第546話 家族の支え

(家に帰りたくない)


 アイザックは、家出したばかりの子供のような事を考えていた。

 理由は、二つある。

 そのどちらもパメラに関してである。


 ――もしも、彼女がニコルが死んだ事を喜んだら?


 処刑に立ち会わせなかったのも、この理由が大きい。

 パメラがほくそ笑むような事があれば、アイザックは彼女に幻滅してしまうかもしれない。

 できれば、そのような姿を見たくない。

 一方的な幻想かもしれないが、パメラには高潔な貴族令嬢というイメージを保ち続けてほしいと思っていた。


 ――そしてもう一つは、彼女への愛はまがいものだと確信してしまうのではないかという恐怖だった。


 いや、実際は気付いている。

 初めて会った時から特別なものを感じていたのだ。

 当時は、ゲームの設定による影響でもいいと思っていたが、今は違う。

 今は、あれがゲームのシナリオによるものか、ニコルの影響によるもののどちらかだと確信している。


 だとすると、パメラへの愛が冷めているかもしれない。

 それだけではない。

 彼女の愛も冷めてしまっている可能性だってあった。

 それらを確認するのが、今のアイザックにとって何よりも恐ろしい。

 だから、家に帰らず、違うところで時間を稼ぎたいと思っていた。


 だが、それはランドルフが許さなかった。

 帰宅するなら寄り道などせず、真っ直ぐ帰るべきだと主張する。

 アイザックには、その意見を覆すほどの理由もないので、渋々直帰する。


 屋敷に戻る頃、アイザックも少しは落ち着いていた。

 いつもと違うアイザックの様子に使用人達は驚く。

 とはいえ、不用意に尋ねたりはしない。


 ――特にアイザックのものは。


 興味本位の深追いは、致命傷になりかねない。

 だから疑問には思いつつも、誰も尋ねたりしなかった。

 長年仕えている者が、そっとハンカチを差し出すのみである。


 アイザックの異変は、玄関に出迎えにきてくれていた家族もすぐさま感じ取った。

 パメラとリサが顔を見合わせている。


「お兄様、どうされたのですか?」


 ケンドラが心配そうな顔をして近付いてくる。

 だが、あれほど愛した妹であっても、今のアイザックの目には入らなかった。


(よかった……、本当によかった! この気持ちは偽物なんかじゃなかったんだ!)


 ――パメラに感じていた魂が惹かれるような特別な想い。


 それは今も残っていた。

 ニコルやシナリオの影響で与えられたものではなく、この思いは自分の心で感じるものだった。

 パメラへの想いが本物である事がわかった。

 その事が、今のアイザックにはこの上なく嬉しかった。

 アイザックは、ケンドラに目もくれず、パメラに抱き着いた。


「あのっ、あなた?」


 いきなり抱き着かれたパメラは困惑していた。

 いや、それは他の者達もだった。


 今までならば、アイザックは真っ先にケンドラを抱き上げていただろう。

 なのに、今日は彼女を素通りして、パメラへと向かった。

 それだけでも、今のアイザックの異常さを感じ取れるものだった。


「何かあったのですか?」


 ルシアがランドルフに尋ねる。

 答えないわけにはいかないが、ここではまずい。

 ランドルフは、ケンドラの頭を撫でながら答える。


「そうだねぇ……。これは家族だけに話すとしよう。重要な事にも触れるからね。だから、ブリジットさんやティファニーには待っていてもらおう」


 ブリジットやティファニーは、公開処刑の見学にいけなかったため、パメラとリサに会いにきていた。

 彼女達もアイザックと関係が深いが、アイザックに関する話を聞かせるわけにはいかなかった。


「大切な話なら……」

「仕方ないよね」


 アイザックが言っていたなら、ブリジットは「なんでよ」と食い下がっていただろう。

 だが、親世代のランドルフ相手には、彼女も遠慮をして大人しく引き下がった。

 ティファニーは素直に納得していたので、二人で待つ事にする。


「すまない。説明できそうなところは、あとで話してあげられるかもしれない。期待せず待っていてほしい」


 ランドルフはフォローしながらも、ケンドラの事を考えていた。


「今回は、ケンドラも参加していいよ。お兄ちゃんの事、心配だろう?」

「うん……」


 いつもとは違うアイザックの様子に、ケンドラでも幼いながらも異変を感じ取って不安がっていた。

 だが同時に、いつもは除け者になっていた会議に参加できる事を喜んでもいた。



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「アイザックも、あの女の影響を受けていたですって!?」


 マーガレットの驚きは、話を聞いていた者達の心中を代弁していた。

 予想もしなかった事を言われ、マーガレットですら目を丸くして驚いている。

 アイザックを挟むように座っていたパメラとリサも、アイザックの手をギュッと握っていた。


「本人がそう言っていました。詳しくは、落ち着くまで待つしかないですね」

「まさかそんな事が……」


 マーガレットは、ランドルフやルシアとは違う心配をしていた。

 アイザックが「パメラをジェイソンから奪った」というのも、影響を受けていたからかもしれないからだ。

 あの話を聞いたのは、およそ一年半前。

 それまでは計画を考えていても、実行しようと考えていなかったかもしれない。


 ――だが、ニコルの影響によって、実行に移したのだとしたら?


 マーガレットも、モーガンも、アイザックの目には「自分を止めなかった不忠者」としか映らないだろう。

 場合によっては、新王朝に不要な裏切り者として処分される可能性もあった。

 これは一大事である。

 そんな中、彼女の視界に一人だけ落ち着いていた者の姿が入る。


「パメラさん、あなたは落ち着いているわね。何か理由があるのかしら?」


 パメラだけは、慌てていなかった。

 それどころか、まるで知っていたとでもいうかのように落ち着いている。

 皆の視線が彼女に集まった。


「ええ、そうではないかと思っていましたから」

「なんですって!?」

「実は――」


 パメラは、かつてニコルに注意していた時の事を話す。


 ――アイザックはニコルの胸の感触に夢中で、自分の話を聞き流しているようだった。


 この話に、アイザックはビクリと体を震わせる。

 自分がスケベな男だと、家族にバラされたせいである。

 家族の顔を見る事ができず、視線を下に向けていた。


「いくら婚約者がいなかったとはいえ、腕を組まれただけで意識がそちらにだけ向くでしょうか? あのアイザック・ウェルロッド・エンフィールド公爵がですよ? 明らかにおかしいではありませんか。ネトルホールズ女男爵には、美貌以外のものがあるのではないかと思っていました」


(その話題はやめてくれ!)


 アイザックは心の中で、そう願う。

 だが、簡単には終わらなかった。


「私もアイザックが色気に負けるとは思いません」


 リサが、この話題に参戦する。

 彼女は、アイザックに結婚を迫った時の事を話す。


「あの時、どさくさ紛れに抱き着く事だってできました。でも、しなかったんです。そこまで自制心のある人が、ちょっと腕を回されただけで心あらずといった状態になるでしょうか?」

「確かに。子供の頃、ネイサンはメイドのスカートをめくったりしていたが、アイザックはそんな事をしなかった。自制心が強いほうだと思う」


 ランドルフは、昔のアイザックを思い出す。

 メイドにいたずらなどするようなこともない、とても落ち着いた子だった。

 胸を押し付けられたくらいで、思考が飛ぶようには思えなかった。

 性的な事に関心が薄いのかもしれないと思えるくらいに。


 ――「痴漢扱い=社会的な死」という印象が強かったため、アイザックが何もしなかっただけとは知らないからこそ、そう思えたのだった。


「アイザックは、操られている意識もなかったと言っていた。おそらく……、ジェイソン達もそうだろう」


 ランドルフは、パメラの目をジッと見つめる。

 パメラは、わかっているとうなずく。


「入学前と後では別人のようでした。それが操られていたものだとわかったのなら納得できます。……この話を、ティファニーさん達にもされるのですか?」

「その問題は、ハリファックス子爵の判断に任せる。他の子達に話すかも、家族の判断に任せようと思っている。だから、今は話さないでおいてほしい」

「かしこまりました。ティファニーさんには誤魔化しておきます」

「そうしておいてくれ。また、二人には妻としてアイザックを支えてやってほしい。即位式は目前だ。少しでも早く立ち直ってもらわねば困るからな」

「はい」


 パメラとリサは、アイザックを心配そうに見る。


「操られているってわからなくて、辛かったよね」


 リサがアイザックの頭を撫でる。

 彼女は落ち込んでいるのを「自分が知らないところでいいようにされていた」せいだと考えていた。

 どちらかといえば、アイザックは人を操る側の人間だった。

 魔法でもない不思議な力に操られ、プライドが傷付いているのだろうと思っていた。

 彼女がそんな事を考えているとは知らず、アイザックは二人の妻を抱き寄せる。


(俺には妻がいる。子供だって、そう遠くないうちに生まれてくる。だから立ち直らなくてはいけない。他人を踏み台にして高みを目指そうとしたんだ。無傷でいられるはずがなかった。自分が犯した過ちを無駄にしてはいけないんだ。生きている人間は、殺した人間の分もしっかり生きていかないと……)


 アイザックは、自分にそう言い聞かせる。

 だが、どうしてもすぐには溢れ出る感情は簡単には止められない。

 ただ何度も、自分自身に立ち直らねばならない理由を言い聞かせる事だけは忘れなかった。

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