侵略の理由

@me262

第1話

それはある日突然訪れた。月の公転軌道のすぐ外側に大きな空間の歪みが生じると、その中から巨大な白く輝く円盤が現れ、地球に降下するや無数の赤い光線を地上に放射して、そこにある都市を吹き飛ばした。円盤は近隣の都市を次々と焼き払うと次の目標を破壊しに別の国に移動した。

 千メートルを優に越える全長と、信じられないほどの頑強さを持つ円盤に各国の防衛網はまるで役に立たなかった。通常兵器はおろか、核兵器さえも通じない。地球側の交信を全て無視して円盤は世界中の都市を手あたり次第に破壊し、そこに住む人々を虐殺していった。

 僅かな生き残りは口々にその恐怖を語る。真っ赤な血の色をした光線に当たった者は一瞬で蒸発した。分厚い鉄やコンクリートの壁に隠れても関係ない。圧倒的な高熱で跡形もなく焼き払われる。生き残ったのは光線の攻撃から運良く外れた者だけだと。

そして彼らはこうも言った。円盤は常に甲高い音を出していた。ギンギンと耳をつんざくような怪音で、あの不快な音が聞こえたら直ぐに地面に穴を掘って隠れたと。

 僅か数日で地球上の主な大都市は全滅した。日本も例外ではない。焼け野原になった東京市ヶ谷の地下にある防空司令所で空自幕僚のヤマオカは残存戦力をかき集めて防衛網を立て直そうと懸命に指揮をしていた。陸海空自衛隊は先日、米軍と共同で円盤を攻撃したが無惨にも返り討ちにあい、僅かな部隊しか残っていない。だからと言って国民の命を守る為に戦わなければならない。そこへ、部下のタケナカが蒼白な顔で駆け寄った。

「衛星のレーダーが月軌道外に大規模な空間の歪みを検知しました!」

指揮所の全面に設置された大型のスクリーンに満月が写し出され、その脇の空間が渦を巻いて歪んでいく。

 それが意味するところをヤマオカはわかっていた。程なくして渦の中心から2つ目の白く輝く巨大円盤が出現した。しかも1つ目の円盤の数倍の大きさだ。

「もう、駄目だ……」

 スクリーンを茫然と見るヤマオカの隣でタケナカが絶望のうめき声を上げた。

 しかし、新しい円盤は攻撃をせずに最初の円盤に接近すると低い音を上げた。最初の円盤は動きを止める。そして二機の巨大円盤はあっという間に上昇して月の外側まで行くと空間の歪みの中に入っていき、唐突に消えた。そこから先は何も起きなかった。

「助かった……のか?」

 ヤマオカとタケナカは何が起こったのか理解できずにただ立ち尽くすだけだった。


 謎の円盤の攻撃から半年が過ぎた。被害は甚大。世界の殆どの都市は破壊され、戦死者は総人口の一割に及んだ。

侵略宇宙人からの攻撃を国単位の軍隊では防げない。この失敗を繰り返さないように国連は地球全体を守るために超国家的軍隊、地球防衛軍を創設して現有のすべての軍組織はこれに吸収された。

 地球は狙われている。この事実を骨の髄まで思い知った人類はここに来て遂に力を一つに合わせたのである。各国は全ての軍事機密を明らかにして新兵器の共同開発や実用配備を急速に進めた。

 自衛隊も解体されて防衛軍に編入され、ヤマオカは極東基地の司令官に任命された。


 ある日の昼下がり、ヤマオカは自宅近くの公園のベンチに座ってぼんやりと辺りを眺めていた。彼自身、家族や友人の多くを失いその心は深く傷ついていたが、一刻も早く防衛軍の組織体制を確立するために昼夜も分かたず奔走していた。

しかし、あまりにも働き過ぎて健康に悪影響を及ぼしそうになったので参謀のタケナカが一週間の休暇を強く勧めたのだ。休むのも任務だと言われては返す言葉がなかった。

 実に半年ぶりの休日だったが、ヤマオカには何もすることがない。こういう日を彼と一緒に過ごすはずだった家族はもういないのだ。何もしていなければ体を休めることはできるが、そうなるとやはりあの日のことを考えざるを得ない。

 現時点で、あの円盤の正体と目的は不明のままだ。何の要求も出さずにひたすら破壊を繰り返していたところから、地球の征服でも、人類の奴隷化でもない。唐突に消えたことから地球を滅ぼすことが目的でもなさそうだ。

世界中の人間が円盤の画像を撮影してネットにあげていたので、少しでもヒントを求めてヤマオカはそれらの動画を見続けたが何もわからない。

円盤の発するギンギンという高音だけが耳に残る。生存者の多くはPTSDを患ってこの音が脳裡から離れない状態らしい。地下の指揮所にこもりきりで直接円盤と遭遇していないヤマオカだからどうにか耐えられたが、それでもこれ程嫌な音は今まで聞いたことがなかった。

何故突然去っていったのか、あの二機目の円盤はなんのために現れたのか?全ては謎のままだ。

結局、ヤマオカは公園のベンチに座って時間を潰すしかなかった。街の再建は急ピッチに進み、形だけは元通りになりかけていた。天気のいい日で、青空の下の公園は子供たちで一杯だ。あれだけの攻撃を受けてもまだこれだけの子供が生き延びた。ヤマオカは慈しむような目で彼らを見つめた。

 一人の幼児がヤマオカの近くではしゃいでいる。一人で何をしているのか。彼はそちらに目をやった。

幼児は片手に小さなジョウロを持ち、中の水を足元にこぼしていた。そこには蟻の巣があった。蟻たちは水に溺れながら逃げ惑い、あるいは水から巣穴を守るために土で塞ごうとしている。幼児はそんなことにはお構いなしに水をこぼし続けている。幼児はキャッキャと声を上げて笑っていた。

 子供は無垢な存在、それ故に命の何たるかを知らない。一見残酷なことだが、こういう経験を積んで命の大切さを学んでいくのだ。

 ヤマオカと同じベンチに座っていた若い母親が幼児に声をかけた。昼食の時間だから家に帰るようだ。幼児は遊びを続けたがっていたが母親が近寄って強めの声を上げると渋々とその手を取る。

その瞬間、ヤマオカは雷に打たれたように反射的にベンチから立ち上がった。

 我々はあの二つの円盤を宇宙人の乗り物だと思いこんでいた。だが、あれ自体が一つの生物だとしたら、あの二機の円盤が親子だとしたら……。

「まさか、そんな……」

公園から遠ざかる母子の背中を見送りながら、ヤマオカは全身の震えを止めることができなかった。彼の頭の中では円盤が常に発していたギンギンという怪音と、今しがたの幼児が上げていたキャッキャという声が完全に重なっていた。

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