好きになるな、嫌われる!
一天草莽
01 月影に吠える虎
夢だとか目標なんてものは果てしなく遠くにあって、勉強だとか努力なんてものは普通に歩こうと思ってもいばらの道だ。馬鹿にされ追い立てられて傷つきながらも前進するくらいなら、人間的な成長をあきらめた
無理して頑張らなくてもいい。
何かを諦めたって、それがすなわち不幸とは限らない。
いっそ自分の意志で歩くのをやめても時間は流れるから、そうやって受動的に生きることも一種の処世術なのかな、などと冗談半分に思う。
うまくいかないとか器用にやれないとか、自己主張できないとか溶け込めないとか、どこかの時点で「あ、俺は一生この位置なんだな」と感覚的に察してしまうというか、きっぱりと諦めがついてしまう瞬間がある。それは大半が根拠のない思い込みで、これから先まだまだ続く長い人生においては変われるチャンスが何度だってあることも事実ではあるけれど、学校を舞台にした思春期における数年間程度の経験だけでさえ、自分の限界や自分が歩むであろう人生のままならなさを痛感してしまう。
環境が変わったところで自分は一切このままなのだ。
他の人と違ってうまくやれない。やったって疲れる。
一人一人に課せられた義務や責任を放棄して、楽に生きたいと甘えているわけじゃない。誰にも邪魔されず、馬鹿にされず、思いのままに自分らしく生きたいと、過度な自由を振りかざしたいわけでもない。
ただ、どうあがいたところで特別になれもせず、あがかねばならぬほど普通に生きるだけでも苦戦しつつある人生だと痛感してしまい、どうしようもなく、どうしようもない気分で自分を叫びたいだけなのだ。強烈な憧れと自堕落な諦めだけを胸の中にたっぷりと満たして、欠けかけた己のアイデンティティを必死につなぎとめて、夜、周りに誰がいて自分がどこにいるのかさえもわからないような深い孤独の中で、愛だとか夢だとか、叫びたいものの正体もわからずに。
やわらかくも冷たい、切った後の爪みたいに細い月の明かりだけを眺めながら、いつまでも眠れずにいる。
「ねえ、今夜は星がきれいだね」
小さく微笑んだような彼女の声が
いつから隣に彼女がいて、いつまで隣に彼女がいてくれるのかもわからない不安があるから、ひょっとしたらそれを幼馴染として一部くらい共有してくれているかもしれない彼女は先ほどよりも輪郭をはっきりと言葉を繰り返した。
「ほら、すごく星がきれい」
今度こそにっこり笑った彼女が見上げて指で示すのは、俺たちの孤独がちっぽけなものに感じるほど果てしなく広がる宇宙にて巨大質量の塊が放つ光、無数にちりばめられた夜空の星、比喩を使って美しく表現するなら色とりどりの宝石だ。大部分が欠けているとはいえ月の出る夜は星明りが薄くなりがちなものだけれど、夜の女王と呼んで差し支えない貴婦人の前では世界も着飾るくらいのことはする。
あるいは、うすぼんやりとしか見えないからこそ美しいのかもしれないが。
あいにく教養がない俺が知っている星座といえば有名でわかりやすいオリオン座と北斗七星くらいしかない。ベガだとかアルタイルだとか一つ一つの星に与えられている名前なんて詳しく知っているわけもなく、どれを見るでもなく、空全体を眺めるようにして視線を天頂から地平線へとスライドさせていく。
暗くなった山際に隠れそうな星を追いかけるように地上付近まで降りてきて、その手前には彼女の横顔があって、しばらく見とれていたら目が合った。
黒い瞳。
どちらかと言えば険しい目つきをしている俺のと比べると、彼女の瞳は大きくて丸い印象がある。夜空と違って星もないのに、のぞき込んでいると吸い込まれそうになる。
それが引力だとするのなら、彼女の存在は俺にとってあまりにも大きい。
「うん、とんでもなくきれいだ。……だけど、どうなんだろう? もしも二人じゃなくて一人っきりで見ていたら、夜空の星はきらめくよりも色を失って、暗くて寒い宇宙に放り出された気分になったと思う」
「どういうこと?」
「どういうことって、さあ、どういうことなんだろうな……」
うまいことを言おうとして失敗した。小説を読むのが好きだからといって自分が小説家になれるわけではなく、作中の登場人物のように気の利いたセリフが出てくるわけでもない。こちらのことをよく知る幼馴染である彼女の前で、今日くらいはかっこよく見せたいと気取ってしまったので、それが想像以上に通用しなくて恥ずかしくなる。
くすくす、と笑う彼女。ありがたいことに馬鹿にしている感じではない。
「自分で言っててそれ?」
「うーん……」
もっとはっきり言葉で伝えられたら、とも思うが。
言葉で言い表せないものが自分の中にあることを嬉しくも思う。
つまり好きってことだよ。
真っ直ぐに面と向かって素直にそう言えたなら、どんなにいいだろう。そうやって躊躇せずに他人とぶつかっていける積極性のある人間存在に憧れつつ、なんでも思った通り率直に言葉にしてしまえば、あまりに軽佻浮薄で世界が単純化されすぎるようにも感じてしまう。
どちらがいい悪いという話ではなく、俺には合わない。
彼女、小学生のころから仲良くしてくれている
周りには俺たちの他に誰もいない。なだらかな丘になった草原で、遠く市街地の喧騒を離れた二月中旬の肌寒い夜風がさわさわと音を立てる。
「流れ星がたくさん降るっていうから来たけど、せっかくだから願い事の一つくらい言えたらいいよね」
「そうだな。願い事か……。もしも運よく流れ星に願い事ができたとして、それが本当に叶うと思うか?」
「どうかなぁ……。でもね、たぶん本当は流れ星の力で無理やりに願いを叶えてほしいんじゃなくって、流れ星を口実に私の願いを言葉にしたいだけなの。ちょっとロマンチックな目標の再確認。ただそれだけ、かな」
「なるほど、流れ星を口実にして自分の願いを再確認するのか。すがるんじゃなくて、誓いを立てて努力しようって心意気だな」
「自信がないだけだよ」
「いや、そういうんじゃないと思う。小学生のころは年の離れた妹みたいに俺の後を追っかけてきて、面倒ごとは全部押し付けてきたものなのに。いつの間にか美夜も強くなったな……」
すっかり一人前となった子どもに巣立たれる親のような気分で寂しくなる反面、しっかり成長した教え子を見る老齢の教師みたいな心境で感慨深くもある。
好きな人には強くいてもらいたい。泣いて悲しむ姿など見たくはないから。
しばらく黙って聞いていた美夜はふっと笑って首を横に振った。
「ううん、根本的には私って
「勇気を出せずにいること?」
「うん」
それは何だろう。気になったけれど美夜はヒントさえくれずに黙り込んでしまったので、あとはもう想像するしかない。
さわやかに駆け抜けるような青春の日々とは縁遠く、それでも一歩ずつ静かに大人へと近づいていく俺たちの間には、心身の成長に伴って少しずつ違うものが増えていくから、思い込みや共通の経験に頼って彼女の内面を類推するのは難しい。期待ないしは願望が勝手に働いて、今そこにいる現実の彼女ではなく幻想の彼女を俺の中に生み出してしまうため、こちらの想像がイコールで彼女に一致するとは限らないだろう。
彼女が想像する俺もまた、俺自身の実際とは異なっているに違いないから。
あるいは俺自身が理解する俺のことさえ。
そう思っていたら空がきらめいた。
「あっ!」
そうか、これが……。
これが、待ち望んでいた流れ星。
ドラマや映画ばかりで実物は初めて見たけれど、こんなにもあっけなく、本当に一瞬で消えてしまうのか。
あまりにも短い
「願い事、願い事……」
やろうと思えば手をつなげるくらい近くにいる隣では、地表に向かって消えた残像を追いかけるように夜空を眺める美夜が一生懸命になって声を漏らしていた。
必死な彼女に促される形で俺も二つ目に備えて手を合わせる。
寒さを感じる夜。吐く息が白い。
願い事。星空を見上げながら祈るにふさわしい俺の願いとは何だろう。
流れ星にかこつけてロマンチックな再確認をするとして、誓いを立てる代わりに何を願えばいいだろう。
「じゃあ……」
願った瞬間にちょうど星が流れてくれればいいと、握る手に力を込めた俺は夜空のどこでもない一点を眺めた。
近づきたい。夢や希望に。そして、何よりも彼女に。
曖昧なまま強く惹かれる、この狂おしくも愛おしい感情を知りたい。
二つ目、三つ目、それからはたくさん。
無理してタイミングを合わせずに祈るだけ祈った流れ星の一群に、流れる星とは明らかに違う天使の輪みたいなものが見えた。
それが視界一杯に広がって、心が不思議な浮遊感に包まれる。
――叶えてあげるよ、君たちの願い。
「えっ?」
「今、何か……」
この世のものではない、幻聴のようなものが聞こえた気がする。
もし、それが本当の奇跡の始まりだとして――。
彼女は一体何を願ったのだろう。
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