第16話   気分で開かなくなる扉

 ロゼ君はこのお屋敷に侵入者が増えてしまうのでは、と心配しているようでしたが、私はそこまで気にしてはいませんでした。


 ラズ君は他にも本を読みたがりました。オールドマン王家のことが、もっとよく知りたいそうです。


「では、またさっきのお部屋の本棚から、いろいろ探してみますか」


 そんなことを話しながら、私たちは水で湿らせたフキンで、食器を拭いていました。洗剤もスポンジもありませんから、お皿をきれいにするのは、この方法しかありません。


 食器棚にお皿を戻していると、ふと、小さなカップが二つ並んで仕舞われていることに気が付きました。子供用のカップのようで、白い陶磁器に鮮やかで可愛いお花の模様が、ひらひらと。これもピーコックさんが用意してくれたのでしょうか。子供用の衣装ダンスも、二つありましたね。


「ラズ、さっきはあなたの調べ物を優先しマシタカラ、今度は聖女様の調べ物を手伝いマショウ」


「え? あ、そっか、聖女様はピーコックが気になるんだよな?」


 な、なんだか、そう言われると照れますね。


「いえあの、気になると言うか、学術的な意味で、たくさんの絵のモデルになっている彼の歴史や、それにまつわるお話などが、伺えたらなぁと、思いまして……本当にそれだけなんですけど……」


 今まで、ご存命の絵のモデルの男性に、興味を抱いたことがないもので。どうしても、私がピーコックさんに気があるように聞こえますかねぇ。


 さて、ロゼ君の話では、ピーコックさんについて知るには、このお屋敷に残っているであろう、書類関連を調べた方が早いとの事ですが、その書類がどこにあるかは、わかりません。

 一階をざっと探検はしたのですが、細かな引き出しの付いた棚の中身など、全ての部屋を隅々まで調べたわけではありません。


「私の調べ物は、お時間のある時に、のんびり協力してくれたらで構いませんよ。私よりも、ラズ君の帰る場所について調べたほうが、有意義かと思われます」


「そうかー? ん〜……なら、もう少しだけ、あの花の本を見つけたい。どこかに俺のことが書いてある、新しそうな本があるといいな」


 結局のところ、お屋敷の部屋総当たりってことですね。


「ならば、ラズの調べ物ついでに、聖女様の探したい書類も見つかるかもしれマセン。同時進行していきマショウ」


 お昼ご飯をイマイチ美味しくないサンドイッチで済ませた私たちは、ラズ君の手掛かりが見つかった本のある部屋に戻って、他にもラズ君について載ってある書物がないかと探しました。


 それっぽい題名の背表紙を探したり、なんとなく関係がありそうな本を引き抜いて調べたり。


「…………」


 なんですかね〜この人は。部屋の扉が開いたと思ったら、また上半身だけ。


「おい」


「はい」


 私が代表して返事をしました。


 ピーコックさんは、キレイなダークブロンドをぽりぽり、気まずそうに視線を斜め下に。


「何を調べている」


 内容を聞かれました。どうやらピーコックさんは、私たちの全てを把握できているわけでは無いようです。少し安心しました。意思のある防犯カメラだらけの空間では、ちょっと心が休まりませんからね。


 ラズ君が、はいっと挙手しました。


「俺のこと」


 ラズ君の端的かつわかりにくい説明に、ピーコックさんは深く尋ねず、黙って頷きました。


「聖女様も調べてるんだよ。なあ、聖女様?」


「わ、私は、ピーコックさんの描かれた絵についてです。あの、ほんの出来心ですから、お嫌だったら、調べるのやめます」


 恥ずかしさのあまり、うまくしゃべれませんでした。ピーコックさんに、変なふうに伝わってないと良いのですが。


「吾輩は……自分を知るのがどういう事なのか、わからん」


 ……ん? どういう意味でしょうか。それを尋ねる前に、ピーコックさんは曇ったお顔で体を引っ込めると、扉を閉めました。


 残された私たちに、気まずい時間が流れます。お互いに顔を見合い、首をかしげ合い、ピーコックさんの言葉の真意が誰も理解できていないことが確認できました。


 何とも言えない空気を、明るく切り裂いたのは、ラズ君でした。それまで両手いっぱいに積み上げていた分厚い歴史書を、棚に全部戻して、にやっと笑顔。


「俺、調べ物飽きちゃったなぁ。まだ見てない部屋探索がしたいなぁ」


「そうですね、朝も昼もずっと同じことを頑張ってきましたし、ちょっと違うことをやってみましょうか」


 私たちがまだ足を踏み入れていない部屋は、主に二階にありました。人様の家を縦横無尽に調べまわることに、罪悪感がなかったわけでは無いのですが、何か不都合があればピーコックさんの方から来てくれるだろうと思い、私たちは二階の廊下へと移動しました。


「女物の道具とかも、見つかるといいな。聖女様ちっとも物とか欲しがらないしさ、一緒に探してやるよ」


「ありがとうございます」


 女物……ピーコックさんのご家族の物でしょうね。勝手に使うのは、正直気が引けます。ご家族と言えば、絵画にはピーコックさんお一人しか描かれていませんが、彼の家族も、お屋敷で一緒に住んでたんですかね。子供服が一階にありましたし、ピーコックさんのお子さんの物でしょうか。


「ラズはあなたのお気に入りの道具も、見つけたいのデスネ」


 隣りを歩くロゼ君が、こっそりと私に耳打ち。


「以前のラズは、食料ばかり気にかけていて、この屋敷の部屋や道具に、興味などなかったのデスヨ」


「そうなんですか。では、それだけ心に余裕が生まれたと言う事ですね。余裕は無いより、あるほうがいいと思いますよ。ロゼ君も今、余裕がありますか?」


「ハイ。どういうわけだか、長時間活動しても眠くならないんデス。屋敷の主のピーコックが今、とても元気なんデショウネ」


 そういえばロゼ君は、昨日の夜も、ピーコックさんが元気だと自分の活動時間が長くなる、とか言っていたような気がします。


「ピーコックさんが元気だと、どうしてロゼ君も眠くならないんですかね」


「彼が元気だと、彼の魔力が強くなるからデス。僕はそのおこぼれをもらって、活動しているんデス」


 魔力……?

 漫画やゲームに出てくる、あの何でもできる不思議な力が、この世界にあるんですか。魔物やモンスターが使う、そして勇者が使うあの力を?


「ねえロゼ君、その魔力と言うものは、私にもあるんでしょうか。私も魔法とか使ってみたいです」


「あなたはまだ赤ちゃんデスカラ、魔法が放てるほどの魔力がアリマセン。練習もしていないデショウシ」


「あー、してませんね……」


「ですが、ここでご飯を食べながら、たくさん練習したり、よく寝たりすれば、体が大きく成長して、魔力の量も増えると思いマス。そうなったら、簡単なものでよければ僕が教えマスヨ」


「ぜひ! ありがとうございます、ロゼ君」


 私は嬉しさのあまり、両手を胸の前にパンッと叩いてしまいました。まだ今すぐ教えてくれると言うわけではないのに、ちょっとはしゃぎすぎました。先頭を歩いていたラズ君が、びっくりして振り向いています。


「聖女様、魔法使うのか?」


「え?」


 これは、どう答えましょうか。私は聖女様のことを何も知りません。ピーコックさんの前に、聖女様について勉強した方が良さそうですね。


「少しなら、使えると思います」


 適当なことを言いました。この、少しなら、と言う言葉が大事です。もしも、全く使いこなせなかったとしても、もとから魔法があまり上手ではない、という言い訳にも使えますからね。


「だよなぁ。俺がいたお城の人たちは、聖女様のことすっげぇ悪く言ってたもん。厄介な奇跡ばかり起こす最低の悪女だって。これって、バンバン魔法を使って、お城の旦那様たちを苦しめてきたってことだろ? それって、すげえかっこいいじゃん」


 その聖女様を、昨日のあなたは殺して食べようとしましたけどね。昨日と比べたら、今のラズ君は本当に変わりましたね。私は彼の人柄がガラッと変わるような、特別なことなんて、何もしていないのですが。


 適当な部屋を選んで、扉を開けてみま……あれ? 開きません。


 今までどんな扉も開いてきましたから、ちょっとびっくりしました。そりゃそうですよね、鍵がかかっている扉ぐらいありますよね。


「別の部屋にしましょうか」


 私は双子を促して、また別の扉を……あらら、こっちも開きません。


 ラズ君も、別の扉のノブに手をかけていました。


「あれ? 開かなくなってるぞ。俺はこの部屋から、この服とロープを持ってきたのに」


 つまり今朝は開いたと。


 ふと、私はピーコックさんの言葉を思い出しました。


『吾輩は……自分を知るのがどういう事なのか、わからん』


 わからないから、不安だから、知られたくないのでしょうか。彼にだって、入ってほしくない部屋ぐらい、ありますよね。


 私たちも居候の身ですし、駄々をこねて扉をぶち破る理由もありません。私はドアノブをガチャガチャしているラズ君を止めました。


「ピーコックさんにも、入られては困る部屋があるようです。別の部屋にしましょうか」


「そっか〜。わかったよ、開かない部屋には入らない」


 私たちは探検を続けましたが、二階のほとんどが開かずの扉となってしまい、結局一階で資料集めを再開しました。


「俺、ピーコックが鍵をかけた扉の位置、覚えたよ。一階には、いろんな道具がごろごろしてたけど、ピーコックや女物の部屋は、きっと二階にあるんだな」


「扉が開かなかったのに、どうしてわかるんですか?」


「だって一階には、使用人の部屋しかなかったもん。だからピーコックと女物の部屋は、二階にあるんだ。ピーコックは家族のことを、知られたくないのかもな」


「なるほど……」


 王家について知りたいラズ君と、家族について知られたくないピーコックさん。


 同居するには、いくつかルールが要るものです。ピーコックさんの地雷が知れて良かったですよ。決して無駄な時間を過ごしたなんて思っていませんよ。


 それにしても、ラズ君の読みたい本はいっぱいあるんですね。こんなに分厚い本を何冊も棚から引っ張り出して……。


「あ、そうだ」


 ラズ君が本を絨毯の上に置いてしまいました。そして壁に掛かった読書中のピーコックさんの絵に、背伸びして向き合います。


「ピーコック、俺の名前が載ってる本はないか。あれば、教えてくれ」


 ……ピーコックさんは無反応でした。屋敷内の本の内容を知らないのか、それとも、ラズ君の名前が載っている本が無いのか。


「じゃあさ、王家の紋章を、体に彫る文化について載っている本があったら、教えてくれ」


 読書中のピーコックさんが、顔をあげました。ラズ君をまっすぐに見つめ、その視線が、真横に向きます。


 視線の先には、本のまばらに残った本棚が。背表紙にも、それっぽい題名はありませんが……。


「これかな」


 ラズ君がおもむろに一冊を引き抜くと、大事そうに抱きしめました。


「これで俺のことがわかるんだな!? やったー!! 俺ちょっと外走ってくる!」


「ええ?」


 興奮冷めやらぬ様子で、勢いよく部屋を出て行きます。気が早いですねぇ……よっぽど、ご自分のことがわからないのがストレスだったんですね。


「聖女様、ラズがいない間に、聖女様についての資料を探しマショウ」


「え?」


「先ほどラズに、魔法が使えると答えてしまったデショウ。聖女様とは、奇跡は起こせますが魔法は使えない、という設定の人物なのデス。あなたにはもっと勉強してもらいマスヨ」


 口調と険しい表情から、スパルタ感が漂っています。私が偽物であることを、よっぽどラズ君に知られたくないのでしょうね。私もです。知られたら、またナイフ片手に追いかけられそうな気がしますから。


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