ヤマトもアスカも不思議に思ってフィフジャを見てみると、彼は物凄くイヤそうな顔で口をへの字に結んでいた。


「……」


 そんなフィフジャの様子を知っているのかどうか、天真爛漫といった雰囲気の笑顔で手を振って速足で駆け寄ってくる金髪の少年。

 少年……のようにアスカには見えたが、近づくに連れて二十歳を過ぎているのかもしれないと思い直した。

 ヤマトと同じくらいの背丈なので成人男性の平均身長よりは低い。

 さらさらの金髪の美少年。フィフジャの知り合いなら見た目の印象より年上なのだろうと推測する。



「あれぇ、フィフジャさん。なんでそんな顔なんです?」

「……」


 近付いてきて小首を傾げながら不思議そうに訊ねてくるのだが、フィフジャが彼の言葉に応じない。

 少し心配になってアスカが聞いてみる。


「フィフ……知り合い?」

「……いや」

「いやじゃないでしょ、イヤって! ひどいですよフィフジャさん」


 確かに彼の言う通り、いくらなんでも無理がある。

 どう見ても相手はフィフジャを知っているのだし、フィフジャだって知り合いだからそんな反応をしているのだろう。

 知らない相手だったらもう少しまともな応対をしているはず。



 港町の港は騒がしい。

 それはノエチェゼもそうだったが、この海都と呼ばれるウェネムも同様……というか、ノエチェゼ以上に人が多い。

 建物は、ノエチェゼは石をそのまま削って作った雰囲気の建物が多かったが、この町では形を整えて焼いた石材を積み上げたような建物が多い。粘土を成形して焼いたレンガ的なものを用いているのだと思う。


 港も大きい。さすが海都と呼ばれるだけのことはある。

 そんな中でよくフィフジャを見つけたものだと感心するのだが。


「ノエチェゼからの船が入ってきたって聞いたから、食事を詰め込んで慌てて来たっていうのに」


 そういうことなら、確かにノエチェゼからの船は六隻だけだったので見つけるのは難しくなかっただろう。

 相変わらずフィフジャは渋面だが。


「……」

「あのねえ、フィフジャさん。よくないですよ。無口なのは昔からですけど、友人がこうして再会を喜んでいるんですから」

「フィフに友達がいたの?」

「違う」

「違いませんよ! ひどいじゃないですか……って、この子たちは?」


 そこで初めて金髪の彼が不思議そうにアスカとヤマト、クックラ、グレイを見る。

 グレイをもう一度見て、びくぅっと後ろに飛びずさっていた。


「なわぁっ! わたた」


 手にしていた本――白い装丁の本を落として、慌てて拾いながらグレイを指さす。


「まっ、まじゅ……」

「……この子は大丈夫だよ」


 ついでのように、グレイの近くにいるヤマト、アスカたちも指さして、後ずさっていった。

 物珍しそうにグレイを指差されるのは好きではないが、ここまで怯えられると怒る気にはなれない。

 腰を抜かしている彼に向けて、クックラとアスカで左右からグレイを撫でて見せる。グレイは気持ちよさそうに身を捩りながら、グゥゥと喉を鳴らした。



「はあぁ」


 深々と、深々と息を吐くフィフジャ。

 少し情けなさそうな顔でアスカたちを見て、軽く首を振った。


「……エンニィ・ガドリィだ」

「?」


 この金髪君の名前なのか。

 あまりにやる気のない紹介だったので、何だかわからなかった。


「あ、はい……エンニィです」


 尻もちをついたまま、照れたような笑顔で自己紹介をする金髪君。

 それがエンニィとの出会いだった。



「にしても、ひどいですよフィフジャさん」


 立ち上がり、白い本を持っていないほうの手でズボンを叩きながらエンニィが口を尖らせる。

 まだ恐ろしいのか、グレイと――なぜかヤマトとも距離を置くように、


「……」

「まぁたそうやって無視とか、人としてどうなんですか。人として。僕は友人として言ってるんですよ」


 アスカが見ていても、確かにフィフジャの態度は褒められたものではない。

 相手は一生懸命にコミュニケーションを取ろうとしているのに、フィフジャは迷惑そうにそれを黙殺している。



「もしかして、彼がフィフジャの嫌いな人?」


 会いたくない人がいると言っていた。

 この喧しさは確かに鬱陶しいかもしれない。朗らかで人懐っこいとも言えるが、人によってはそれを疎ましく思うだろう。

 フィフジャの口から直接言いにくいのなら、とりあえずアスカが。


「え、えっ? そ、そうなんですか?」

「違う……いや、違わないが」

「違って下さいよ! 今のは違うで良かったじゃないですか! ねえ、お嬢さん?」


 フィフジャの対応に抗議をしつつ唐突にアスカに同意を求めてきた。

 ヤマトとは距離を置いているからアスカに話を振ったのか、それともアスカが可愛いからだろうか。


「う、うん……フィフ?」


 アスカも、どうしたものかとフィフジャの判断を仰ぐ。

 見知らぬ人が、馴れ馴れしくフィフジャに話しかけてきて、冷たくあしらわれている。

 関わってはいけない人なのかもしれない。


「……はぁぁ」


 もう一度、深く肩を落として息を吐くフィフジャ。


「どうして……そっとしておいてくれなかったんだ」

「心配してたんですよ、フィフジャさんのことを。予定だったエズモズからの船には乗ってなかったし、何かあったのかって」


 なんだ、善い人じゃないか。

 フィフジャの知り合いで、彼の予定を知っていて、予定外のことが起きたのかと心配してここで待っていたのだと。

 友人と主張するエンニィとやらの言葉が本当なら、フィフジャの友人ということでいいと思うのだが。



「お前、そんなに暇じゃないだろう」


 ジト目のフィフジャに言われると、エンニィは舌を出して惚ける。


「まあ、行商組合としては交易船の季節の海都は大事ですからね」

「なんだ、お仕事でここにいたのね」


 フィフジャを心配していたというのも嘘ではないかもしれないが、エンニィには彼の都合があってここにいただけ。

 行商組合というのだから、交易に関わるのは自然な話だ。

 ちょうどズァムーノ大陸からの船が着いたということで、そこにフィフジャが乗り合わせていたという巡り合わせか。



「……いるんだろう」

「何がです?」

「お前がいるんだから、あいつも……」


 フィフジャの質問がわかっているのか、エンニィは意地の悪そうな笑顔で頷いた。

 仲の良い友人とは言えなさそうだ。


「そりゃあね。フィフジャさんだって僕の立場知ってるでしょう」

「あの野郎の小間使い」

「バナラゴ会長の補佐です。やめてくださいよ、いくらクソ野郎だからってそんな言い方するのは」


 クソ野郎なのは事実なのか。エンニィがそれをクソ野郎と言い放ったけれど。

 部下のエンニィがクソ野郎と呼ぶバナラゴ会長とやら。どうやらそれこそがフィフジャを憂鬱にさせている相手ということでいいのだろう。


「リゴベッテ最大の行商組合のトップですからね。善人で務まるわけじゃないんですよ」

「それはそうだろうが、俺には……」

「どっちにしたってフィフジャさん、会わないと依頼の完了確認も済みませんし報酬受け取れませんよ?」


 エンニィの笑顔は、フィフジャが嫌がることを楽しんでいる様子だった。


 会長……リゴベッテ最大の行商組合の長が、フィフジャにズァムナ大森林の探索を依頼した本人。

 組織として依頼したのかもしれないが、なんにしても依頼主というわけで。

 船の上で嫌々でも会わなければならないと言っていた相手のはず。


「まさかここでいきなり会うとは……」


 心の準備が出来ていない、と。

 船から降りてすぐに苦手とする当人がいるとは思っていなかった。フィフジャの言い分はそういうことだった。


(……私たち、まともに紹介してもらってないけど)


 必要があるのかないのかわからないが、面倒な相手なら紹介されなくてもいいかと。


 ギュンギュン号から積み荷が下ろされ、ダナツたちはそれらの作業に追われている。

 今日はダナツの紹介の宿に泊まることになっている。というか、ダナツの奥さんでありサトナのお母さんの経営する宿だと聞いた。

 海の男は各地の港に宿となる女がいるだとか、そういうロマンなのだろうか。アスカには理解できないが。


「フィフ。面倒な……大事な話だったら、私たちはサトナたちと宿に行ってるね」


 逃げることにした。

 フィフジャの縋るような瞳がアスカに向けられるけれど、してあげられることはない。何も。

 大人なのだから、自分が請けた仕事はちゃんと最後まで自分でやり切ってもらわないと。


「そうですよ、フィフジャさん。覚悟を決めて会長のところに行きましょう」


 エンニィに促され、それでもフィフジャはいやいやと言うように口を結んで動かない。

 子供か。

 そんな様子を楽し気に見ていたエンニィが、ふと思い出したように言った。


「フィフジャさん、お帰りなさい」



  ◆   ◇   ◆



 新岡しんおか琉人りゅうとは記者である。

 記者と言っても色々なタイプがあり、日本で記者と言う場合ハイエナのように他人のプライバシーに踏み入り知る権利だと主張する者が多いように受け止められることもある。

 そういった記者も存在するというだけで、それが全てではないだろうが。一般的な日常を送る人が記者などに関わる場合はあまり好まれないケースも少なくない。


 新岡琉人はそうした記者とは違った。

 取材スタイルが違うというわけではない。一般人の心情を考えて無茶な取材はしないだとか、そういうプライドを有しているわけではない。

 ただ単にジャンルが違うだけだ。

 どちらかといえば、世間で多く見られる記者以上に一般的な人からは鼻つまみ者として扱われやすい部類の記者。



「新岡さん、やっぱまずかったっすね」


 そう声を掛けてくるのは、でかいカメラの入ったバッグを肩から掛けている宇津志うつし栄三えいぞう。カメラマンだ。

 頬に濡らしたハンドタオルを当てながら、まぁなと答える新岡。


 殴られた頬が痛む。

 暴力沙汰だ。訴えればこちらが有利かもしれないが、そんなつもりはない。

 普段はあまり人様に迷惑を掛けない取材をする新岡だったが、今回は少しばかり他人の触れられたくない領域に土足で踏み入ってしまった自覚がある。

 だから、これはお互い様だ。取材料だと言ってもいい。


 ふとポケットに手を突っ込むと、何やらじゃらっとした感触が触れた。


「……」


 見てみれば、木の葉っぱだった。

 殴り倒された際にそこにあった木を咄嗟に掴んでしまったのだろう。

 その時に掴み取った木の葉。


 そのうちの一枚を手に取り、片手はタオルで頬を冷やしながら空に翳してみる。

 見たことがない葉だ。

 だが、そもそも新岡は別に植物に興味があるわけでもないので、見覚えがないという程度のことでしかないが。



「なあ、宇津志」

「なんすか?」


 とりあえず他に誰がいるわけでもないので、同僚に聞いてみる。


「これ、なんて木だ?」

「知らないっすよ。そういうのは自然派のカメラマンに聞いてください」

「だよな」


 もっともな意見だった。

 どちらもそんな風情を楽しむ方ではないし、植物に関心もない。

 関心があるのは、そういう自然的なものではなく、もっと超自然的なもの。


 二人はオカルト雑誌の記者とそのカメラマンだった。

 現代日本では絶滅危惧種ではあるが、オカルト雑誌とかそういったものが消滅するのはまだ先のようだった。

 オカルト、超常現象。そういった分野に関しては、もしかしたらずっと先まで消滅することはないのかもしれない。

 誰もが、見知らぬものを見たがるし知りたがる。

 ちょっと今回は失敗だったが。



「しっかし、なぁんにもなかったっすね」

「もう七年も前の事件だからな」


 日本の片田舎で起きた一家消失事件。

 前日まで何の異常もなかった一つの農家が、突如として姿を消した。家まるごと。


 直前にその家に回覧板を届けたという近所に聞いても、いつも通りそこには家があり、住人も来週の田植えの話などをしていたのだと言う。

 誰も知らぬうちに、それらが丸ごと消えた。

 何一つ痕跡を残さず、近所の人間に聞いてもわずかに遠雷のような音を聞いたかという程度の証言しかないまま。

 その敷地が突如として更地になっていた。家の住人や、そこに訪れていたという親戚、犬猫なども含めて。


 誰が見ていたわけでもないが、一瞬でその家が姿を消した。現代の神隠し。

 当時は大いに世間を騒がせ、その一週間ほど後に一人が見つかったという報道もあったのだが。


 出てくる話は、科学的説明できるだとか一家の夜逃げだとか、あるいはオカルトな超常現象でどこかの世界に送られたのだとか。

 結局真相はわからぬまま、いずれ忘れられた。



 オカルト記者としての新岡琉人が今更それを拾い上げようと思ったのは、ただネタがなかったからである。

 七年越しに明らかになる一家消失事件の真相。

 そんな風に銘打って記事でも作ろうかと案を出したら、案外とその企画が通ってしまい取材に来たわけだった。



「娘をなくしてるんだもんな」


 勝手に踏み込みそこの写真を撮っていた彼らに、その地主が激高して食いかかってきた。

 話を聞いてもらおうとしたのがまずかった。

 事件直後の当時も雑誌記者などに散々な取材を受けただろう男性は、新岡たちに拳を振るった。


 出ていけ、と。

 そうして退散してきたわけだが。


「……まあ、記事は何でも書けるからな」


 どちらにしろ作文をするだけだ。真偽などわかるわけもないし、真実を追っているわけでもない。

 オカルト雑誌的に人目を集める記事を創作するだけのこと。

 日本の片隅まで取材に来たのは、旅行的な気分という意味合いの方が強い。


 とりあえず現場の証拠的な見慣れない木の葉を、密封出来るタイプのビニール袋に入れて封をした。

 そのまま着古したジャケットの内ポケットに放り込む。


「よぉし、一度宿に戻ったらなんか食いに行こう。気晴らしにな」

「そうっすね」


 金を払えばどこでもそれなりにうまいものが食える。

 取材と称して全国あちこちに取材に行く新岡たちの楽しみはそんなものだった。



  ◆   ◇   ◆


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