第556話 リサがアイザックに出会うまで
リサ・バートン。
彼女はバートン男爵家の長女である。
父はオリバー、母はアデラ。
バートン男爵家は、ウェルロッド侯爵領西部にある農村地帯を任されている代官の家系だ。
リサは幼い頃からのどかな農村で育った。
代官職は余裕を持って貴族らしい生活を過ごせる程度には収入がある。
しかし、それは生活の範囲内。
将来、リサが嫁入りする時の事を考えれば、少しずつ支出を切り詰めていかねばならない。
とはいえ、後継ぎは必要である。
オリバーとアデラが頑張り、リサが五歳の時に弟のクリフが生まれた。
まだ毛が生えそろっていないが、金髪の可愛い男の子だった。
「ちっちゃーい」
「あなたもクリフみたいに小さかったのよ」
「嘘だー。私、こんなにちっちゃくないもん」
アデラは、リサがクリフの頬をつつくのを見て微笑む。
子供は無茶をするものだが、リサはクリフを傷つけないように気を使っている。
アデラはリサに「このまま優しいお姉ちゃんになってほしい」と願っていた。
そして、その願いは叶った。
リサは生まれたばかりの弟を可愛いがってくれている。
「母親を弟に取られた」と思ったのか最初は嫉妬しているような様子もあったが、クリフの事を家族だと受け入れ始めてからは態度の変化が早かった。
リサは、お姉さんぶって弟の面倒を見始めた。
もしかすると、母の姿を真似しようという子供のお遊びだったのかもしれない。
始まりがままごとの延長でも、長く続けられるのならば本当の面倒見の良さになる。
そのまま姉弟で仲良くやっていってほしいと願っていた。
当のリサ本人は母の思いになど気付いていない。
「可愛いから可愛がっている」というだけだ。
幼い子供なので、その程度の事しか考えていなかった。
前世の記憶を持つ特殊な人間でもない限り、そんなものだろう。
しかし、子供としては上出来だ。
アデラはリサの成長に満足していた。
ある日、リサは母と共にウェルロッド侯爵家に遊びに行った。
ルシアが、友人であるアデラの娘に会いたいと望んだからだ。
「クリフって起きると泣いてうるさいから、私も手伝って泣き止ませるの」
「あら、そうなの。リサもすっかりお姉ちゃんね」
ルシアがクスクスと笑う。
彼女もお腹が大きくなってきている。
生まれてくるのが男の子か女の子かわからないが、先に本物の子供に会っておきたいとルシアが考えたためだ。
「それは間違いでなかった」と、ルシアは思っていた。
リサがクリフの事を楽しそうに話している姿を見て、ルシアはお腹の我が子に早く出てきてほしいとお腹を撫でる。
「この子が生まれてきたら、この子のお姉さんになって頂戴ね」
「うん!」
リサは即答した。
クリフだけでも幸せな気分になれる。
「また弟か妹のような存在ができたら、もっと楽しくなるだろう」と、リサは考えていた。
断る理由などない。
ルシアとアデラは五歳の差がある。
ハリファックス子爵家とバートン男爵家の任地が近いという事もあり、アデラがルシアのお姉さん代わりになってくれていた。
リサにも生まれてくる我が子と、自分とアデラのような関係になってほしいと思っていた。
「アデラから色々とお話を聞きたいわ。子育てのコツとか教えてね」
「ええ、もちろん。元気な子が生まれるといいですね」
「私もそう願ってるわ」
不安もあるが、楽しみでもある。
ルシアの子供は、クリフとも友達になれるはずだ。
友人との家族ぐるみの付き合いになる。
リサは子供達のお姉さん役として期待されていた。
だが、そんな穏やかな日々も長くは続かなかった。
生後半年もせずにクリフが死んでしまったからだ。
アデラ達にも理由はわからなかった。
朝起きたら、息を引き取っていたからだ。
しかし、乳児が突然死する事があるという事は知っている。
だから、十歳式なんていうものが存在するのだ。
医学の発展していない世界では、子供が成長するというだけでも祝い事になる。
悲しい事だが、この事実を受け入れなければならない。
しかしながら、受け入れられない者もいる。
「クリフ、起きてっ!」
「リサ、もうクリフは目を覚まさないのよ……」
まだ幼いリサが「死」という意味を理解できなくても、冷たくなったクリフの体に触れて本能的にもう動かない事を感じ取った。
それでもリサは目の前の現実を受け入れる事ができず、クリフの体を揺すり続ける。
涙を流しながら弟を目覚めさせようとするのを、両親は涙ながらに見守った。
彼らもリサの気持ちがわかるからだ。
無駄だとわかっているからやらないだけだ。
体を揺する事で目が覚めてくれるなら、彼らもいつまでだって揺すり続けるつもりだった。
しかし、このままではクリフが可哀想だ。
アデラがリサを背後から抱き締める。
「リサ、もうやめてあげなさい」
「やだ、やだぁ……」
「そんなに揺すられていたら、クリフも落ち着かないわ。最後に体を綺麗にして、安らかに眠らせてあげましょう」
「でも、クリフがぁ……」
アデラが引き離しても、リサはクリフに向かって手を精一杯伸ばしていた。
そんなリサをアデラはギュッと抱き締める。
そして、一緒に泣き出した。
彼女自身、息子を亡くして辛かったのだ。
リサが泣き疲れて静かになるまで一緒に息子との別れを悲しんだ。
クリフの葬式が終わり、半年が過ぎた。
この頃になると、さすがにリサも落ち着いていた。
五歳になったので長旅にも耐えられるようになり、今年から王都へ行く事ができるようになった。
だが、ここで一つの問題が起きる。
「えっ、お母さんは行かないの?」
アデラが王都に行かず、ウェルロッドに残るというのだ。
「そうよ。ルシアの赤ちゃんが生まれて、その乳母を任されたの。アイザックっていうのよ」
「そんな……」
リサはクリフの死を乗り越える事ができた。
しかし、それは母の存在が大きい。
それにまだ五歳。
母恋しい年頃だ。
離れ離れになるのは寂しかった。
「お母さんも一緒に行こうよ」
「ごめんね、でも、これはあなたのためでもあるのよ」
アデラはリサに乳母を引き受ける事の利点を教える。
アイザックの乳母を引き受ける事で、金銭的な余裕ができる。
それにより、リサが将来嫁入りする時の持参金を多く持たせてやれる。
侯爵家の跡取り息子の乳母。
その娘とあらば、リサに良縁の話が持ち込まれるかもしれない
ウェルロッド侯爵家内では、家庭内で色々と問題もある。
だがそれでも、この二つのメリットは大きかった。
それに、引き受けた理由はこれだけではない。
「アイザックも生まれたばかり。クリフみたいな事がないように手助けをしてあげたいの」
アデラは「息子を失う」という思いをルシアにはさせたくなかった。
だから、純粋に子守りを手伝いたいという思いもある。
リサを寂しがらせてしまうという事は、アデラもわかっていた。
それでも「アイザックが幼児のうちだけでも」と思い、仕事を引き受けた。
「でも、寂しいよ……」
リサはアデラのスカートを掴む。
「ごめんね。あなたも何年かしたら、アイザックのお姉ちゃんとして遊べるようになるわよ」
「アイザックも、クリフみたいになっちゃったら?」
「そうならないように、お手伝いをしに行くのよ」
「うん……」
渋々ではあったが、リサはアデラが乳母として働く事を受け入れた。
クリフが死んだ事は記憶に新しい。
リサもあんな思いを他の人にさせたくはないと思っていた。
性根の腐った人間であれば「他の奴も同じように苦しめばいい」と思っていたかもしれない。
だが、優しく育っているリサでも「アイザックにお母さんを取られた」という思いを感じていた。
アデラがアイザックの乳母になり、三年の月日が流れた。
この頃になると、アイザックも突然死を心配する時期を過ぎ、警戒する必要は無くなっていた。
「そろそろ乳母は必要ないだろう」とリサは思っていたが、アデラに辞める様子が無かった。
「ねぇ、お母さん。もう乳母は必要ないんじゃないの?」
リサは思った疑問を口にしてしまっていた。
それを聞いたアデラは困った顔をする。
「アイザックは、色々と難しい立場なのよ。友達もお兄ちゃんに取られたりして可哀想なの。……ねぇ、そろそろリサもアイザックに会ってみない? 頭が良いし、可愛い男の子よ」
「えっ、うん……」
アデラに誘われても、リサは乗り気ではなかった。
アイザックは母の愛を奪い合うライバルだ。
あまりいい感情を持っていない。
だが、ハッキリと拒絶するほどではない。
ルシアと「生まれてきた子供と友達になる」と以前約束していた。
渋々だが行く事を認めた。
そんなリサの様子を見て、アデラはフォローを入れる。
「大丈夫、きっと仲良くなれるわ」
「だといいけど……」
「侯爵家に行くから、新しいお洋服を用意しましょう」
「うん!」
アイザックに対して思うところはあるが、新しい服。
それもお出かけ用の服を買って貰えるのは、リサにとっても嬉しい。
小さいとはいえ女の子。
おめかしする事に人並みの興味を持っていた。
ウェルロッド侯爵家の屋敷は、バートン男爵家の屋敷と比べるまでもなく大きい。
しかも、別館まである。
リサはアデラに連れられて、アイザックの部屋まで連れていかれる。
「あっ……」
(クリフが生きてたら、こんな感じだったのかな……)
部屋の中にいた男の子――アイザック――は、クリフと同じ金髪の男の子だった。
リサはアイザックを一目見て、今まで心のどこかにあったアイザックに対する嫉妬が消え去った。
それが打って変わって、母への嫉妬へと変わる。
(お母さんも、もっと早く連れてきてくれたらよかったのに。でも、嫌な子かもしれないし……)
人は見た目だけではわからない。
リサは少し不安に感じていた。
だが、それもアイザックの言葉で払拭される。
「お話は聞いています。はじめまして、リサお姉ちゃん」
アイザックは、笑顔で話しかけてきてくれた。
性格の悪さは感じられない。
それどころか、歓喜の感情が湧き出る。
(お姉ちゃん……、か)
本当ならクリフにそう呼ばれていた。
しかし、リサの事をそのように呼ぶ前に死んでしまった。
アイザックが「お姉ちゃん」と呼んでくれた事で、喜びを感じられた。
クリフの代わりと言うのは言葉が悪いが、アイザックに「お姉ちゃんとして接してあげよう」と思い始めた。
「はじめまして、アイザック」
挨拶をしてからリサは部屋を見回す。
何か遊ぶ道具はないかを探すためだ。
そこで、紙とペンが目についた。
「お絵描きでもして遊ぼうか?」
「はい」
アイザックは素直にリサの提案を受け入れた。
そんな素直さも可愛らしいものにリサは思える。
すでに彼女はアイザックの事を「弟」にする気満々だった。
この出会いが、彼女の運命を大きく変えていく事になる。
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