百(合)物語 ~epilogue~
……。
勢いに任せて、五話を一気に語り終えたミナ。充足感と気恥ずかしさの混じった複雑な気持ちで、イチカとニコのリアクションを待っている。
すると、やがて……、
「じゃ……私そろそろ帰ろっかなー」
そんなことを言って、イチカが立ち上がる。
「え?」
「あら、もうこんな時間? 私、明日の仕事早いのよね」
ニコも立ち上がって、部屋のライトを点け、床のローソクを片付け始めた。
「あ、あれ?」
ミナは、肩透かしを食らったようだ。
「い、いや……百物語は? っていうか、百個話したら百合が現れるとか、さっきまであれほど騒いでたくせに……え? 何、その手のひら返し……?」
呆気に取られているミナを無視して、サッサと後片付けを完了させてしまう二人。今回の百物語の会場はミナの部屋だったので、そのまま二人は自分の荷物を持って部屋を出ていこうとした。
納得いかないのはミナだ。思わず大声を出して、二人を呼び止める。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
その声にゆっくりと振り向いたイチカは、まるで子供に言い聞かせるように、こんなことを言った。
「ミナちゃん……。あなたが、百合のことをどう思おうとも勝手だけど……このご時世に、あんまりさっきみたいな話を人前でしないほうがいいよ? 百合は犯罪者やテロリストでもなければ、チョコを無理やり口に詰め込む乱暴者でもないんだからね?」
「は、はあ⁉」
あまりにも予想外のことに、口をあんぐりと開けて目を見開くミナ。そんな彼女に、軽蔑するような表情のニコが追い打ちをかける。
「ミナあなた……百合のこと、何だと思ってるの? 百合だって、普通に人権のあるあなたと同じ人間なのよ? あんまり、滅多なことを言わないでちょうだいよ」
「いやいやいやっ⁉ お前らが、それを言うか⁉ さっきまで河童の仲間とか言ってたくせに!」
「はぁ……」
二人は顔を合わせて同時にため息をつくと、小さく首を振る。
そして、「
「な、何なんだよ……」
残されたミナは釈然としない表情で、自分以外誰もいなくなった部屋のドアを見つめていた。
―― ミナの場合 ――
部屋に一人残ったミナは、二人の突然の豹変ぶりになかなか立ち直ることが出来なかった。
しかしその途中で、「あること」を思い出して青ざめた。
「ま、まさか……!」
さっきの話の途中、一度だけ自分がトイレに行って、部屋にイチカとニコだけになるときがあった。
もしもそのとき、あの二人がふざけて自分の部屋をあさったりしていたら……。クローゼットの扉を、無断で開けてしまっていたら……。ミナは慌てて、クローゼットに駆け寄った。
あけすけな彼女は、普段ならこういうことをあまり気にしたりしない。「見られて困る物も別にないし、好きにすれば?」なんて言って、堂々としていたはずだ。しかし、今日ばかりはそんな風に思うことはできなかった。
なぜなら……今日のそのクローゼットの中には、まさに「見られるととても困る物」が隠してあったのだから。
クローゼットの扉を、恐る恐る開けるミナ。するとそこには……「それ」があった。
「ピ……システムのソフトウェアは最新です。起動シナりオに入リます……」
一見すると、それはミナと同じくらいの歳の人間の女性だ。
だがよくよく見てみると、その肘や膝などの関節の目立たないところには切り込みがあり、中には細い配線が見えている。
「ピ……起動シナりオ正常終了。バッテりー充電率は100%です。前回シャットダウン時から引き続き、『恋人』モードで起動します。モード変更が必要な場合は付属のコントローラで操作してください」
無表情に事務的な口調でそんなことを言う「彼女」。瞳は緑色に光ったり、ときどき赤く点滅したりもしている。
どうやら、非常に良くできた人型ロボットのようだ。
「まさか、あたしがこいつをクローゼットの中に隠してるってことが、あの二人にバレたのかと思ったけど……」
ミナはそのロボットを慎重に観察する。今日イチカとニコがやってくる前に慌てて隠したときと、特に変わっているところはない。
「ミナ、おはよ。会いたかったよ」
起動を完了したその『恋人』ロボットは、完全に人間にしか見えないような愛のこもった自然な表情で、ミナに微笑んでいる。
ミナはその視線が恥ずかしくて、拒絶反応をあらわにする。
「や、やめてくれ! あたしはたまたま、ウチの前のゴミ捨て場に粗大ゴミとしてお前が捨てられていたところを見つけちゃっただけで……。そのときに突然名前を聞かれたからうっかり答えたら、何故か
しかし、すぐに冷静さを取り戻して、さっきまでの観察を続行する。
「で、でも、よく考えたらこいつ確か、人が近づくと自動で起動するはずなんだよな? じゃああの二人、こいつを見つけたから怖がって逃げ出したわけじゃないってことか? それじゃあ、さっきの二人の様子は……」
そんなミナをからかうように、そのロボットは彼女の体に両腕を絡ませる。
「今日は、クりスマスだよね? 私に、何かプレゼントとかないのかな?」
「も、もしかして……? いや、違うか……。それじゃあ……いや、やっぱりそれもありえない……」
「ピ……ユーザーのスマートフォンをスキャン中……電子商取引の履歴をスキャン中……スキャン中……スキャン完了。……あっ⁉ ミナったら先週、電子マネーでオシャレなアクセサりー買ってる! もしかして、私のそばにおいてあった、これかな⁉ うわーい、これって恋人の私あてだよね⁉」
「じゃあ、どうして……って! おぉーいっ! 勝手に、人の買い物の履歴見るんじゃねーっ! だいいちそれは、お前宛てじゃなくて……」
「エッ⁉ じゃあ、誰のなの? まさか、私という恋人がいながら浮気を……」
「そ、それは…………べ、別に、誰でもいいだろっ⁉ 自分だよ! 自分でつけるんだよ!」
「ピ……心拍数の異常な上昇を検出。ユーザは現在、嘘をついていると想定されます」
「い、いちいちそういうこと報告しなくていいっつうーのっ!」
そんなふうに、ミナとそのロボットは、騒がしくバカな言い合いを続けていた。
―― イチカの場合 ――
ミナの部屋を出て、駅までの道を並んで歩いているイチカとニコ。会話らしい会話はなく、お互いほとんど無言に近い。それほど仲の良くない者同士なら、沈黙を埋めようとどうでもいいことを話し出してしまいそうな雰囲気だ。だが彼女たちには、これまでミナも入れた三人で長い年月つるんできた積み重ねがある。何も喋らない時間も苦ではなかった。
しかし、やがて……。そんな静かで穏やかな時間を壊すようにカラフルな街灯が現れ、居酒屋の酔っ払い客の騒がしい声が聞こえてくる。
目的地の駅に到着したのだ。
「じゃあ私、こっちだから」
イチカとは別方向のホームへと繋がる階段を指さして、ニコが言う。
「うん」
か細い声で、かろうじてそう呟くイチカ。数十分前までの元気はもう微塵もない。
「……大丈夫?」
そんな彼女の姿が痛々しくて、ニコはなかなか階段を上ることが出来ずにいる。
「もしもあんまり辛いなら、今日はうちに泊まってもいいわよ? 明日は仕事と言ったけれど……別に私は、あなたのことを一晩中慰めてあげたっていいし」
「ううん。大丈夫……だから」
全然大丈夫では無さそうな声。
しかし、ニコはそれをあえて真に受けるように、「そう」とだけ呟いて、階段に向かって歩き出した。長年一緒にいた経験から、今の彼女に必要なのは慰めよりも、一人にしてあげることだと思ったのだ。
「……」
しかし、その途中で立ち止まる。
そして、
「私、別に今日のあなたに勇気がなかった、だとか。そんなふうには思ってないからね? だから、頼りたくなったらいつでも頼ってね? ……だって」
ニコは首だけを動かして、イチカの方を見る。イチカが持っている荷物――ミナの部屋に行くときから持っていて、そのまま持ち帰ってきてしまったクリスマスプレゼント――に、視線をやる。それから、
「だって告白って、そんなに簡単なことじゃないものね? むしろ、今日のあなたは充分によくやっていたと思うわ。……それに、言い出した私が言うのもアレだけど……これってあんまり、いい作戦じゃなかったわ。また今度一緒に、もっといい作戦を考えましょう?」
と言って、あとはイチカのことを振り返らずに、階段を上っていってしまった。
「うん、ありがとう……」
去って行くニコの背中にそれだけ言うと、イチカも別のホームへの階段を上り始めた。
しかし、
「……あーあ。ニコちゃんはああ言ってくれたけど、やっぱわたし、意気地なしだよぉ」
そんな独り言をつぶやくイチカ。階段を上っていくうちに、今までの数年間の出来事が、頭の中に蘇ってくる。
三人で何も考えずに遊んでいた、無邪気だった高校時代。だがある日突然、その無邪気さが失われてしまった。イチカは無邪気でいられなくなってしまった。
自分が、友だちのミナのことを、好きだと気付いてしまったから。
とても一人では抱えられなかったその想いを、もう一人の友人のニコに打ち明けると、彼女は何の迷いもなく自分を応援してくれた。そして、自分とミナが結ばれるための、ある作戦を立ててくれた。
それが、百合物語だった。
百合話を百個話したら、最後に百合が現れる……。題目なんて、そんな適当なものでよかった。これまでいつもバカを言ってきたイチカなら、突然そんなことを言い出しても違和感はないから。
しかしそのバカみたいな題目の裏に隠された本当の目的だけは、ミナには気付かれてはいけなかった。
これまでイチカとニコは百合物語を語る間、ずっとミナの様子を観察していた。
女性が女性のことを好きだという話を、ミナがどんな様子で聞いているか? 嫌悪感を抱いたりしていないか? 彼女自身がそうなるような「可能性」は、少しでも存在するのか? 彼女を注意深く観察して、それを探っていたのだ。
そして、もしもその「可能性」がゼロでないのなら……百物語を終えた一番最後に、イチカはミナに告白するつもりだった。
今までクリスマスやバレンタインに集まって百物語をしてきたのは、ミナにまだ恋人がいないことを確かめるため。そして、イチカが告白するためのムード作りのためだった。
もちろん、「そのとき」になってイチカが覚悟を決めたなら、ニコは自然にその場から離れて、彼女たちを二人きりにするつもりだった。
だが……。
結局イチカは今日、告白出来なかった。
最後の最後に勇気を出すことが出来ず、そっけない振りをして、適当に誤魔化して逃げ出してしまった。
「やっぱり私……意気地なしだ……」
階段を昇るイチカの瞳に、輝く雫が溜まっている。その雫が一滴でもこぼれ落ちてしまったら、きっとそれを契機におさえが決壊して、我慢していた気持ちが溢れ出すだろう。とても電車に乗れるような状態ではなくなってしまうだろう。
でも、それも構わない。
せっかくこれまで協力してくれたニコの努力を台無しにしてしまった意気地なしの自分には、そんな惨めな姿がお似合いだ。
そんなことを考えて、イチカは小さく自虐的に微笑む。そして……結局瞳から頬に伝い落ちた一筋の涙を手で拭った。
そのとき……。
「イ、イチカ……!」
階段の下から、彼女を呼ぶ聞き慣れた声が、聞こえてきた。
「ま、待って……ちょっと、待てって!」
振り返るイチカ。
「ま、まだ……百物語は終わってねーから! っていうか……百物語の最後に百合が現れるんだろ⁉ だ、だったら、百合が現れるまでは、百物語は終わらねーからっ!」
「ミ、ミナ……ちゃん……?」
現れたミナは、これまで全力で走ってきたのか、だいぶ息を切らせている。しかし、そんなことは気にせずに、イチカに向かって小さな黒いケースを差し出した。それは以前、イチカがミナに対して好きだと言ったことがある、アクセサリーブランドのものだった。
「あ、あたし、やっと気付いたんだ! 自分の気持ちに! あたし実は、百合で……」
「待って!」
しかし、イチカはそんなミナの言葉を遮って、自分のほうから彼女のもとに駆け寄る。
そして、
「ごめん……わ、私、ちょっと勘違いしてたかもー!」
と言って、わざとらしくおどけて見せた。
「え?」
「百物語を百話したら百合が現れる……って、よくよく考えたら、私の間違いだったよぉー。っていうかホントは、百話じゃなくて、百一話だったのぉ!」
「は、はあ? そ、そんなことより、今は…………⁉」
「だから、これから私、最後の百一話目の話をするねぇー? こ、これは、私が友だちの友だちから聞いた、ある、仲良し三人組の女の子の話なんだけどぉ……」
「イチカ……」
そこでもう、ミナは何も言えなくなってしまった。
気付いてしまったからだ。
急におかしなことを言い出したイチカの手にも、きっと自分に対して用意してくれたと思われる、プレゼントがあったことに。そして……そんなイチカの瞳から、
彼女が、今の自分と同じ気持ちでいてくれている、ということに。
「その三人の中の一人が……実は、別の一人のことを好きになっちゃったんだって……。でも彼女、告白する勇気が出なくて……。今年のクリスマスの日も、一度は逃げ出しちゃったんだけど…………でも、でもね………ようやく、勇気を出すことにしたんだって……」
「……うん」
それからイチカは、ミナに百一話目の百合物語を語った。周囲には、電車の乗り降りでたくさんの人たちが通り過ぎて行ったが、そんなことは全く気にならなかった。
その話が終わったとき、何が起こったのか。
バカな題目通りに、百合は現れただろうか?
それは、二人にしか分からないことだった。
―― ニコの場合 ――
電車の車内はそれほど混雑していなかったが、かと言ってガラガラというわけでもなく、座席にはまばらに乗客が埋まっている。そんな中、静かに乗車口のドアにもたれかかって外を見ているニコ。
「ふ……」
彼女は先程、そのドアのガラス窓から、この駅に向かって走っているミナの姿を見た。あの様子なら、イチカの乗る予定の電車が出発する前には間に合うだろう。それくらいに彼女は必死だったから。
「まったくあの子たちは……世話が焼けるんだから……」
手のかかる子供を持つ親のような気分で、二人のことを想って微笑むニコ。実際、三人のうちで一番大人びていた彼女は、子供っぽくて破天荒なイチカと、プライドが高いわりに肝心なところで抜けているミナの二人を、昔から何度もフォローしてきたのだ。
でも、今日からはそんな三人の関係にも、少し変化があるだろう。
百合物語の集まりはもう必要なくなるし、今までみたいに三人一緒で集まる機会自体、減るかもしれない。
それを思うと彼女は少し寂しいような……でも、大好きな二人が幸せな気分になってくれると思うと、その寂しさ以上の喜びを感じるのだった。
いっそ、私も恋人でも作ろうかしら?
そうしたらダブルデートってことで、二人とまた一緒に遊べるものね。例えば、最近仲良くなった『姉系キャバクラ』の若い店長の子なんて……。
そんなことを考えてみるが、すぐにニコは、そんな意味のない仮定を頭の中から打ち消してしまう。
バカね。私に恋人なんて……私が誰かを好きになるなんて、あるはずないのに……あの人以外に……。
実はニコには、大学時代からとても大事に思っている存在がいた。
ニコにとっては家族よりも、ある意味では親友のイチカやミナよりも大事な存在。今はここにいない「彼女」のことを、ニコはひとときとして忘れたことはない。
だからそんな状態の自分が、別の恋人を作るなんてことがありえないと、分かっていたのだった。
ピコン。
そのとき、ニコのスマートフォンが、何かの通知を告げる電子音を鳴らした。いつもはマナーモードのバイブレーションになっているはずだが、どこかで設定解除されてしまったらしい。
特に慌てる様子もなく、スマホを取り出してニコは画面を見る。
「⁉」
そして、その瞬間に目を見開いて硬直してしまった。
それは、ニコが設定していた
ニコの職業はコンピューター会社のプログラマーで、その業務や、あるいは趣味でプログラミングなどをすることがよくあり、そのときによく使う
今受信したのは、そのプログラムのうちの一つに誰かが修正を加えた、という内容のメールだ。その概要がひと目で分かるようにと、修正されたプログラムの断片も添付されている。
いつものニコなら、休みの日までそんなメールを気にしたりはしない。よほど大きな機能追加や、重大な
しかしそのときのニコには、とても見逃すことが出来なかった。
彼女は素早くスマートフォンを操作して、その修正の
一……二……三…………ダミーも多く含まれていたが、慎重にそれらを見分けつつ十階層以上を辿っていって、ようやくニコはその
その場所は……ほとんど地球の裏側の、南米沖の小さな島だった。
「み、見つけた……!」
思わず声に出してしまうニコ。
その感動で、スマートフォンを落としそうなほど全身が震えている。
彼女は、メールを見た瞬間に分かったのだ。そのメールが通知してきたライブラリの修正コミットをしたのが、誰なのか。メールに添付されていたプログラムコードの断片は三行程度のほんの小さなものだったが……そこには、ニコだけが知っている「彼女」のクセがあった。
「彼女」の温もりが、ニコの知る「彼女」のすべてが、確かにあったのだ。
「先輩……私はあなたにもう一度、会わなくちゃいけないんです……。だってまだ、あなたに私の気持ちを伝えてないんだから……」
そして彼女――神部ユニコ――は、今後の予定をすべてキャンセルして、その日のうちに地球の裏側へと向かった。
ゆりすぐり 紙月三角 @kamitsuki_san
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